公民教科書で靖国神社を取り上げているのは育鵬社版「新しいみんなの公民」のみであり、他社の教科書では一切記述がありません。中学校歴史教科書で従軍「慰安婦」問題の記述が消えて久しいことからも、記述がないことは何もよいことではありません。しかし、育鵬社版公民教科書での靖国神社の記述は「小泉元首相の靖国神社公式参拝」のタイトルどおり、首相の靖国神社公式参拝を支持する大変突出したものです。
育鵬社版公民教科書(59ページ)では、小泉元首相の靖国神社公式参拝が写真入りで取りあげられています。写真の説明には「首相や閣僚の靖国神社への参拝と、憲法が定める政教分離とのかかわりについては議論があります。」と書かれています。では、どんな議論があるというのだろうかと見ますと、写真の左の「<理解を深めよう>信教の自由と政教分離」の説明には、「例えば、アメリカ大統領の就任式での宣誓で聖書が用いられるように、現実には政治と宗教とをはっきり分けることはむずかしい場合があります。」「政教分離とは、(中略)一般人の目から見た行きすぎたかかわりを禁じることだと解釈されています。」と憲法の「政教分離の原則」を有名無実化しています。私は靖国神社合祀取消訴訟の8人の原告団の一員として、戦死した父を「英霊」として靖国神社に祀られていることを拒否し、国が戦没者の氏名などの個人情報を靖国神社に提供したのは「政教分離原則に違反する行為」(大阪高裁ではこの部分を憲法違反と認定しました。)であると最高裁まで訴えましたが、残念ながら敗訴しました。以上のような育鵬社版公民教科書の記述は憲法の政教分離原則を踏みにじるものです。
最近の新聞報道「安倍総裁が靖国参拝 首相就任なら?・・明言を避ける」(朝日新聞 2012年10月18日)に見られるように、情勢によっては首相の靖国神社公式参拝が復活する危険があります。また、「日本維新の会」の国政進出の可能性もふくめて、その状況が加速するかもしれませんので、警戒する必要があると思います。そのためにも、1950年代に都道府県が先導し、政教分離原則を踏みにじって全国的に実施された「靖国神社遺児参拝」について、戦争遂行と国家統合に果たした靖国神社の役割等その歴史を振り返っておくことは意味があります。
以下、私が調べました「1950年代の靖国神社遺児参拝の実像を探る」(「季刊 戦争責任研究 第76号」2012年夏季号)をPDFで掲載しまので、お読みください。