6月13日から15日の3日間、赤田圭亮さんの企画、中澤晶子さんの協力によるオトナのための修学旅行に参加しました。大変充実した中味でした。おふたりと現地でお話と協力いただいた方々に感謝します。いくつか感想を記します。
1)2日目に植田規子さん、3日目に豊永恵三郎さんに被爆体験と市民運動に関わって来られたお話を聞きました。植田さんは87歳、豊永さんは91歳のご高齢にも関わらず、かくしゃくとして当時の体験を語られ、その姿に強い感銘を受けました。植田さんは悲惨な体験にも関わらずからっと明るく前向きに語られました。また豊永さんには長い間の地道な在朝被爆者への支援運動と在外被爆者裁判の取り組みについて具体的に話していただきました。戦後の歴史において、在外被爆者救援運動が大きな意味を持ったことが大変よく分かりました。ご高齢のお二人のお話をお聞きし、私がテーマとしている戦没者遺児靖国参拝(私はその戦後の経験者です)、その戦前の体験者を探しお話を聞くことは、まだまだ可能性があると確信しました。今回のお話の感銘をもとに、その戦前の体験者(90歳を越えられています)を探そうと思いました。
2)昨年5月に、赤田さん企画の広島ツアーに参加し、4年ぶりに広島に行きました。あの時は、似島には行けましたが、残念ながら被服支敞に行けませんでした。今回の企画では被服支敞が組まれており、楽しみにしていました。2日目の朝に被服支敞を見学しました。赤田さんが事前に市役所で鍵を預かり、被服支敞に入りました。その広大さに驚きました。当時陸軍が持っていた権力とその財力を実感しました。またこれだけの広大な土地と建物を廃棄(破壊)しようとする当局の計画を広島の市民運動が阻止し、保存を決定させたことに敬意を感じました。これからも被服支敞保存の運動に関心を持っていきたいと思いました。
3)3日目に加納実紀代資料室サゴリに行きましたが、大変印象深い見学でした。広島に行く前に、本の整理をしていたところ、昔入手した加納実紀代著『天皇制とジェンダー』が出てきました。加納さんとは出版社(今回の訪問で中央公論社と分かりました。)に勤めておられた頃にお会いしたことがありました。その後、加納さんがお書きになるものに興味を持ち、読んできました。今回、サゴリで加納さんの蔵書と取材ファイル等を見ることができ、また事務局の高雄きくえさんからの生前の加納さんのお仕事に関するお話を聞け、大変よかったと思います。
今回の余録になりますが、1日目の平和公園慰霊碑巡りからぬけさせてもらい、5年以上会っていない知人と会いました。彼はメンタル的不調と闘ってきたのですが、最近だいぶよくになってきたとのことでした。彼から私家版のフォート・エッセイをもらいました。私は最近入稿した『戦後の修学旅行の推移』に関する文章を渡しました。
ツアーが終わって、赤田さんと昔の独立組合の仲間と飲みましたが、赤田さんから「来年、もし似島のツアーを組んだら行きますか?」と聞かれましたが、「行きます、行きます!」と答えました。3日間、ありがとうございました!
(2023.7.19)
<追記>
広島から帰って来て、ネットで加納さんの履歴(中央公論社を退職され、研究者として独立された時期)を確かめました。加納さんが中央公論社を退職されたのは1968年でした。一方、私が高槻地方自治研究センターの事務局員をしていたのは、1982年4月~1986年3月までで、その時期の前半で加納さんとお目にかかっていますから、「加納さんとは出版社に勤めておられた頃にお会いしたことがありました。」は記憶違いでした。多分取材だったと思われます。その頃は、世界的にも反核平和運動が盛り上がり、高槻でも「非核都市宣言」運動と結びつけて、1982年に第1回の「高槻反核フェスティバル」を開催し、市民的な平和運動が起こっていました。(高槻市では1983年4月に「非核都市宣言」を行いました。)私は反核フェスティバルの事務局を担当していました。その取材に加納さんが来られたのではないかと思います。今回のサゴリを訪問を契機に加納さんの本を集中的に読み直して行こうと考えています。代表作『天皇制とジェンダー』をまもなく読み終わります。すごい仕事だったのだなと感慨深いです。