学校訪問

さわやかな空気を吸えました 
第22回フレネ教育者国際集会参加記 


 

 

松 岡  勲 「REDEF’98 JAPAN感想文集」(1999・2)

RIDEF’98 JAPAN参加記

 ついにフレネ教育者国際集会(98・7・22~7・31、自由の森学園)が日本で開催されるのか、という感慨がありました。

 振りかえると、85年3月に大阪の高槻でフレネ学校訪問のツアーを組んだ時から13年もたちました。あの時、村田栄一さんの協力で公立移管を闘っていたスペインのエスティル校を訪問しました。フランスのフレネ本校もその時に訪ねたのですが、エスティル校の方により新鮮な感動を覚えました。それは制約の多い公立学校で日々仕事をしている私にとって近しい存在だったからです。そのエスティル校はすでに公立に移管したとのことです。(実はあの時が海外旅行の最初だったんです。) 

 その後、村田さん企画の「飛ぶ教室」のツアーに何度か参加しました。87年3月にイタリア(フィレンツェ、ベネチア)とフランス(北アフリカからの外国人の多いパリ20区)の公立小学校の訪問、88年8月のベンポスタ・子ども共和国の訪問と楽しい経験が甦ってきます。

 3年前の神戸大震災の直前に猛吹雪の北海道の北見で、村田さんから「フレネの国際研究集会を日本で開く計画がある」と聞き、「それまで教師をやめないでおこう」と言ったことがありました。それがついに実現するというニュースが来るたびに、「持っていくものがないな」「とても10日間ものロングな日程には耐えられないな」とため息をついていました。それで、カンパだけにして参加は断念する事にしていたのですが、うれしいことに村田さんから「会議の空気を吸ってみないか」というメールをいただき、思い切って参加することにしました。このメールをいただかなかったら、二の足を踏んで、参加できていなかったでしょう。

 7月23日は「ベルギーのフレネ運動」のショート・アトリエに参加しました。若い世代の教員との断絶、フレネ教育運動が広がらないなどの報告を聞き、ヨーロッパと日本とは同じ状況なのだなと思いました。その中で、アルジェリアの教師が謄写版を使っているとおっしゃったのには貧困との格闘の姿を想像し、また、謄写版を使っていた昔を懐かしく思い出しました。(アトリエにあった謄写版はスタッフの方が苦労して探されたのでしょうね。)

 その後、「ブラジル南部の民族芸術」のアトリエに入り、歌って踊っちゃいました。(国際研究集会後の8月に、サンパウロ経由でボリビアに旅行しました。ヴァリグ・ブラジル航空の飛行機の中やトランジットで降りたサンパウロ空港の雰囲気とアトリエでの経験が重なり、次はぜひブラジルに行きたいと思いました。)
 
 24日は「東京シューレ」のアトリエに参加し、若い人たちの生き方にさわやかな感動を覚えました。これぞフレネですね。(帰って、東京シューレのホーム・ページに書き込みをしました。)

 会場で2年前にピレネーのロマネスク教会を一緒に回った「飛ぶ教室」のツアー・メンバー4人と再会しました。みなさん、スタッフとして忙しく働いていらっしゃいました。

 また、10年前の学校訪問のツアーの時、パリでお会いした、フランス在住の日本人対象の新聞「オヴニー」を発行しておられるベローさんともお会いでき、それぞれのツアーを懐かしく思い出しました。

 また、研究集会後の8月6日に、村田さんの依頼で集会参加者のイタリア人女性教員3人を京都から関空内のホテルまでお送りするというおまけがつきましたが、その後、イタリアからお礼の手紙をいただき、大変喜んでいます。

 ほんとうにRIDEF JAPANに参加してよかったと思っています。

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