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書名:  「日の丸・君が代」じかけの天皇制
著者: 天野 恵一
価格(税抜): 3,500 シリーズ:  発行: 2001年6月 ISBN: 4-7554-0108-9

「皇室外交」という政治を駆使し延命し続ける象徴天皇制。女帝ミチコ報道からマサ
コ懐妊報道まで、この8年間の皇室報道を検証し、嘘しか書かないマスコミを徹底批
判し続ける「歩く思索者」天野恵一の危ない天皇制ウォッチング、待望の第4集、遂
に発刊! この国に真の皇室批判はあり得るのか。
6月12日刊行、3500円+税

目次
第1部 象徴天皇制の「二重構造」とその〈よじれ〉  9
      ―「日の丸・君が代」じかけの天皇制の現在
第2部 皇室情報の読み方  23
1993年 24
 天皇訪沖と皇太子結婚騒ぎ―沖縄闘争レポート
 皇居の森はいつもバブルが花盛り
―皇太子結婚費用と新吹上御所建設費用
 アメリカ雑誌にからかわれた日本のマスコミ
―「ミカド」の結婚報道
 皇太子の結婚と「護憲」ウーマン
―〈反戦〉と〈反天皇制〉
 皇太子結婚に「君が代」やはり復活
―戦争と天皇制は切っても切れない関係です
 「イメージ的一体化」と「秩序化=差別化」
―皇太子妃マサコ誕生報道をめぐって
 「ポスト・モダン」天皇制という「大きなホラの物語」
 ミチコ・アキヒト非難のマスコミへの浮上の意味
―それは「改憲」のための「自由」にすぎない
 「ゴーマニズム宣言」差し替え事件をめぐって
―ごーまんかましてよかですか?
 「美智子・天皇バッシング」の状況
―朝日・文春の「対抗」という協力がつくりだそうとしているもの
 女帝美智子の逆襲と『週刊文春』の「お詫び」
―激化する天皇主義者の内ゲバ
 なぜ皇后ミチコらへの批判は不在なのか
―大内糺の「お詫び」と猪瀬直樹の嘘
1994年 45
 「内ゲバ」構造の浮上
―「皇后」・「テレ朝」・「朝日新聞」バッシングと反撃マサコの記者会見が拒否
された理由
―内ゲバは激化している
 「全国民」注目のロイヤル・セックスライフ!?
―「雅子さま御懐妊か?」報道
 「男根主義」への順応
―マサコ結婚後初めての会見
 皇室とともに輸入米を食べよう、ダト
―「天皇家の食卓にも輸入米」報道
 天皇の真珠湾訪問中止をめぐって―久野収批判
 皇室は「理想のモデル・擬似本家」という倒錯
―ヒロノミヤ・マサコ結婚一周年報道
 皇室の結婚・出産騒ぎは
   民衆のそれのグロテスクさの象徴ではないか
 皇太子・雅子夫妻の不調和の中身
―不貞ダ!離婚ダ!とはいかないが……
 金日成死去報道と天皇「崩御」報道―何が異様なのか
 「疑うがゆえにわれ信ず」のシニシズム
―ダイアナ・スキャンダルと皇室
 一日に三つの皇室記事―みんなあたりまえではない!
 「公務がいそがしい」、なんの「公務」が!
―キコ第二子出産とマサコのあせり

1995年 72
 なんでヒロノミヤの重圧じゃないの?
―キコ出産とマサコのプレッシャー
 天皇夫婦の「お見舞い」と被災地の迷惑
―ダイアナとアキヒト・ミチコ
 皇室「非難」vs「よくやった」コール
―江藤淳・林健太郎論争を読む
 「皇室活用」論争の第二ラウンド
―江藤淳vs八木貞二(侍従)
 皇太子・雅子の二つの「苦悩」
―地震・外交・火事・不妊
 雅子の憂鬱と貴・景子のハシャギ
―「まるで皇室」という問題
 「人間天皇」アキヒトのポリープ手術
―スワ! またまた「ホウギョ」(Xデー)騒ぎか!
 異例の「慰霊」の旅に示された
   天皇夫婦の「気持ち」の悪さ
 「国策」と天皇―八・一五村山首相記者会見発言をめぐって
 “尊師”は並び立たず
―「オウムの天皇暗殺計画」報道
 「日の丸裁判」高裁判決と沖縄―「番外」レポート
 皇后美智子の記者会見発言
―本格的につくられつつある「女帝論議」
 ダイアナの告白―「マサコの孤独」!?

1996年 89
 「君島ブランド」と「雅子ブランド」―作られたイメージ
 マサコは三年間は避妊の約束というお話
―女帝論議はどうなる
 「女帝は検討する考えはない」って本当?
―新宮内庁長官の「女帝問題」発言
 ダイアナ離婚同意騒ぎ
―「女帝」の時代のイメージ操作
 宮内庁の政(性?)治判断
―皇太子誕生日記者会見
 「美智子さまが紀子さまに」の時代
―「眞子さま」の幼稚園「ご入園」
 本当に紀子は怒っているのか!?
―秋篠宮タイひとり旅、その横には女性が……
 天皇・クリントン会談でのアキヒト発言
―安保「再定義」と象徴天皇制の「再定義」
 「人工授精」か「女帝」か、か?
―『ニューズウィーク』のマサコへの助言
 「皇室」イメージの分裂
―「慰霊」する天皇とスキャンダル・W杯・皇室
 秋篠宮・紀子の関係は「ダイジョウV」か?
―『週刊新潮』vs「宮内庁」・『産経新聞』
 W杯サッカーの政治
 経営雑誌に飛び出した「雅子」バッシング記事
―「不敬」だから「取り消す」とさ
 秋篠宮とタイの「ソープランド」
―ナマズとともにソープも見学していたというお話
 「台覧」試合とは何か
―プロ野球と皇室の関係
 秋篠宮
船縫錺肇蠻郢 楕麁鹿 ―『週刊新潮』の「後退」と『経営塾』社長退陣
 「ご静養でご懐妊を」というプレッシャー
―イタリア誌の「沈黙・悲しみの雅子」報道をめぐって

1997年 110
 天皇制の「逆襲」
―皇族自身によるマス・メディア批判が「封印」するもの
 「御製」における不適切な助動詞の「使い方」という「大」問題
 「雅子懐妊」カラ騒ぎ
―「女帝」論議のタブーは続く
 「外国交際」は「援助交際」とは違う―「女帝」と「外交」
 雅子懐妊「Xデー」騒ぎは続く
―なにが隠されているのか
 橋本首相の「参拝中止」と天皇らの「公式参列」
―国家の「慰霊」自体を問おう
 「悲劇のプリンセス・ダイアナ」という物語
―「大葬儀・イベント」をめぐって
 ダイアナと王室、皇太子・雅子と皇室
―マスコミの「沈黙」を読む
 アムロ・SAMと雅子・皇太子

舛ケ劼気泪織屐 造鯑匹  雅子誕生日(34歳)記者会見
 ―「人工授精」騒ぎの再浮上

1998年 122
 文化勲章の「親授」儀式への格上げ
―戦争と文化の対応
 雅子妃記者会見の外国メディア排除問題
―「国民に媚を売る」皇室の話
 イギリスの「男女同権王室」改革と「女性天皇制」
―皇太子三九歳誕生日記者会見
 天皇「訪韓」問題の浮上
―「謝罪外交」反対論もあらためて浮上しだした
 「女性天皇」容認の世論拡大!?
―イギリス(エリザベス女王)訪問前のキャンペーン始まる
 〈あなたは彼や彼女らを許せるの?〉
―皇室・王室交流と戦争犯罪
 皇室の説く「平等」とは何か?
―秋篠宮は「真のコスモポリタン」という物語
 『秋篠宮さま』と鶴見良行
―天皇制と「皇室の人々」との関係について
 「雅子懐妊」騒ぎの始まり
―皇室の下半身への「熱い視線」
  天皇訪韓の具体化が意味するもの
―和田春樹批判
 新しい「ミッチー」賛歌
―「子供時代の読書の思い出」騒ぎ
 「皇室外交」のスタイルの変化に注目しよう!
―金大中・江沢民と天皇との会談

1999年 136
 天皇(皇室)によって、切り捨てられた「弱者」が
 社会に「包含」されるというお話
―アキヒト天皇十周年キャンペーンの中から
 天皇ヒロヒト「敗戦23年後の述懐」をめぐって
―「退位すると言ったことはない」んだって
 「日の丸・君が代」の「法制=強制化」
―校長の自殺と日本共産党の路線転換
 天皇制と矛盾しない存在であることのアッピール
―『新日本共産党宣言』は、なんだかメロメロ
 雅子の選択肢
―もうやめたら、は何故ないの
 「日の丸・君が代」強制と右翼テロ
―アキヒト在位十年「奉祝」の動きの中で
 「君が代」首相の新見解と憲法
―転換の意味を「よくよく考えて」みよう
 首相の公式参拝への「環境整備」とは何か
―「日の丸・君が代」法制化の次にくるもの
 「皇室外交」と憲法
―小沢一郎の「日本国憲法改正試案」をめぐって
 アキヒト天皇「在位」十年式典への動き本格化
―「日の丸・君が代」「奉祝」の強制への抗議を!
 「天皇メッセージ」と「在位十年奉祝」
―アキヒト天皇の沖縄の歴史と文化の理解度
 天皇(皇室)信仰の空洞化
―「天皇在位十年式典」が浮かび上がらせたもの

2000年 151
「やったぜベイビー」から流産へ
―「御懐妊の徴候」大騒ぎの後
 天皇一族の公事と私事
―雅子の「人権」と宮内庁の操作
 「日の丸・君が代」強制拒否運動の報道
―本当に語られるべきことが語られていない
 「傀儡政権」と「日の丸・君が代」
―「傀儡天皇制」の現在を考える
 延命した排外主義の再強化
―森発言・石原発言をめぐって
 「呼び捨て」への暴行と「雅子さま」報道
―右翼による言論への暴力に抗議を!
 「皇太后」ナガコ死亡報道
―皇室(「昭和」)の歴史と庶民の歴史の一体化は操作である
 雅子「斂葬の儀」欠席騒ぎ
―つくりものの「笑い」とつくりものの「心配」
 世紀末「皇室報道」
―静けさの向こう側 踏み込まなかったメディア

第3部 象徴天皇制「再定義」のプロセスを〈読む〉  165
1993年 166
 「平和大国」意識こそが問題ではないのか?
―反天皇制運動と反派兵運動の合流点
 旧ファシズム三国交流=「天皇外交」はなにをもたらすか
―「国連大国」化と
組チ匯劵丱奪轡鵐
1994年 175
 皇后ミチコの反撃が作り出した「右派」の内内ゲバ
―「皇室外交」と自衛隊
 天皇の戦争の「玉砕」地への天皇の「慰霊」
―ミチコの逆襲第一ラウンド終了
 「真珠湾だまし討ち」戦争論議への視座
―天皇訪米に反対する運動のなかから
 「皇室外交」批判の論理はどうあるべきか
―続・天皇訪米に反対する運動のなかから
 「三笠宮文書」と敗戦五十年
 ―天皇の訪欧に反対する運動のなかから
 「皇室外交」と「明文改憲」
―皇太子・雅子の中東訪問反対の運動のなかから

1995年 196
 敗戦五十年を問う視座―反天皇制運動というベクトルから
 「阪神大震災」と皇室
―天皇(夫妻)はなんのために被災地へ行くのか
 「不戦決議」と侵略責任
―「〈提言〉戦争・植民地支配反省の国会決議を」への疑問
 「廃墟」・「憲法の約束」・「国会決議」
―天皇制論議の不在という問題
 天皇の「慰霊巡幸」のねらい
 天皇による「慰霊」と天皇の「追悼」
―国家儀礼の名目主義的統合について

1996年 223
 抽象(計量)化された死者の哀悼(弔い)の欺瞞
―加藤典洋批判
 天皇の「御製」と国策スローガン
―「東京植樹祭」反対運動の中から
 象徴天皇制の「国際化」へ向けた「再定義」
―皇室外交・慰霊巡行・女性天皇
 天皇のイベントと「オウム憲法」
―「東京植樹祭」反対運動の中からA
 混乱を内包しながら進む象徴天皇制「再定義」
―「女帝」・スキャンダル・海の日・「護国神社参拝」
 今、なぜ「女性天皇制」か
―加納実紀代の女帝容認論批判
 象徴天皇憲法五十年と私たち
―栃木での「天皇外交」との闘いの中から


1997年 251
 「天皇誕生日」という政治イベント
―ペルーの事態と私たち
 象徴天皇制批判の原理的視点
―「護憲」論・「女帝」容認論への疑問
 「自由主義史観」が隠蔽するもの
―「戦後民主主義」思想はキチンとした反植民地侵略史観だったのか
 アキヒト天皇の南米訪問の政治的意味
―再開された「天皇外交」を問う
 象徴天皇制「再定義」の現段階
―「愛媛玉ぐし料最高裁判決」をめぐって
 皇室(南米)「外交」とペルーの虐殺
―フジモリ・天皇会談を問う
 ダイアナ事故死フィーバーをめぐって
 ダイアナの死をめぐる報道
―「慈悲深いプリンセス」の神話とコンプレックス
 坂本多加雄の天皇観
―「自由主義史観」の第二ラウンドの新しいイデオローグ

1998年 286
 世紀末長野オリンピックと対人地雷禁止キャンペーン
―戦争のための「平和の祭典」をめぐって
 「聖火」・「日の丸」・「君が代」・天皇制
―「平和のシンボル」への読みかえがもたらすもの
 「皇室外交」と戦争責任
―ポルトガル・イギリス・デンマーク訪問
 「原爆神話」―占領時代と現在―本島等発言をめぐって
 戦争被害・加害と天皇制
―被爆地「巡行」と皇室「外交」
 金大中・江沢民来日と象徴天皇の「皇室外交」
―アキヒト天皇の訪韓に反対しよう
1999年 311
 「天皇抜きのナショナリズム」の動きなんてあるのか
―象徴天皇制の「再定義」の現在
 「日の丸・君が代」法制化のための操作報道批判
―教育委員会・政府こそが校長を自殺に追い込んだのである
 「日の丸・君が代」法制化問題再論
―「国 旗」反対論者は「甘えている」論批判
 「である」ことと「すること」
―「日の丸・君が代」法制化国会審議を「読む」
 主体的「従属」と国家主義(ナショナリズム)
―新ガイドライン(安保)と「日の丸・君が代」
 「天皇在位十年式典」をめぐる状況と〈第三の選択〉

2000年 332
 「在位十年式典」と「雅子妃懐妊徴候・流産」報道
―大きく露呈する象徴天皇制の矛盾
 「在位十年国民祭典」の主催者側あるいは参加者側の総括
―「天皇抜きのナショナリズム」の動きなんてあるのか?再論
 ハデになる天皇儀礼(イベント)
―「日の丸・君が代」強制反対・大分「全国植樹祭」反対行動を通して考える
 「神の国」の「皇室外交」
―象徴天皇制批判の原則を!
 「平和の礎」のクリントン演説
―天皇の死者の「追悼」と大統領の「追悼」
 「日の丸」と明文改憲
―運動の方向をめぐって
 明文改憲と天皇制批判
―運動の方向をめぐってA
 激動化する朝鮮半島の状況と天皇訪韓

2001年 360
 「女性国際戦犯法廷」と「右翼」の脅迫
―「民衆法廷」の「権威」をめぐって
 戦後革新思想と「日の丸」
―押しつけはやめて! 『日の丸・君が代』強制反対の声をひろげよう
 「日の丸・君が代」強制反対集会と「女性国際戦犯法廷」
―天皇ヒロヒトへの歴史的な怒り
 「癒し」としての「皇室外交」
―オランダ「戦争展」・天皇(夫妻)の歌と「お言葉」をめぐって
 NHKの「女性国際戦犯法廷」番組改ざん問題
―右翼の脅迫と暴力の日常化
 「自己陶酔」史観教科書の登場
―「今日的価値観」をふまえて過去の歴史を考えよう
 「雅子さま懐妊の可能性」報道をめぐって
―マス・メディアは「女帝」による「継承」の安定を、の大合唱

あとがき  380