俺のなまえは五瓶太である。 昨年2003年は最悪な年であったな。4月、ロザールさんは上告を断念し、ゴビンダさんは上告棄却ですでにおいらは面会に行くこともできなくなってしまった。 それにしても、ゴビンダさんが有罪とされた本件の殺人事件に関して、多くのマスコミ報道で「状況証拠から有罪を導いた」と解釈されている。本当だろうか。 俺や俺の周りの友達も、裁判に提出された証拠からゴビンダさんは無実だとの心証を持つに至った。いや、心証なんてもんじゃない、確信に近い。むしろ、裁判所は「状況証拠を切り捨てることによって有罪を導いた」のではないか。 さてさて、昔ならった推理法について勉強し直してみた。哲学事典をひもといてみる。「観察された個々の証拠を総括し、それらの事例の規定が必然的にそこから導出されうるところの一般的な主張である判断を確立する推理を帰納的推理と呼ぶ。」ふむふむ、なるほど、状況証拠から真実を見極める方法なのだな。判断を誤らないためには、証拠の吟味が重要になる。 高裁判決に示された「ゴビンダさん有罪説の根拠になった証拠」を一つ一つ吟味していくと、有罪と決めつけるにはきわめて脆弱な証拠を積み重ねているわい。さらに重要な客観証拠のいくつかを採用しなかったり、無視をしているぞ。こんな推理方法で真実はわかるのだろうか。 真実を見極めるなら、妥当なあらゆる証拠を切り捨てることなく統合させ、“そろいもそろって”一つの結論と符合せねばならない。ふーむ、弁護団や一審判決の証拠の吟味をざっと見ると、採用しなかった証拠は「目撃証言」だけのようだな。証拠内容を見るとこの目撃証言はきわめて曖昧な証言で、証拠として取り上げることを退けるのは妥当といえるだろうな。つまり妥当な証拠はすべて、「ゴビンダ無実説」と符合するのだな。 つまり「高裁〜最高裁は状況証拠によって有罪を導いたのではなく、あらかじめ組み立てられたストーリーに添って、重要な状況証拠を切り捨てることによってゴビンダさんを有罪に導いた重大な冤罪事件」ということになる。これじゃあ司法の自殺どころではないわい。司法による犯罪といわざるを得ないな。
主要な証拠の採用状況メモ
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帰納的な推論は、決して難しいものではありません。私たちが使っているごく普通の推理方法です。私たち一般の市民でも、本件証拠をよく読み込み、状況証拠の正しい評価、その全体論的な把握にもとづく帰納的な推理によってゴビンダさんの無実は自ずと明らかなのです。
この程度の証拠の吟味と、その推論になっていない推論で有罪が確定してしまう今の日本の司法の現実では、この日本に住むだれもが心当たりのない犯罪の犯人とされ、いわれのない囚人として人生を送らねばならないことになるだろう事を憂慮せざるを得ません。