伊藤孝司 WEB写真展
 朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)vol.2 (08年〜) 
  


朝鮮民主主義人民共和国で、膨大な量のビデオ映像・写真を撮影してきました。それらのうち、テレビや雑誌などで発表していない写真を中心にご紹介します。なお、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」ではなく「朝鮮」と表示しているのは、日本社会が大韓民国を「南朝鮮」ではなく「韓国」と呼んでいることに合わせたものです



2010年10月 平壌・金剛山

1年ぶりに平壌(ピョンヤン)訪れた。着いた翌日に「大同江(テドンガン)タイル工場」へ行く。見学者が多いため、立派な展示施設を設け、真っ赤な制服の女性従業員がカートで工場内を案内している。
この事業所の労働者は約3000人。タイル工場の操業だけでなく、原料の採掘や新たな工場施設の建設まで独自に行なっているという。CNC(コンピューター数値制御)が導入された工場内には労働者は少なく、埃っぽさはまったくなかった。
マスゲーム「アリラン」に初めて登場した「CNC」の文字。私が朝鮮で欧文表示を見たのはこれが初めて。「アリラン」は、その時の朝鮮の国家目標がよく分かるため、毎年見ている。
朝鮮は、2012年に「強盛大国の大門を開く」という。それに向けて、水力発電所などの大規模な建設工事が各地で行なわれている。平壌郊外の大城山(テソンサン)南側で、多くの人民軍兵士が投入されてテーマパーク「民俗公園」の建設が進む。
2012年に向け、平壌で100万戸の住宅建設が行なわれている。完成したばかりの、人民軍が建設したという28階建てで斬新なデザインの「芸能人アパート」を見に行った。ちょうど、家財道具を積んだトラックが次々とやってきた。高層アパートは、エレベーターがいつも動くことが必要。9月には、市内の交差点に信号機が設置された。計画停電が必要ないほど、平壌の電力事情はかなり改善されたようだ。
牡丹峰(モランボン)の「凱旋青年(ケソンチョンニョン)公園」が、6月1日にニューアルオープンした。営業開始時間は午後7時から。イタリアから輸入されたいくつもの最新でハードな遊具からは、若者たちの絶叫が響く。
「凱旋青年公園」内のファストフード店。ハンバーグとワッフルが売り。こうした店が平壌では増えた。
国営の総合農場として建設された「大同江果樹総合農園」。面積は735haもあり、95%がリンゴで、他はナシ・モモ・スモモを栽培。2008年に金正日(キム・ジョンイル)総書記がこの場所を選定し、工事が始まったという。
「総合農園」の案内人は、視察の客が多くて事務所へ戻る時間がないと語った。この農場や「大同江タイル工場」など、外資を導入していない大規模事業の成功例を外国人に見て欲しいようだ。
地下鉄構内の掲示板で、「労働新聞」に掲載された金正恩(キム・ジョンウン)氏の写真を見る人。金正恩氏が党中央軍事委員会副委員長に就任したことを、何人かに街頭で話を聞いた。「清津軽工業大学」からやって来た女子学生は「金正恩同志がいることで、金正日将軍の領導は一層徹底して実践されます。朝鮮の未来は明るく永遠です」と答えた。
党創建記念日の10日の午前中は、祝賀行事の中でもっとも重要な「閲兵式」が行なわれた。これはその「招待状」。軍事パレードは、兵士の一糸乱れぬ行進に続き、戦車とミサイルが次々と登場。新型ミサイルさえも外国メディアに公開したのは、核兵器という最強の武器を保有したため、いかなる通常兵器も隠す必要がなくなったということだろう。核兵器があるから、軍事費を削減して民生部門の拡充が出来るようになったという話も聞いた。
8日の夕方には「慶祝花火夜会」。「党創立記念塔」を舞台として打ち上げられる花火を、その東側の「金日成(キム・イルソン)花・金正日花展示館」前の広場から見た。9日はマスゲーム「アリラン」の招待公演。10日は、午前中の閲兵式と同じ金日成広場でマスゲームの夜会、。11日は音楽会と、大きな祝賀行事が続いた。
市内の各地で、祝賀行事へ参加するたくさんの人を目にした。党創立65周年で数多くの祝賀行事が行なわれたのは、後継者としての金正恩氏を国内・海外へお披露目するためである。朝鮮にとって、今回の党創立記念日は重要な転換点になるだろう。
金日成(キムイルソン)像の前で、写真屋の女性から記念写真を撮ってもらう一家。社会にコンパクトデジカメが一気に普及したが、まだまだ街頭で写真屋の姿を見る。
労働党創立記念日の10日、平壌市内の数カ所で、屋外での音楽公演が行なわれた。平壌駅前では、駅員たちによる歌や演奏が行なわれ、それを人々が取り囲むようにして鑑賞していた。
平壌体育館の前を車で通ると、平壌駅前よりたくさんの人が集まって演奏を聞いているのを見つけた。ここでは、おめかしした小さな女の子たちが踊っていたので、人込みをかき分けて最前列へ。
コンパクトデジカメが社会にかなり普及したためか、カメラを向けても以前ほど反発されないようになった。だが街頭でインタビューしたお年寄りの男性は、私の質問に答え終えると、日本の朝鮮敵視政策を批判した。
「金日成花・金正日花展示館」で何組かの新婚カップルを見かけた。一人の新郎にインタビューした。「金正日将軍を再び党総書記に推戴し、後継者である金正恩(キム・ジョンウン)大将同士を敬慕するのに、党創立65周年の意義深い日に結婚式をしました」と答えた。すると、それを聞いていた友人たちから大きな拍手が起きた。この後、50人ほどの職場の同僚が祝宴をしてくれるという。
一連の祝賀行事の取材が終わると、地方へ向かった。平壌郊外では、ちょうど稲刈りをしていた。まだ人力に頼らざるを得ないようだ。
八つの大きな池のような淵が並ぶ上八潭(サンパルタム)。平壌を出発した車は元山(ウォンサン)を経由し、私にとって初めての金剛山(クムガンサン)へ。この場所は韓国との軍事境界線に近いため、海岸線には侵入防止のフェンスが続き、数カ所で検問を受けた。
軍事境界線を越えて韓国と金剛山とをつなぐ道路。1998年に韓国の財閥である「現代(ヒョンデ)」がここでの観光事業を独占。だが、2008年の韓国人観光客射殺事件で事業は中断された。2010年夏に朝鮮による観光が再開されている。朝鮮国内だけでなく、平壌から入国した中国・日本(在日朝鮮人を含む)・米国・マレーシア・香港・台湾からの観光客が来ているという。私が宿泊した金剛山ホテルでは、ドイツ人とドイツ在住コリアンの人たちを見かけた。
2010年4月、韓国が建設した施設群は朝鮮によって資産凍結された。そのためここには人影はまったくない。
例年よりも遅れたという紅葉がちょうどきれいで、奇岩と織り成すすばらしい絶景を堪能した。
どの登山コースも、朝鮮国内の団体客でにぎやかだった。動きやすい出で立ちながらも、女性はオシャレな帽子にカラフルな服という人が多い。景色の良い場所では、仲間で写真を撮りまくっていた。来年の紅葉シーズンには、韓国人観光客の姿はあるだろうか。



2009年10月 平壌・清津

6カ月ぶりに訪れた平壌(ピョンヤン)で最初に目についた変化は、女性警察官が大きな傘の付いた台に乗って交通整理をしていたこと。それまでは、交差点の真ん中に白く描かれた円の中に立っていた。寒くないように、台にはヒーターが入っているという。
久しぶりに「朝鮮労働党創立事績館」へ行ってみた。案内人の後方は、1945年の解放からすぐに党中央委員会として使用された建物。
「朴善行(パク・ソンハン)記念館」へ初めて行った。金正日(キム・ジョンイル)総書記の指示で修復され、2007年に公開されたという。この女性は、日本の支配下で民族運動のために多額を寄付。1928年には、この「平壌公会堂」を建設した。
平壌の街から東へ約25kmにある「東明王陵(トンミョンワンルン)」。日本支配時代に盗掘され、遺物はほとんどなかったという。玄室の壁には29種類の壁画が描かれており、この周辺には20余基の古墳がある。2004年に、ユネスコの世界遺産に指定。
「東明王陵」を1974年に発掘した際、「定陵寺(チョンルンサ)」の跡が見つかった。1993年に復元。僧侶がお経を上げてくれた。
「祖国解放戦争勝利記念館」の若い案内人。年配の案内人は、カメラを向けると顔をそむける人が多い。
金日成(キム・イルソン)主席生誕100年の2012年に、「強盛大国の大門」を開くとしている。マスゲーム「アリラン」は毎年のように観ている。基本的な構成は決まっているが、年によって少しずつ異なっているからだ。
「アリラン」本編の後に、中国との親善・友好を謳った10分間ほどの公演が加えられていた。10月4日に訪朝した中国の温家宝首相のためにこの部分が上演され、その後も続けられていたのだ。
板門店(パンムンジョム)で解説する人民軍将校。今までは簡単なインタビューには応じてくれたが、今回は拒否された。
開城(ケソン)の民俗保存区域。開城をユネスコ世界文化遺産指定するため、それに支障のある解放後に建設された建物の撤去作業も行なわれていた。道路の舗装もきれいになり、街全体に落ち着きが出てきた。
開城の「高麗博物館」の中庭で踊る地元の人たち。小さな女の子が、お祖母ちゃんに教えられながら一生懸命に踊っていた。
労働党創建記念日という祝日と日曜日が続いたので、みんなで踊りに来たとのこと
開城で有名な料理は参鶏湯(サムゲタン)。私は韓国では何度も食べたが、本場はさすがにうまかった。
開城から平壌へ戻る途中で寄った水曲(スゴク)休憩所の女性たち。ネスカフェのインスタントコーヒーを飲む。

平壌発東満江(トゥマンガン)行きの列車で清津(チョンジン)まで行く。乗ったロシア製の寝台車は、モスクワ行きとのこと。清津へ行った目的は、かつて建てられていた場所へ戻った北関大捷碑を撮影すること。2006年の取材では、開城までしか同行できなかったからだ。

北関大捷碑の案内人。碑は後方の建物に収蔵されている。日本人で、吉州(キルジュ)にあるこの碑に来たのは私が始めてとのこと。
清津から南へ下った七宝山(チルボサン)の近くには、外国人観光客向けのたくさんの民宿がある。この日も中国人観光客たちが泊まっていた。中朝国境から観光バスで来ているという。
清津で泊まったホテルの部屋から見た住宅地。建物は古いものの良く手入れされている。
住宅地の中で電線のようなものを修理していた。地方都市のインフラ整備は遅れている。
七宝山(チルボサン)は山の中にまで道路が造られ、景勝地にたくさんの観光客が訪れていた。
国内からの若い女性たちのグループは、デジカメの前で同じようにポーズをつけている。
山の中には金・銀・珊瑚など七つの宝がある、という言い伝えから「七宝」の名が付いた。
岩の隙間を男女が向き合ったまま抜ける。そのことに意味があると聞いたが、メモをしていなかったので不明。女性ははにかみながらも、知人の男性の求めに応じる。ほほえましい光景だ。



2009年4月 平壌

街のいたる所には、4月15日の金日成(キム・イルソン)主席誕生日を祝う華やかな看板が立てられていた。
4月15日の祝賀行事の練習から戻る若い女性たち。重要な祝日の前になると、造花を持って街の中を歩く女性たちの姿が見られる。
祝賀行事の一つとして「4月の春 親善芸術祭典」が開催された。改装された「平壌(ピョンヤン)大劇場」では、ロシアの三つの団体による公演が、ロシア語での「金日成将軍の歌」から始まった。公演後には、キム・ギナム労働党中央委員会書記が舞台に上がった。
公演が終わり、出演者たちに拍手を送る観客たち。女性たちのチマ・チョゴリが美しい。
4月15日は朝から雨が降った。そうした中を、金日成主席の銅像には献花の人波が続いた。小さな女の子も、最大限のおめかしをして銅像に向かう。
急に雨が激しくなった。だが献花の前に、みんなで記念写真。
祝日の平壌の大きな建物はライトアップされる。いつも思うが、祝日は街のようすが普段とはまったく違う。
休日には、この大同江(テドンガン)や普通江(ポトンガン)は、ボート遊びの人たちでにぎわう。
牡丹峰(モランボン)にある乙蜜台(ウルミルデ)の前で、記念写真を撮る一家。子どもには軍人が人気のようだ。
牡丹峰でスケッチをする青年。休日の街の中では、絵を描く人の姿を時々目にする。
「万景台(マンギョンデ)学生少年宮殿」の前で、海外からの参観者たちを待つ少女たち。
15日の夕方からは天候が回復。「金日成広場」から「主体(チュチェ)思想塔を見ると、すべての建物が黄金色に輝いていた。
上の写真を撮って「金日成広場」の方へ振り返ると、広大な広場が見たこともない色に染まっていた。


2008年9月 平壌

建国60周年を祝う装飾がされた平壌(ピョンヤン)駅。今までに見たことのないほどたくさん飾り立てられ、夜間にはライトアップまでされた。

建国記念日の9月9日を祝う看板。平壌市内はまざまな装飾がされていて、普段とはまったく異なる華やかな街になっていた。
建国された1948年と現在とを示す平壌駅前の大看板。
平壌駅前の公衆電話。電話交換の設備が良くなったため、家庭への電話普及が進んだ。
停留所で長い列をつくってバスを待つ人たち。
平壌駅前の出店で買い物をする人々。子どもたちは、どこかでもらった凧を持っている。
栄光通を走る古いトロリーバス。レトロでシンプルなデザインが良い。
穏やかな時間が流れる祝日の平壌市内中心部。年配の女性が、荷物を頭に載せて歩いている。
子どもたちは、外国人がカメラを向けても気にもしない。
平壌市内の幹線道路のところどころには、大量の国旗が掲げられていた。
平壌市民の重要な足になっている地下鉄。早朝の地下鉄入り口には、始発電車を待つたくさんの人の姿がある。
きれいなチマ・チョゴリを飾っているショーウインドーに見入る女の子たち。
臨時に設けられた出店に、人々が群がる。平壌市人民委員会は、建国60周年に人々へ供給するため、傘下工場で酒・菓子・砂糖・ジュース・ビール・油・毛布・スニーカー・長靴・レインコートなどの生産をしたという。
交通整理の女性警察官。建国60周年に合わせて、平壌市中心部の道路は軍隊を動員して舗装を新しくした。
建国60周年の祝日は3日間続いた。さまざまなイルミネーションが輝く夜の街を回ってみた。
平壌市内のどの公園も噴水がライトアップされ、たくさんの家族やカップルがくつろいでいた。別の公園では、宣伝カーから流れる音楽に合わせてたくさんの人が踊っていた。私がビデオカメラで撮影していると、自国のカメラマンだと思ったらしく「いつ放送するのですか」と何人もが聞いてきた。
平壌市内の公園で写真を撮っている人たち。コンパクトデジカメが、驚くほど急速に市民に普及している。誰のカメラも日本製だった。

「金日成金正日花展覧館」が、今年は建国60周年に合わせて公開された。良い背景で写真を撮ろうとする人々が、長い行列をつくっていた。

参観者はほとんどが家族づれ。どのお父さんも、わが子の写真を撮るのに忙しそうだった。
「金日成金正日花展覧館」での花の管理と説明のために、自分の職場から派遣された女性。出品する事業所や団体は、専用の立派な温室で育てた花と趣向を凝らした展示で競い合う。
指をさしながら、子どもに展示内容を説明する母親。
建国60周年祝賀のために新たに作られたマスゲーム「繁栄あれ祖国よ」。9月8日に行なわれた招待公演は政府の指導者たちも参観。そのため警備は厳重を極め、観客のカメラの持ち込みは禁止された。
「背景台」では、中学生たちがカラーボードを次々と取り替えて文字や絵を描く。4年目となる巨大マスゲーム「アリラン」よりも動きがあった。
ショー的な要素の多い「アリラン」よりも「繁栄あれ祖国よ」は体育的に感じた。
招待公演なので観客はすべて正装。女性たちのチマ・チョゴリが鮮やか。マスゲーム「繁栄あれ祖国よ」は、8月12日から綾羅島(ルンラド)のメーデースタジアムで行なわれた。
数万人の学生らが出演。行なわれた模範演技は、リズム体操・旗体操・棒体操・ハーフフープ体操・テコンドーなど数十種という。
公演終了後、会場の前は観客と出演者とで大混乱に。
観客の女性兵士とチマをたくし上げた女性。解放感からか、外国人がカメラを向けても平気だった。
9月9日、建国60周年のメイン行事・労農赤衛隊閲兵式が金日成(キム・イルソン)広場で午後6時から行なわれた。
金日成広場北側のメインの観覧席。ひさしの下に政府高官らの観覧席がある。この閲兵式は「絶対に撮影ができない」と聞かされていたが、会場へ向かう直前に「可能になった」との連絡。金正日(キム・ジョンイル)総書記の出席はないと直感した。
目の前で次々と繰り広がられる一糸乱れぬ行進は、予想以上の迫力だった。
男性兵士たちの行進を良く見ていて、両足とも地面から離れていることに気がついた。この行進は大変な体力が必要とのこと。
労農赤衛隊は、1959年に金日成主席の指示で創設された労働者・農民による非正規軍。
正面の観覧席は、平壌在住の外交官や海外からの招待客で埋め尽くされた。「よど号グループ」も、家族づれで観覧していた。
正規軍ではないため、パレードに登場したのは小型兵器だった。
約1時間で閲兵式は終わり、同じ場所での「タイマツ夜会」までは休憩時間広場の東側と西側には仮設の観覧席が設けられていた。
午後8時から始まった「タイマツ夜会」のクライマックス。約1時間にわたって、タイマツと花火によるショーが繰り広がられた。


2008年6月 開城・平壌
開城(ケソン)市の北東に位置し、風光明媚な自然の中にたたずむ霊通寺(リョントンサ)。2005年10月31日の落成式には、韓国から天台宗の信徒も多数参加した。
霊通寺の本堂内部。僧侶がお経を上げてくれた。2006年5月には、日本各地の僧侶79人による「聖地巡礼訪朝団」が、平壌の広法寺・妙香山の普賢寺などと共に霊通寺を訪れている。
霊通寺には7人の僧侶がいるとのこと。韓国からの開城日帰り観光のコースにも組み込まれており、見学者へ案内も忙しそうだ。駐車場には、昨年8月にはなかったみやげ物屋が出来ていた。
高さ330メートルの柳京(リュギョン)ホテル。1987年に着工されたものの長らく中断されていた。2008年4月、エジプト資本を導入して建設は再開された。
2008年9月9日の建国60周年に向けて、マスゲームの練習が平壌市内あちこちの広場で行なわれている。巨大マスゲーム「アリラン」とタイマツ行進などの準備をしているようだ。
「三大革命展示館」の「重工業館」に展示されている、韓国との合弁企業「平和自動車総会社」で生産された自動車。南浦(ナンポ)工業団地で6車種を生産しているが、輸出はしていない。平壌市内で目にする機会が増えた。
平壌空港で見た、韓国・金浦(キムポ)空港行きの便の案内表示。韓国・アシアナ航空のチャーター便は以前から行き来していたが、「JS」表示の高麗航空機を使ってのチャーター便を飛ばすようになった。
「祖国解放戦争勝利記念館」には、米軍から鹵獲した兵器など朝鮮戦争に関する展示品が並ぶ。その中に、米軍が各地に投下した細菌爆弾もある。
細菌爆弾には、細菌で汚染された昆虫が詰められていた。その昆虫の標本が、採取した地域に分けて展示されている。核申告が行なわれた6月26日の翌朝に「祖国解放戦争勝利記念館」へ行ってみたら、案内人の女性は以前のような激しい米国批判をしなかった。
6月27日に、「よど号」ハイジャック事件の容疑者・若林盛亮(もりあき)さんへの単独インタビューを行なった。「欧州留学生拉致事件」へのメンバーの関与、帰国問題について約80分間にわたって語った。その内容は、TBS「NEWS23」7月4日放送の特集と、講談社『週刊現代』7月26日号で発表。
核開発の申告と核関連施設の冷却塔爆破についての人々の反応を知りたいと思い、6月27日の夕方に地下鉄へ行ってみた。長いエスカレーターを歩く人はいないが、座っている女性がいた。
「平壌学生少年宮殿」での公演を鑑賞する子どもたち。同年代の子どもたちの歌や踊りへの感想を話すヒソヒソ声が、あちらこちらからずっと聞こえた。
蒼光(チャングヮン)幼稚園の子どもたち。英才教育に熱心なのは、政府よりも親の方のようだ。1982年に設立されたこの幼稚園では、約800人の園児を約150人の職員が世話をする。親は子どもを月曜日に預け、土曜日に迎えに来る。


メディアの皆様へ
伊藤孝司は、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)を1992年以来ひんぱんに訪れ、膨大な量のビデオ映像・写真を撮影・発表してきました。その中には、外国のメディアやジャーナリストがそれまで実現できなかった取材も数多くあります。そうした経験を生かし、朝鮮取材の計画立案・関係機関との交渉・現地でのコーディネートなどをお引き受けします。なお、ここに掲載している写真とほぼ同じビデオ映像があり、有料でお貸しすることもできます。連絡はitoh-takashi★nifty.com(★を@へ置き換え、全文字を打ち込んでください)へ。


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