強制連行・強制労働
アジア・太平洋戦争において日本は、朝鮮人を中心に膨大な数のアジアの人々を強制的に連行して過酷な労働などを強いた。
●朝鮮人への「徴用」と「徴兵」
金世国(キム・セグ) 1926年生まれ |
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金到隣(キム・チリン) 1924年生まれ |
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崔翼天(チェ・イクチョン) 1923年生まれ |
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安成徳(アン・ソンドク) 1929年生まれ |
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金永吉(キム・ヨンギル) 1917年生まれ |
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強制連行によってサハリンで暮らし続けてきた父親を、韓国の息子が訪ねて来た。敗戦後、日本政府はサハリンにいた日本人約30万人を積極的に帰国させたが、朝鮮から連行した朝鮮人約4万3000人は置き去りにした。(撮影地=ロシア・サハリン) |
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鄭商根(チョン・サングン) 1921年生まれ |
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洪鐘黙(ホン・ジョンモク) 1919年生まれ |
●朝鮮人女性への強制連行
李鐘淑(イ・ジョンスク) 1931年生まれ |
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金恵玉(キム・ヘオク) 1931年生まれ |
●「浮島丸」と「太平丸」
孫東培(ソン・トンペ) 1916年生まれ |
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朴載夏(パク・チェハ) 1923年生まれ |
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黄宗洙(ファン・チョンス) 1926年生まれ 「朝鮮人の軍属1000人が小樽で『太平丸』に乗せられました。目的地の北千島パラムシル島の近くで、米軍の潜水艦に2発の魚雷で沈められたんです」(撮影地・朝鮮民主主義人民共和国・平壌市) |
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全(チョン)クムドル 1922年生まれ |
●先住民族の「日本兵」
台湾先住民族の元軍人・軍属とその遺族が、日本政府に補償を求めてデモをした。先住民族は「高砂義勇隊」などとしてフィリピンやニューギニアの激戦地に送られ、多くの死者・負傷者を出した。(撮影地=台湾・台北市) |
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サハリンに暮らす先住民族のウィルタとニブヒの青年たちは、日本軍によってソ連との国境警備やソ連領内での偵察活動をさせられた。日本の敗戦によって、先住民族56人がソ連軍に捕まりシベリアへ送られた。(撮影地=ロシア・サハリン) |
●インドネシア人「兵補」
インドネシアを占領した日本軍は、インドネシア人青年5〜6万人を「兵補」という名の補助兵力として集めた。軍属であるのに日本軍の各部隊に配属され、インドネシアの外にまで送られて戦闘に参加した。(撮影地=インドネシア・スカブミ) | |
タイに暮らしているインドネシア人元「兵補」たち。敗戦後、日本はアジア各地に送った「兵補」を帰国させず、その国へ置き去りにした。そのため、インドネシアから遠く離れたタイには、帰国することができなかった人たちがいる。(撮影地=タイ・バンコク) |