アジア・太平洋の戦争遺跡
かつて日本が植民地支配や侵略したアジア・太平洋の国々には、その遺跡が数多く残っている。
●植民地
朝鮮を支配した日本は、王宮に立ちふさがるように「朝鮮総督府」を建設。韓国政府は、解放50年にあたる1995年に撤去を開始した。(撮影地=大韓民国・ソウル市) | |
「内鮮一体」と彫られた大きな石碑。日本と朝鮮は一つという意味で、「朝鮮総督府」がおこなった同化政策の標語。(撮影地=大韓民国・「独立記念館」) | |
「西大門刑務所」の入り口。3・1独立運動の指導者の一人である柳寛順(ユ・ガンスン)は、拷問の末にこの刑務所で獄死させられた。(撮影地=大韓民国・ソウル市) |
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朝鮮を支配した日本は、朝鮮の「気」を断つために朝鮮各地の山に鉄棒を打ち込んだ。(撮影地=大韓民国・「独立記念館」) | |
「朝鮮総督府」の米袋。農民たちは「供出」の名のもとに米を取り上げられ、綿などの栽培を強要された。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・「革命博物館」) |
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日本による植民地時代に、朝鮮の農民が着ていた服。(撮影地・朝鮮民主主義人民共和国「革命博物館」) | |
今も残る「台湾総督府」の建物。「日清戦争」の結果、日本は台湾の植民地支配を開始。それは50年間にも及んだ。(撮影地=台湾・台北市) |
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「霧ケ丘神社」の跡。「台湾総督府」による過酷で差別的な支配に対し、霧社で暮らす先住民族・タイヤルたちが立ち上がった。(撮影地=台湾・霧社) | |
日本とソ連(当時)との国境に立てられていた石の標識。日本は敗戦まで、樺太(当時)の北緯50度より南を領有していた。(撮影地=ロシア・サハリン) |
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木造の校舎は朽ち果てたが、コンクリート製の「奉安殿」だけが残った。日本は樺太に住む先住民族に対しても公民化教育をおこなった。(撮影地=ロシア・サハリン) | |
日本軍が設置した大型の砲。日本は「南洋庁」を置いて、マーシャル諸島・マリアナ諸島・カロリン諸島を25年間にわたって統治した。(撮影地=マーシャル諸島・ミリ島) |
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日本軍のトーチカ。アジア太平洋戦争中、ミリ環礁チルボン島では朝鮮人軍属約60人と住民たちが日本軍に殺された。(撮影地=マーシャル諸島・ミリ島) |
●占領地
日本軍が香港で発行した「良民証」という名の身分証明書。1941年12月に日本軍は香港を占領し、「総督部」による軍政をおこなった。(撮影地=香港) |
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香港に残る「軍票」の束。日本は「軍票(軍用手票)」を発行し、香港ドルとの交換を住民に強制した。日本敗戦後、全財産は紙くずと化した。(撮影地=香港) |
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かつてのニューギニアには、日本軍の兵器などが各地に残る。飢餓状態に置かれた日本兵たちは、人間の肉まで食べた。(撮影地=パプアニューギニア・マダン) |
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日本軍の戦闘機。日本軍は住民たちに奴隷のような労働を強要し、飛行場や港を各地に建設した。(撮影地=パプアニューギニア・ラバウル) |