ダム建設 


●インドネシア

日本の政府開発援助(ODA)は、世界各地で人権侵害を引き起こし環境・文化に深刻な被害を与えてきた。インドネシアのスマトラ島中部には、日本がODAで建設したコトパンジャン・ダムがある。日本のODAがどのようなものなのかを、コトパンジャン・ダムの現状は示している。
コトパンジャン・ダムが完成したのは1996年3月。ダムの高さは58メートル、長さは257・5メートル、貯水量は15億4000万立方メートル。このダムの発電容量は11万4000キロワット。「リアウ州の急増する電力需要を賄う」(「国際協力事業団」報告書)ことをおもな目的としている。
深い緑が続く熱帯林の中に広大なダム湖が広がっている。熱帯林をぬって流れる川は上流から養分を運び、川沿いに豊かな土地をつくり上げた。人々は主にゴムの採取をし、ドリアンやジャックフルーツなどの果樹を売って恵まれた生活をしてきた。だがダムによって、10カ村の4886世帯、約2万3000人もが立ち退かされ、水没していない3カ村も冠水被害を受けた。
ダム建設によって放棄されたモスク。インドネシア・スマトラ島中部の西側に広がる高原地帯にはミナンカバウという民族が暮らす。イスラム社会は父系社会が基本だが、敬虔なイスラム教徒であるミナンカバウたちは母系社会を今も守り続けている。ここには、独特の伝統と文化が保たれてきた。
ダム湖へ貯水する際に、水没する樹木は伐採されなかった。そのためそれらは腐敗し、水質を悪化させた。
ミナンカバウの伝統的家屋・ルマガダンの数多くがダム湖に沈んだ。
ダム湖に沈んだ村の上をボートが進む。ここで暮らしていたお年よりは、かつての村のようすをつぶやくように語り続けた。
ダムで立ち退かされた人たちは、与えられた住居を「ヤギ小屋」と呼んでいる。約束されていた半恒久的な物とはほど遠い貧弱な木造家屋だからである。すでに屋根や壁がかなり破損してしまった。しかも屋根には発ガン物質のアスベストが使われている。
使われないために草の生えている移住地の井戸。水質が悪くて、飲料水として使うことができないのだ。移住地には、水や仕事がないためここを出て行った人たちの住居跡が目立つ。
「海外経済協力基金(OECF)」(現在の「国際協力銀行」)が建設し、その名が表示されている立派な井戸。この井戸の水も水質が悪くて飲むことはできない。住民たちは、何キロも歩いて小川で水を汲んでいる。

移住した世帯には2ヘクタールのゴム園を用意するという約束だった。ところが実際には、ごくわずかなゴムの木が道路沿いに植えられていただけだった。その面積は、「ゴム園」全体の5〜10パーセントしかいない。しかもゴムの採取がまだできない幼木ばかりなのだ。

11〜12世紀に建てられたムアラ・タクス仏教寺院遺跡。ダム湖の水際にあるため、洪水時には水没する危険性がある。「国際協力事業団」報告書で「堤防を設けて浸水を防ぐ」としていたが、いまだに建設されていない。
ダムのために一度は放棄された村に、多くの住民が戻った。タンジュン・バリット村は、雨季でダム湖が満水状態になっても多くの民家が水没しない。ダム湖の水位が上がって冠水した道路を住民たちが行き来している。
住民無視の援助を行なった日本の責任を問うため、15カ村の約8000人の住民が日本の裁判所に提訴。コトパンジャン・ダムのような最悪なODAが続くのは、援助を必要としている人たちにではなく、日本企業の利益や「国益」によって援助先が決められることが多いからだ。「援助」先の住民を苦しめるようなODAは必要ない。



●フィリピン

フィリピン・ルソン島北部を流れるアグノ川。川にへばりつくように、先住民族・イバロイが暮らすダルピリップ村がある。この下流に、アジアで最大級のサンロケダムが建設された。
アグノ川での砂金採り。自給自足に近い生活をしているダルピリップ村にとって、貴重な現金収入をもたらしてきた。だが、ダムが完成したためにできなくなるのではと危惧されている。
アグノ川に土砂が流れ込むのを防ぐために、たくさんの砂防ダムが建設された。だがどれも、すでに土砂で埋ってしまった。

ダルピリップ村の上流側にある二つのダムのダム湖は、土砂で完全に埋まってしまった。村人たちは、サンロケダムでも堆砂による被害が起きると建設に強く反対してきた。

2002年7月、ダム建設での立ち退きを拒否していた住民たちの住居を、軍隊に守られたフィリピン電力公社が破壊した。

立ち退いた住民たちが暮らすカマンガン集団移住地。「約束されていた仕事の斡旋や職業訓練は実施されていません。私たちはだまされたんです。元の生活に戻りたい」と住民は語った。

集団移住地では仕事がない。学校に通うことのできない子どもたちも増えた。そのため、移住地から出て行った人たちの空き家が目立つようになった。

サンロケダムは、日本の電力会社などが設立した「サンロケ電力」が建設。電力を販売するのが目的なのだ。建設資金は、日本の政府系金融機関「国際協力銀行」などによる融資。それは私たちの郵便貯金や年金による財政投融資である。

2000年3月、ダム建設反対運動の先頭に立ってきたルイーザ・ベジタンさんは建設現場を訪れた。「イバロイにとって、サンロケダムは死を意味します」と語った。

2003年5月、サンロケダムでの商業発電が開始された。開業式典はマニラの大統領宮殿で行われた。このダムは国家的事業なのである。
ダム本体に設けられた、洪水時にダム湖の水を排出するための洪水吐き。
ダム本体の上部から見たダム湖。ダムの高さは約200メートル、長さは約1・1キロメートル。土や岩を台形状に盛り立てて造るロックフィルダムである。

日本で暮す私たちの郵便貯金や年金を使った日本の民間企業による大規模な事業が、先住民族の暮らしと環境を大きく破壊している。

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