オーロラ自由会議


1998年度・連続講座「戦後文学」を検証する

第1回レジュメ
〔1998年5月23日〕山 口 泉

■この講座は何をめざすかbbとりあえずの基本方針
 ・きょう私はなにを考えているか(インドの核実験とインドネシアの政権交代)
 ・いま何が起こりつつあるか(死刑執行の危機と電子メディアを巻き込む思想統制)
 ・精神の戒厳令状態が完成した現在の思想状況
 ・果たして“文学講座”などやっている場合か? 
 ・メディアとしての「オーロラ自由会議」bb相互批判の相互交流
 ・今後5年間の方針
 ・同時代批評としての“文学講座”
 ・この講座の暫定目標

■「文学」という概念を救出すること 
 ・制度圏表現と非制度圏表現
 ・「文学」という概念を社会構造のなかで有機的に捉えなおすこと
 ・「文学」の判定権は誰が持つか
 ・近代“日本文学史”の欺瞞
 ・北代色さんの「表現」を「文学」の原器として
 ・しかも何者をも神格化しないこと

■「戦後文学」とは何か
 ・「戦後」とは何か
 ・「戦後民主主義」とは何か
 ・「戦後文学」とは何か
 ・これまでされてきた「戦後文学」という定義の誤り
 ・「戦後文学」は、いまだ完成していない

■核となる幾つかの主題
 ・この「講座」は何をめざすか(既出) 
 ・「戦後」および「戦後文学」とは(既出)
 ・代前葉からの底流(啄木の部分的顕彰と賢治批判、自然主義の雪冤を中心に)
 ・戦前からの底流(プロレタリア文学の再検討、および私の好きな表現者) 
 ・十五年戦争中の“日本文学”関係者(戦犯文学者・小林秀雄一派と親日派朝人、
  太宰治・石川淳・坂口安吾らと“抵抗詩人”たち、「近代文学」同人たち)
 ・1945年8月15日とは何だったか(何がどのように変わったのか)
 ・「戦後」の出発点(日本と朝鮮)
 ・戦後「転向論」の茶番(「戦後日本」の思想史の没倫理性の根源)
 ・埴谷雄高を読む/竹内好を読む/丸山真男を読む
 ・詩人たちとその「戦後」(黒田喜夫をはじめとして)
 ・作家たちとその「戦後」(小林勝をはじめとして)
 ・批評家たちとその「戦後」(本多秋五をはじめとして)
 ・その他の作家たちの復権(私の好きな表現者たち)
 ・国家主義者たちとその「戦後」(三島由紀夫をはじめとして)
 ・「戦後日本」と差別
 ・在日外国人表現者にとっての「戦後」(在日朝鮮人表現を中心に)
 ・アジア諸国の表現者にとっての「戦後」(韓国文学、および東南アジア文学を中心に) 
 ・非アジア圏の「戦後」文学を瞥見する
 ・これでも“日本文学”は「文学」の名に値するか? 
 ・“日本文学”は「文学」ではない
 ・課題として残されたもの=すべて
 ・誰がどのように「引き受ける」(?)か

■できれば次回までに読んでおいていただきたいもの

■補足・質疑応答・討議

【配布資料】

資料1 山口泉『「日本文学」の世界戦のために』第1信(「文藝」1993年冬季号)

資料2 山口泉『虹の野帖』第1回(部分)「誰が『戦後』を生きたというのか」
(「世界」1995年11月号)

資料3 山口泉『同時代を読む』第43 回「『沖縄の心』の声はどこにあるか」
(「信濃毎日新聞」1998年4月24日)

資料4 山口泉『同時代を読む』第47 回「いま『民衆』の声はどこにあるか」
(「信濃毎日新聞」1997年12月26日)

資料5 北代色『手紙bb夕やけがうつくしい』(「にんげん」解放学校用)

資料6 谷透『いざない』(「国鉄新聞」第2511号)

資料7 銭座明日香『お父さんをJRにもどして』
    澄田百花『私の夢』
    光富理恵『お父さんを国鉄にもどして』
(『JRで働くお父さんを見たい』国鉄労働組合・国鉄清算事業団闘争に連帯する会)