「アジア、冬物語」総目次+内容解説



第1編 1989年・陽春

第1章 “ファンンタジー”の時代の生と死
  【“文学”の前衛に見る現在の「言葉」の衰弱や疑似「哲学風」アニメの危険性を分析】
第2章 「教育する」とはどういうことか?
【畑山博『教師宮澤賢治のしごと』の問題点と、欺瞞としての「教育」「学校」制度。】
第3章 幸福な大藝術家の偉業 
【追悼・手塚治虫。この漫画家の最晩年の作品論と著者との個人的記憶。日本の戦後漫画の栄光と限界。】
第4章 “言論の自由”の根拠について 
【本島等・長崎市長の発言に対し“進歩的文化人”らは、なぜ沈黙し続けるのか?】
第5章 階級分化してゆく女性たち 
【「女性が解放された」などというのは嘘。女性たち自身の間に階級分化と再差別が進んでいる。】
第6章 国民のゲームとしての〔政治〕 
【日本で「有権者する」ことの屈辱。『シアターアッパレ』の業田良家に直撃インタビュー。】

第2篇 1989年・真夏

第7章 魂の問われる時代、ふたたび……
  【B・ピーボディ『慟哭の部屋』評。また、エイズの時代に北条民雄の内実を再検討する。】
第8章 いま、朝鮮半島で起こっていること 
【林秀卿(イム・スギョン)さんが三八度線をめざし歩き始めた。日本人はどうしたらいい?】
第9章 言葉は戦争に対して何ができるか 
【“反戦”映画・“反戦”文学とは、何か。現在の「平和」は無数の「戦争」から成っている。】
第10章 美術の王道――ゴッホ、草炎、ジャコメッティ
【人間はなぜ絵を描くのか。日本ににも、ほんとうに凄い作品を残した画家がいた。】
第11章 「科学」という名のイデオロギー 
【“人間的な科学技術”など、あり得ない。高木仁三郎氏の最新論文への疑問を展開。】
第12章 “第三世界”が証言する世界史 
【そもそも“第三世界”とは何か? わが国の自称「アジアのスペシャリスト」たちの貧しさ!】

第3篇 1989年・秋と冬の初め

第13 水俣の現在・私たちの現在 
【「水俣」は「チェルノブイリ」の前章ではない。“運動”に置ける「支援」と「当該」の隔たり。】
第14章 中国の若い友への手紙 
【天安門事件後、帰国命令に従った留学生Qさんへ。文化大革命・総否定の風潮が支配的だが……。】
第15章 労働侮蔑型文明繁盛記 
【立原あゆみ『JINGI』に見るエリート・ヤクザのすすめ。いまや日本は総暴力団金融社会に……。】
第16章 粒子・鼓動・波――音楽 
【音楽とは決して西欧クラシックだけではない。アフリカやアジアのリズムに耳を傾けてみよう。】
第17章 擬似“平等”主義が深める〔差別〕
  【いまなお「差別」はなくなっていない。それが認識されないこと自体「差別」なのだ。】
第18章 人が「障害者」であるとは――
【まず“障害者”“健常者”という雑駁な人間観を棄て去ろう。一体“障害者”とは何なのか?】
第19章 不幸なき国・1989年 
【現代史の巨きな転機となるらしい時代の始まり。「たま」はメジャーデビューしてしまったが……。】

第4篇 1989年・冬深く

第20章 〔共生〕と〔共死〕のあいだ 
【東大助手・最首悟氏の思想を検証。「労働」と「労働」と「疎外」、「権力」と「自由」のかだいは、いま。】
第21章 精神の自由を頽廃させるものは、何か? 
【本島氏が撃たれた。『七三〇〇通の手紙』なる悪書はメディアの衰弱を象徴する。】
第22章 所有・被所有の関係を超えて 
【急速に進みつつある“資本主義の大勝利”キャンペーンの傍らで、異議は圧殺されつつある。】
第23章 いま、“精神医療”とは…… 
【「精神病」とはそれ自体が丸ごと「医源病」に他ならない。真に望まれる「医療」とは?】
第24章 二人の文学者――上野英信と黒田喜夫 
【いまこの広告コピーの時代にこそ輝きを増す、真の「言葉」と「思想」の仕事。】
第25章 誰のものでもない子どもたちへ 
【子どもの問題が資本主義の最深部をなす。このころの『ちびまる子ちゃん』は面白かった。】

第5篇 1990年・春から夏へ

第26章 アジアへ、イメージよりも深く――
【関川夏央『「坊ちゃん」の時代』を知的アクセサリーにしていては歴史は分からない。】
第27章 いまなお死刑を残す国に生きて 
【あなたはいま「死刑」のある国に生きている。よくその恐怖に耐えられるものだ!】
第28章“八〇年代の疲れ”・「戦場はここにある」読書日記 
【日本はついにこんな国になってしまった。どうしよう?】
第29章 〔事実〕のメディアとしての写真 
【写真は「事実」の、「歴史」の一回性の記録装置として、その根源的な力を発揮する。】
第30章 日米安保条約三十年の意味するもの 
【『沈黙の艦隊』を「スリリングな国際ドラマ」として絶賛する政治学者のいる時代では……】
第31章“都市論”・“東京論”・“江戸論”ブームの恥ずかしさ 【“江戸文化タレント”たちへ。せめて荷風の屈折に気づこうね。】

第6篇 1990年・真夏


第32章 小さな趣味――折り紙の楽しみ 
【「生きているハチ公」の頭を撫でた“ミスター折り紙”(90歳)の代表作を、あなたも。】
第33章 〔正義〕の無償性について 
【徐勝(ソ・スン)氏の体験が語る「正義」の厳しさ。それにしても近年のキム・ジハは変だぞ。】
第34章 魂をつなぐ協奏曲――小林多喜二・小林三吾兄弟の生と藝術 
【多喜二の弟、三吾さんの話。ベートーベン作品61を聞こう。】
第35章 国鉄“分割・民営化”の爪痕 
【 一部の突出した労働者と国民大衆との分離工作は、ついに未曾有の国家的横領を実現した!】
第36章 忍苦と憧憬/タイ・ラオス紀行氈@
【“アジア版ペレストロイカ”が進むと言われるラオス。だが、その素顔は……。】
第37章 肌色の太陽/タイ・ラオス紀行
【タイとラオス。国境を接するインドシナ半島の両国が体現する二つのイデオロギーの差。】

第7篇 1990年・秋および冬

第38章 “前衛”の“消滅”? 
【土方巽の弟子たちの「踊ることの根拠」のなさ。戦後日本に実は“前衛芸術”などなかった。】
第39章 飲めや歌え! 超国家主義・新世紀 
【「自由」と「平等」の理念は終焉しつつある。真の「社会主義」国はどこにあったか。】
第40章 釜ケ崎が撃とうとしたもの 
【“暴動”直後のあいりん地区へ。そうではない者が「釜ヶ崎の労働者との連帯」を安易に語るな。】
第41章 東祖谷山村探訪記 
【四国山中の過疎の村を訪ねる。“フィリピン花嫁”問題を「農家の悲劇」とするのは悪質なすりかえだ。】
第42章 現世神の使徒たちへ――週刊《ビッグコミックスピリッツ》を読む
【まさに「現在」の聖典たる劇画誌はこう読んでみよう。】
第43章 この地上に、ただ一人たりとも……“差別”論議の欺瞞と傲慢 【『「ちびくろサンボ」絶版を考える』って、一体……。
第44章 1990年のスーダラ節 
【植木等は立派な人だ。植木等のパパも面白いぞ。『スーダラ節』が「親鸞の教え」なんだって。】

第8篇 1991年・早春のまえに

第45章 真の農業のよみがえりのために
  【「米」を天皇制の記号におとしめるのはやめよう。農業の担い手たちの姿を見つめよう。】
第46章 アメリカ合衆国とは何か? 
【“湾岸戦争”に追従する日本。それへの批判勢力も最初から然るべき三流品が設定されている。】
第47章 八重山が映しだす日本/琉球弧の旅から
  【東南アジアへの入口としての八重山。迫りくる資本の論理のなかで人びとは。】
第48章 沖縄民衆の水準に学ぶ平和論を/琉球弧の旅から 
【“湾岸戦争”のまっただなか、基地そのものである島の日々――。】
第49章 花花を供えられた傷口/琉球弧の旅から。 
【「平和」という言葉の持つ重みが違う。「日本」にはなり得ない人間の聖地。】
第50章 結婚・家族制度が支える〔国家〕
  【国家とは「政府」のことだけではない。人の「幸福の規範」自体がイデオロギーなのだ。】

【オーロラ自由アトリエのタイトルページへ戻る】

【山口泉の著書一覧へ戻る】