お礼とご報告
皆様にご支援いただき4/14からヨルダンのアンマンへ行きました。
おりしもアンマンは日本人人質事件で多くのメディアが来ていました。
一方、サマル・ジャンは12日にイラクから父親とともに出てきました。
そして、アンマンで一番と言われる「キング・フセイン・ガンセンター」で白血病の精密検査を受けました。
イラクでは十分な検査を受けられないこともありますが、ここキングフセインガンセンターは検査料も高く、なかなか治療を受けることが困難です(それでも日本での治療に比べたら安価です)。現在10人の子どもたちがイラクから出てきて治療を受けています。
左の写真がキング・フセイン・ガンセンターです。
上の写真はガンセンターの中にある小児科のプレイルームです。子どもたちはこの部屋でおもちゃで遊んだりテレビを見たり、パソコンを楽しんだりしています。母親と一緒にぬり絵をしている少年は点滴をしたままです。
サマル・ジャンは3歳の時に内出血が見られたこともあり、今回のイラク医師の診断は家族にとってはなかば予想されたことでもあったようです。が、今回日本の人たちの支援のもとにヨルダンの病院で治療を受けることが出来ると父親から感謝の言葉が繰り返し出ました。
私も治療費として9000ドル用意しましたが、数回の精密検査の結果、幸いなことに異常がないことがわかりました。
本当にホッとしました。父親の喜びはひとしおで、すぐにイラクにいる家族に知らされました。
左の写真がサマル・ジャンと父親、そして私です。
彼の父親はイラクでカーペットを織る職人です。そしてサマルには3歳上のお姉さんがいるそうです。
イラクを出てくる時、ちょうどファルージャの掃討作戦が行なわれ、バグダード街道を大きく迂回して来ました。そこを通りかかる外国人はすべて村の人間によって拘束され(そう、高遠さんたちのように)、イラク人しか通ることが出来ない状況でした。
命をかけてヨルダンの病院に来ましたが、再びその道を帰るのです。1000キロの道は決して安全ではありません。
そして帰る先は、銃撃と爆発が日常化しているバグダードの町です。私は彼らが安全に帰りつくことを心から祈りました。
先週、土曜日、サマル・ジャンの通うアル・アビル小学校では彼が白血病でなかったことを祝ってパーティーが開かれました。おめでとう!サマル・ジャン
(学校の写真はイラクのMr.スレイマンが写しました)
さて、9000ドル持っていった治療費ですが、このようなわけで1500ドルしか使いませんでした(この1500ドルには彼らのパスポート代、アンマンまでの交通費、アンマンでの滞在費も含まれます)。
そこで、緊急に必要としているファルージャへ7500ドルを送りましたことをご報告しておきます。
ファルージャは米海兵隊2000人に街を囲まれ、そこにミサイルが打ち込まれ800人以上の人が亡くなっています。まさにそこで行なわれいることは「ジェノサイド」と云っても過言ではありません。
現地イラク人を介してファルージャの病院へ輸血用の医療器具と怪我した個所をサポートする医療用具を送りました。白血病の子どもに使いませんでしたが、ファルージャの惨状を思ったとき出来るだけのことをしたいと考えました。