2001.5.29.(火)(2019.8.7分離)
前任者の森が、あまりにも酷い漏れ漏れの漏れっ放しの品のなさだったから、アメリカで異端者を意味するマヴェリック(註:この下のリンクで、わが電子手紙参照)と評された小泉首相が、俄上昇の人気を博している。小泉は三代目の代議士稼業だそうだが、凸凹コンビの田中は二代目、どちらも、お坊っちゃん上がり、お嬢ちゃん上がり、なのだから、何を仕出かすか、目が離せない。しかも、ともに、なかなかの訳ありの玉である。
➡ 何で「新首相」がマヴェリック(無印)かの西部の掟の故事に遡るアメリカ西部無宿批判
俄人気の主たる原因は、森の史上最低人気の反動である。まさか、それを見越したお芝居ではなかっただろうが、密かに状況活用の秘策を練った連中がいたとしても不思議では無い。大手情報機関の番記者などが動いたに違い無い。ともかく、これで、いわゆる保守勢力は、一気に盛りかえした。だが、この種の沸騰型の人気の周辺には、ヒトラーの政権獲得の際の状況を典型として、薄汚い英雄待望の破落戸どもが放つ悪臭が漂う。日本の最近の前例には、東京都の石原知事がいる。時代背景を同じくしていることが明白だ。
わが直接の小泉体験
小泉とは、少し離れた距離からだが、直接、顔を合わせた経験がある。それも、向こうの方が、こちらに注目したのである。その時の実感、または直感と、現在の小泉の特徴は、完全に一致している。単純に言えば、先のマヴェリックの現代的な意味での異端者、一匹狼の性格であり、もしかすると、危険な匂いである。
私が小泉と同席、といっても、彼が演壇のパネラー、私が集会参加者の関係で、直接、会ったのは、毎日新聞労組が毎年12月1日に開き続けている「新聞綱領制定記念日」の会場だった。その当時、私は、毎日新聞労組の集会などの企画の相談に乗る懇談会のメンバーだった。
この種の集会では、集会参加者からの質問を受けたり、意見を求めたりするのだが、私は、議論の盛り上げに一役買うために、内緒で、いわば桜の役を頼まれるのだった。労組の書記局員から司会者にも話が回っていて、ころ合いを見て私が手を挙げると、必ず指してくれるのだった。確か、小泉は、その頃すでに、閣僚経験もあって、郵政省の改革を唱えて、物議を醸していた。当日の集会の内容の細部は覚えていないが、新聞を含む大手メディアの改革の議論があったと記憶する。
私は、その時、放送時間を各種団体が分割して編集責任を持つオランダの放送の例を紹介して、日本の放送でも、それを実施すべきだし、世界一の大手独占体制にある日本の新聞でも、何人かの主張の異なる編集長が紙面を分割して、それぞれが独自性を発揮することも可能だと述べた。たとえば、として、パネラーの名前を挙げて、「この頁は小泉編集長」などと言ったような記憶がある。その瞬間であろうか、小泉が、目に見えるようにピクッと顔を上げて、あの細い目で、私の顔を鋭く睨んだのである。名前を言われたからというよりも、発想の転換に強い興味を抱く性格のように見えた。つまり、変わったことを言う奴の顔を、しっかりと見定めたのである。
「命を捨てる覚悟」とか「国益」とかヤクザっぽいが、その系統だった
『日本経済新聞』(2001.4.30)「風見鶏」欄「高杉晋作と小泉首相/改革に挑む捨て身の異端者」には、「どこか『テロリスト』的ムードが漂う」との批評もある。
小泉が「政治指導者が命を捨てる覚悟」の必要を説けば、凸凹コンビの勇ましいお嬢ちゃんが、「外交には国益」と吠える。何のことはない「破落戸の奥の手」こと「愛国心」の古看板の塗り直しでしかない。
ところが、本日、図書館で遅れ遅れの記事点検をしていたら、これまた右っぽい月刊誌、『新潮45』(2001.6)に、二つの小泉特集記事があった。小泉の秘書をやっている実弟正也の「特別手記/『兄』小泉純一郎の素顔」と「安西弘太」(ノンフィクション・ライター)の「『総理』を生んだ小泉家三代」である。
簡単に言うと、曾祖父は鳶職の出身で、海軍に土木職人を斡旋する人入れ稼業、つまりは、江戸時代からの典型的なヤクザの親分だった。祖父は、それを継いで、土木請負業の「小泉組」の親分となり、通信大臣にまでなったが、渾名は「刺青大臣」だった。背中に龍の刺青をしていたからだ。政治的経歴の始まりは「壮士」だった。政治家の二代目は婿で、薩摩出身、祖父の長女と駆け落ちをして世間を賑わせた。
アメリカでは伝統マフィアの石油業出身大統領、日本でも伝統ヤクザの土木業出身首相、ついでに副首相格の外務大臣までが土木業出身の娘となれば、これは、いよいよ気を付けないと危ないのだが、野党は頼り無いし、市民運動も有象無象の魑魅魍魎だし、困ったことであるが、慌てても仕方が無い。せめて傍杖を食わぬように、気を付けることにする。