木村愛二の生活と意見 2001年3月 から分離

日本列島(現沖縄県は琉球列島だから除外)脱出作戦も構えつつ森首相に賞を与える

2001.3.21.(水)(2019.8.6分離)

 本日、2001.3.21.「暑さ寒さも彼岸まで」に関して、日経の一面下のコラム「春秋」では、「と言い切れるほど日本は狭くない」とし、すでに「海開きの沖縄」と、「まだ雪の予報」の北海道を比べている。

 私は、これを読む前に、下記のごとく、「日本列島(現沖縄県は琉球列島だから除外)脱出作戦も構えて」いると記していた。「狭い日本にゃ」、とっくの昔に、「住み飽きた」こともあり、しかし、すでに現地にいる友人がしきりと勧めるオーストラリアでは、ちょっと遠くて不便だし、沖縄には日本杉が非常に少ないことを林野庁の担当者に確かめた上で、不動産業の友人に頼んだら、『週刊タイムス住宅新聞』を送ってくれたばかりである。やはり賃貸は安い。オーストラリア並みである。諸物価も安いと聞く。インターネットは可能なのだから、世界を睨みつつ、沖縄県に住みついて、琉球独立運動に加わるのも一案であろう。私の両親はともに北九州生まれだが、私自身、色は黒いし、髪の毛は巻き毛だし、明らかに南方系なのだ。

 さて、別に彼岸のせいではなくて、この「日記風」でも、何ごとにも一理屈こねないと気が済まない私の悪い癖が出ていることを、重々承知していたので、4月からの新年度には、もっと軽くし、できればもっと間を置かずに記そうと愚考中であった。

 そこへまた、本日付けの『ニューズウィーク』記事、「自分だけのメディアをつくる/ウェブ/パーソナルな日記から業界情報まで、個人サイトが静かなブーム」ときたものだ。「関連情報を載せたサイトへのリンクを文中に織り込むなど、ウェブならではの特性を活用」する「ウェブログ」の「誕生」などと、大袈裟に書いている。そんなやり方、とっくに知っとるわい、なので、それも活用する。とりあえず以下は、本日早朝の電子手紙広場投稿の再録である。


森首相に不毛政治を分かり易くしたで賞授与

 かなり前からの構想を、実行に移すことにしました。貶して駄目なら褒めてみよ作戦であります。

 森首相の原潜事故後の行動は、今や、アメリカの新聞で、彼が辞めたら誰がジョークのネタを提供するのか、などと書かれる始末、お粗末、最早、世も末。日本の旅券で海外に行くのも恥ずかしい状況ではありますが、そこは、誰にでも、取り柄はあるもの。民主主義とか称する不毛この上も無い政治詐欺の正体を説明するのには、絶好の生きた教材となってくれたのであります。

 具体的な経験を記すと、武蔵野市のプールで監視員をしている若者は、音楽を勉強しているとか称する金髪の優男で、政治的な関心は零に近いようなのですが、私と共通するのは杉花粉症で、結構、会話が成立します。その彼に、杉の枝打ちをしない政治への批判をしてみたところ、案の定、最初は眉をしかめて困った顔でしたが、「日本の政治なんて、あの原潜問題での森の」と言った途端に、ニッコリ笑って、「あっ、チョコレート」ときたもんだ、のホーイのホーイ。

 一方、関係官庁の担当者とも、昨年来の直撃取材で親しくなり、本音を聞くと、「国会の先生方が法律を作ってくれないと自分達は動けない」と言うのです。法律上は率先して研究し提言する義務があるはずなのですが、それを言うと沈黙してしまい ます。そこで、本日から、各政党の電子手紙宛名を調べ、要望を送ることにしました。

 そこでまた早速痛感したのは、政党の窓口の優等生の阿呆振りでした。日本共産党は、その典型ですが、私が概略を説明すると、即座に、「専門家が研究しているでしょう」と、さわやかに、当方を見くびった態度に出ました。森と程度は同じです。

 日本列島(現沖縄県は琉球列島だから除外)脱出作戦も構えていますが、それは来年のことなので、それまでは、見放さずに、刺激してみます。


 以上で再録終わり。では、早速、「関連情報を載せたサイトへのリンクを文中に織り込む」ことにする。実は、このホーム頁の片隅で、「静かなブーム」を呼んでいる「秘書の小部屋」には、ガセネタも含めて「火のないところに煙りは立たぬ」程度の「編集長」こと私の行状のパロディがころがっているである。

秘書の小部屋(2001.3.18.更新)