仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記

副題:借金火達磨・巨大政治犯罪都市(その1)

1999.1月1-5合併号

はしがき

1999.1.1.1号所収分

 まずは本書の長い題名に籠めた欲張りな意図を、さらに詳しく説明させて頂きたい。

題名の末尾の「周遊記」とは何か。

 フランスで社会学を学んだ山田吉彦(1895-1975)は、「きだみのる」の筆名で、敗戦の翌年の1946年に、サヴォアの騎士として18世紀末に生まれたグザヴィエ・ド・メェストルの著書『居室周游紀行』(著者名も題名も山田の表記)を真似て、雑誌『世界』に「気違い部落周游紀行」を連載し、その後、単行本にまとめて発表した。

 この題名の付け方は、日本では「本歌取り」などと表現される手法である。本書の題名の末尾の「周遊記」は、さらにその真似であり、18世紀末のフランスと敗戦直後の日本の雰囲気の、ごく一部を感じて頂くための言葉の遊びである。

 単行本の『気違い部落周游紀行』(48)で毎日出版文化賞を受けた山田吉彦は、さらに『東京気違い部落』(58)や『ニッポン気違い部落』(73)も出しているから、直線的な発想からすれば『武蔵野気違い部落」なのだが、今では「気違い」も「部落」も「マスコミ差別用語」として実質上禁止状態になっている。「周游紀行」も文字自体が古びてしまった。そこで末尾に「周遊記」と付したのである。

 山田は「気違い部落」をフランス社会学の方法で観察したが、私は、その方法までは真似ない。あえて学問的に真似るとすれば、やはり最新の「動物行動学」あたりである。

 山田はフランス語の「エロ」(以下、エロスと混同しないように英語の「ヒーロー」とする)を「英雄」または「勇士」と訳し、その敬称を「気違い部落」の住人に奉ることで、うがった記述のどぎつさを中和しようと試みた。「ヒーロー」(男性)または「ヒロイン」(女性)は物語の「主人公」の意味でもある。

 私は、この単語の語源のギリシャ神話における半分は「神」、半分は「人」の「半神人」の「主人公」の日本語版として、男性については「彦」(ヒコ)、女性については「媛」(ヒメ)という表現を採用する。

 山田は「実在の村」の「実在の部落」に住み着いて、最初の「気違い部落」を描いた。富山房百科文庫31(81)の「あとがき」では、ご子息が、以下の事情を記している。

「きだみのるはしかし、この本を書いたために高価な代償を払うことになった」[中略]「村の人たちが、『寺の先生』が自分たちのことを『気違い部落』という本に書いて金をもうけたと知った」[中略]ことで、「村にいずらくなった」[中略]し、「授賞式を目前にして父は行方をくらましてしまった」[中略]「村の人たちに悪いと思ったからのようであった」。

 その点、私は、差別用語の「気違い部落」を使えないという時代的制約を受けるにしても、これまでも「[本で]金をもうけた」どころか損をした実績しかなく、「先生」どころか何の肩書きもなしに棟割長屋(アパートとも言う)に住み、「個人税収日本一」の「文化都市」の「一戸建ての豪邸」に住む「教授」「弁護士」「議員」「政党地区委員長」などなどの名士やその夫人を、「彦」や「媛」として観察対象にするのであるから、大変に気が楽である。

題名の冒頭の「仰天!」とは何か

 手元の簡易辞典によれば「驚きのあまり天を仰ぐ」の意味である。

 同種の表現に「驚天動地」がある。こちらは手元の簡易辞典によれば「天地を揺り動かすほどの大事件」の意味である。この方の意味も含めて考えて頂きたい。

 つまり私は、武蔵野市を舞台として展開された最近の状況は、本来ならば、天地を揺るがすほどの驚くべき事態であると言いたいのである。

 だが、この表現は、悪名高い週刊誌が乱用し続けたために、最早、この表現の発明当初に発明者が感じたような「驚き」を伝える機能を失っているのではないか、と言う懸念がないでもない。だからといって、これも悪名高いテレヴィ業界が発明し、一時はかなり流行した「あっと驚く為五郎!」でもないだろう。

 そこで、この際、ぜひとも改めて初心に帰って本当に驚き、言葉の本来の意味で「仰天!」して頂きたいのである。

副題の冒頭の「借金火達磨」とは何か

 これはすでに1995年(平成3)春の一斉地方選挙の際に使われた表現である。

「借金」の総額は、私の計算では、利息込みで現在「約550億円」であり、これは武蔵野市の年度予算の規模である。この規模の金額の借金が「個人税収日本一」を誇る武蔵野市で、たったの4,5年の間に発生していたのであるが、さらに「仰天!」すべきことには、市民は、それまで何も知らされていなかったのである。

 私自身が知ったのも、右の一斉地方選挙の内の市長選で、それまでは市長派だった元市議会議員、深沢達也氏が、4選目の立候補をした土屋正忠市長と袂を分かち、選挙のチラシにグラフを掲載して各戸配布し、その実態の一部を暴露したからである。

 たったの4,5年で「約550億円」と言われても、金額が大きすぎてピンと来ない人もいるだろう。

 私自身もそうなのだが、普通の人の場合、金額があまりに大きくなりすぎると、実感が湧かないということがあるので、別の比較を試みてみよう。

 まずは普通のサラリーマンの場合、数千万円の住宅ローンを組むのは一生の重大事である。貸す側の金融機関も、綿密な信用調査をする。そのサラリーマンに家族がいれば、一家の大事件であり、家族こぞっての議論なしには、この規模の借金はできない。

 年度予算を個人の懐勘定に直せば「一年分の収入」になる。短く言うと「年収」になる。たとえば「年収」1000万円のサラリーマンが「1000万円の借金」を、何の事前の相談も予告もなしに、いきなり背負わされた考えれば、これはやはり、かなり「巨大」であり、「仰天!」するだけの騒ぎでは済まないのではないだろうか。

 もう一つ、今度は逆に視野を広げて、日本全体の規模で比較してみよう。

 日本という国家予算の規模は、1998(平10)年度予算が約77兆6691億円である。現在は、地方財政の合計の方が国家財政よりも大きくなっているが、こちらはまだ1996(平8)年度の決算合計が約101兆3500億円である。

 この規模の金額が、まるで議会への提案、討論、議決なしに支出されていたとしたら、最早、議会制民主主義などという表現は、心底、その存在を否定せざるを得ない事態なのであり、「仰天!」と言っても、「驚天動地」と言っても、まだまだ物足りない事態だと言うべきであろう。

 武蔵野市の場合、それ以前は「基金」の積立てが順調に行われ、財政は「黒字」だったのだから、この借金は「超巨大」であり、まさに「仰天!」すべき事態なのだが、

 のちに詳しくその政治構造を観察するが、この「約550億円」の借金の「執行」決定権は、まったくの市長独裁であった。議会には完全に「権限」を奪われていた。

副題の最後の「巨大政治犯罪都市」とは何か

 武蔵野市をそう呼ぶ根拠は何か。

 大袈裟すぎるとの批判も出るだろう。だが、私は、この表現にも不満足なのである。

 むしろ、もっと長く、「仰天!超巨大政治犯罪都市」としたいところなのである。

 この規模の金額の借金が、首相の一存で処理されていたとしたら、どういう騒ぎになるかを考えてみて欲しい。

 もう一度、繰り返す。

 年度予算が500億円そこそこの都市で、たったの4,5年の間に、事実上、市長の一存で、約550億円もの使用目的なしの土地を買っていた。

 その金額が丸々借金になっている。それ以前は黒字の財政が「借金火達磨」と言われるようになった。職員の補充はストップ。すべての予算は切り詰め命令。

 土地の方は半値以下に下がっている。売れば帳簿上も約300億円もの欠損となる。

 いったい誰が、この責任を取るのか。しかも実際には、地下暴落の時期に、慌てふためく日本の中央政界、中央財界が本音丸出しで叫んだ「景気対策」のために、地方自治体が土地の買い支えをさせられたのだ。これが「仰天!」でもなく、「超巨大」でなく、「政治犯罪」でもないと言うのなら、何が「政治犯罪」なのだろうか。

 ところが、被害者たる当の武蔵野市民は騒ぎもせず、非常におおらかに暮らしているように見えるのである。しかも、「個人税収日本一」と言われ、いわゆる「文化人」の住民が多い武蔵野市で、この現状を調査し、分析し、「けしからん」と叫ぶ「識者」が、まるでいない。これまた「仰天!」なのである。

 この「おおらか」な有様自体も、私には「仰天!」すべき事態なのである。

 いわゆる「文化人」には、「民主主義は地方から」などと論じる向きが多いが、これもほとんど口先だけと判断せざるを得ない。

 以上で(その1)終り。次回に続く。

(その2)武蔵野市の猿山のボス彦にボス媛

1999.1.8.2号所収分

 今回のこの小見出しは、逆に、「ボス媛にボス彦」の順序にしないと抗議を受けるかなと思って、ワープロで「しゆう」と打って漢字変換すると「雌雄」は一発で出てくる。

「雌雄を決する」という慣用句があるからだが、この慣用句の内容は雄優位の前提に立っている。それはともかく「雌雄」は熟語になっている。

 ところが、「男女」を逆にしてみようと思い立って、「じょだん」と打ち、漢字に変換キーを叩くと、「助段」「序断」などなど、意味不明な文字の組み合わせしか出てこない。何度「次候補」を求めても「女男」にはならない。念のために、手元の国語辞典を引くと「じょだん」の発音の単語はない。

 記憶力の強いワープロの方が、私を馬鹿にして、「冗談」の打ち間違いだと判断しているかもしれないとか、手元の国語辞典を出した岩波書店と、ワープロのメーカーの東芝を、男女差別で告発する運動が起きたら、どうするか、などなど、ついつい考えてしまうが、……

 閑話休題。

 武蔵野市のボス猿の筆頭には、これは雄の方だが、やはり市長を立てざるを得ない。他には、これぞという雌ボスも、暗黒街のボスも見当たらないからである。市長は現在、在任4期16年、土屋正忠の彦である。

 以下、公職か、それに準ずる立場のボス猿については、実名に「の彦」「の媛」を付すことにする。「の彦」「の媛」は、いずれもワープロの一発では出てこない表現だから、「新語登録」は「んの」「んひ」とする。何度も打っていると、幼児を抱えて、「うん、うん」とか、「しい、しい」とか、声を掛けて加勢した記憶が蘇る。「んひひ……」

 猿山を観察するとすれば、まず第1のフィールドは市議会であろう。

「敵もサル者、引っ掻く者」などともいうが、ここでは最初に、単なる観察者ではない私自身の立場を示すために、このボス猿社会、武蔵野市の市議会の真っ直中での、最近の顕著な勝利を報告する。

 昨年12月25日、クリスマス当日の夕刻、私は三鷹駅北口の階段を降りていた。階段の下に、赤い腕章を着けてビラを撒く日本共産党の一番若い市議、川原しゅうの彦の姿が見えた。ビラを受けとりながら、「この前、共産党の市議会報告がポストに入ってたけど、塩漬け用地問題がまったくなかったね」などと、ジャブを入れた。

 そうこうする内に、私より背の高い川原しゅうの彦が急に笑顔を見せ、身をかがめて私の耳元で、「議会の特別委員会が禁煙になりましたよ」と囁いた。ただし、「土屋さんも喜んでいるでしょう。彼も煙草が嫌いなんですよ」などと、少し皮肉を試みる。「皆が困っていたけど、誰も自分が言い出しっぺになるのは嫌だったんですよ」とも言う。

 私も、「それなら、市庁舎で、感謝のカンパの帽子を回すか」と応じた。

 この「禁煙」を決定したのは、前からダラダラ続いていた「議会改革委員会」である。昨年11月30日に、私が決算特別委員会の傍聴席から大声の「不規則発言」で、「議長、煙草を止めさせて下さい。傍聴の市民が迷惑します」と求め、その後、いささかのすったもんだがあった。その時の私の要求が、一か月を経ずして実現したのである。

 因みに、禁煙に関しては、すでに武蔵野市の中央図書館、郵便局で室内禁煙、市営プールでは着替えに必要な屋外ベンチの禁煙を、私一人の闘争で実現した。

「成せば成る、成さねば成らぬ、何事も」

 大声で不規則発言して、議長から再三「傍聴席、静かに」から「静かにしないと出て頂きます」まで言わせたのだから、猿山周辺の記憶は鮮明であろう。雪だるまを坂道に転がす最後のひと押しのようなものだが、これは、やはり、私の功績として猿山の頂きの「名誉の殿堂」に明記されるべきであろう。

 なぜ、その日に私が傍聴に行ったのかというと、若手市議の山本ひとみの媛が、決算特別委員会で、これこれの質問をする予定という情報が入ったからである。情報源は当然、秘匿する。

 ともかく予定の時間に傍聴に出掛けた。議会事務局に申し込むと、事務局が議長に連絡をして、議長が特別委員会に諮る。その間、特別委員会室の前の廊下で待たされる。

 型通りの傍聴許可が決まると、事務局員が特別委員会室の扉を明けて、「どうぞ」と言う。特別委員会室は大変に狭い。傍聴者は、当局側の部課長らが座っている椅子の列の隙間を、蟹の横這いしてから、部屋の反対側の傍聴席に辿り着く仕掛けになっている。

 市庁舎全体はゼネコン行政の賜物で、無駄なくらいに広々としているのだから、設計思想の誤りが明白である。特別委員会の傍聴者を予定していなかったに違いない。これも、「仰天!武蔵野市『民主主義』」の顕著な現象の一つである。

 この蟹の横這いで、私はまず、不機嫌になる。同じ猿山でも、国会の傍聴では、こんな横這いは経験しなかった。入る時に身体検査紛いのことをされる不愉快さはあったが、特別委員会でも傍聴席は広かった。

 そこへもってきての煙草である。有毒で、しかも、臭い煙の呼吸強制である。その時に吸い始めた不作法猿は、希代のレイプ魔、政教分離の日本国憲法違反者、池田大作の子分の、そのまた子分の、末端子分の公明党市議の杉田昇の彦であった。私の不規則発言後、一度目は、かなり早めに消したのだが、二度目、三度目には、むしろ意地になってか、私の抗議を無視してスパスパ吸い続けた。

 そこで、何度も私が不規則発言。議長が再三、「傍聴席、静かに」から「静かにしないと出て頂きます」まで言う状況になったのである。最後には私も黙ってやったが、その分を後でガンガン、議会事務局などの主要な部署と議長や副議長などに電話を入れて、私の要求の正しさを認めさせた。

 特別委員会室での再三のやり取りの間、ボス猿筆頭の土屋正忠の彦は沈黙を守っていた。自分も煙草が嫌いだという事情もあるにはあったのだろうが、土屋正忠の彦は、本音はともあれ、元市議、元職員だけに、議会と市当局との関係については、一応のけじめを意識しているようだ。形式上は、議会の運営は議会がするという姿勢を守っている。

 土屋正忠の彦が、議会で質問を受けると、いきり立つ相手がいる。いわゆる新左翼系統の諸派「市民の党」所属市議で、土屋正忠の彦よりも若い雌の山本ひとみの媛である。

 世間では「まさに天敵」の取り沙汰だが、この現象を動物行動学的に観察し、分析すると、実に単純である。雄の土屋正忠の彦には、自分より若い雌に逆らわれると、すぐにカッとなる習性があるのである。この習性の由って来たるところについては、後に見解を述べる。

 ともかく、こういう動物行動学的観察を研修するには、市議会は、絶好の無料フィールドである。

 そう言えば、そうそう、『政治をするサル』という題の翻訳書があった。自宅に「あった」はずなのだが、押し入れの中か、棚の上か、ともかく背表紙が見えないので、「あった」のままとする。

 内容は、いわゆる文化人類学者、またはその内のさらに専門的な動物行動学者が、類人猿のチンパンジ-の群れを自然に近い環境の広い囲いの中で暮らさせてみて、長期間の観察を行った報告の一般向けの物語である。

「類人猿のチンパンジ-」とわざわざ書いたのには、理由がある。ある日本人の文化人類学者が、アフリカで日本人の外交官の家族を相手にチンパンジ-の話をしたところ、学歴は名門大学卒業の見るからに教養溢れる雰囲気の外交官夫人が、いとも上品な声で、「そのチンパン人は農耕をするのですか」と質問したという驚愕の実話があるのである。

 女性だから、ということではない。一般に、日本の文化人はアフリカを知らない。その点では欧米よりもひどい。

 実は、前回紹介した「きだみのる」の『記違い部落周游紀行』の最後には、イギリス人がアフリカ人をまるで馬鹿扱いする小話が、そのまま無批判に紹介されていた。一挙に興ざめしたが、フランス留学の社会学者でさえ、この程度だったのである。

 私は、武蔵野市のボス猿たちを馬鹿にしたりはしない。悪賢い動物として十二分に注意して観察することにしている。

 市長の土屋正忠の彦に関しては、一応は無所属の市民クラブ出身で、今では自民党を与党にしているが、早稲田大学時代には民青系全学連の運動に参加していたとか、市職員組合の執行委員をやったこともあるとか、次々と小耳に挟んだ情報を組み立ては、表面的な観察の補いにしている。土屋正忠の彦が始めた「市長と語る会」にも、できるだけ参加し、質問をぶっつけては、それに対する反応を研究している。

 そういうわけで、土屋正忠の彦の動物行動学的観察の簡単な報告だけでも、あと2回は連載が続くことになるであろう。

 以上で(その2)終り。次号に続く。

(その3)猿山のボス争い立候補者3彦の紹介

1999.1.15.3号所収分

 前回、武蔵野市長の土屋正忠の彦に関して、「あと2回は続く」と記したが、これは、勝手ながら「別途2回」と訂正する。

 というのは、今年の 4月25日には「一斉地方選挙」と称して、武蔵野市ばかりではなく全国で、地方自治体の猿山のボス争いのドタバタが行われる。一週間前の 4月18日には、「告示」と称する出陣の吠え始めの儀式があって、以後の一週間だけ、「お願いします」の色とりどりの遠吠え、近吠えが終日、日本列島を覆い、皆の衆は、「4年に一度騙される権利」を行使することになる。それまでに残すところ、 3ヵ月となっているので、主要人物、いや、主要な半神人、「彦」と「媛」の紹介だけを、早目に済ませておきたいのである。

 すでに武蔵野市では、たったの1人の定員の市長の座をめぐって、3人の立候補が確実になっている。そこでまずは、この3人も紹介しなければならないし、これも早目に、きたるべき市長選挙への注文を発表する必要に、迫られているのである。もちろん、私が、自分勝手に自分に迫っているだけで、特に候補者ともなれば、私の注文には皆が逃げ腰になるに決まっている。

 逃げ腰は、逆にその原因を究明すれば、腰抜けの証拠でもあるのだが、それはまた、後の課題とする。

  3人の立候補予定者の第1は、やはり、現職の市長、土屋正忠の彦とすべきであろう。彼は、かねての願い通りならば、今頃は「赤絨毯」を踏んでいなければならなかったのである。その目的のためにはと、様々な無理も重ねてきたのである。

 ところがどっこい、兄はカランや、ああ、驚いた、試しにワープロ変換してみたら、こうなってしまったのであるが、決して風呂屋の湯の栓の話ではないのだ。私が子供の頃に講談で聞いた漢文口調の言い回しでは、「豈(あに)図らんや」なのである。念のために手元の安物の「岩波国語辞典」を見たら、ちゃんと「兄」の次に載っているので、ひとまず安心。この辞書では、(意外なことには)と説明している。

 つまり、着々と計画通りに「赤絨毯」への道を踏み固めてきた土屋正忠の彦にとって、「意外なことには」、頼うだお方の自民党様が、こともあろうに社会党まで巻き込んで、「小選挙区制」と称する「赤絨毯」猿山先陣争いの場所決めをしてしまったのである。

 実は、土屋正忠の彦には、前回紹介した山本ひとみの媛だけではなくて、むしろ、それ以上に憎っくき天敵がいる。一時は首相人気一番とまで言われた菅直人の彦が、武蔵野市のド真ん中に巣を構えている。そこで、前回の衆議院議員選挙では、武蔵野市1区の定員1人では到底勝てないと、周囲も本人も諦めざるを得ず、ついに立候補すらできないという悲劇的、いや喜劇的かな、「グヤジイ」状況になってしまったのである。

 さりとて、「小選挙区制反対!」などと野党ばりに叫び出すわけにもいかない。そこで、前回の市長選の際の「5選目は出ない」という周囲への固い誓いをも破って、回れ右!

 哀れ、いや、あれれっ、かな、ともかく悲壮な不退転の決意を固めて、土屋正忠の彦は、今春の市長選挙にも現職立候補するのである。

 あとの1人の内、年齢が上で政党候補でもある日本共産党現市議会議員で同党の議員団長の栗原信之の彦の方を、名前だけ先に紹介しておく。

 前回の市長選で、日本共産党は、武蔵野・三鷹地区委員会の地区委員長、佐久間某の彦を立てたが、有効投票数の10分の1さえ取れずに、供託金 100万円を没収されてしまった。今回もまた、その轍を踏む可能性が濃厚なのだが、高齢で市議引退を決意していたと伝えられる議員団長が引退の花道か、はたまた人身御供か、ともかく、これまた悲壮な決意で立候補の意思を内外に公表したのである。そうなった裏の裏の事情については、また後に紹介する。

 最後の 1人、桜井国俊の彦は前回も立候補して、3位の落選だが1万以上の票を集めた実績を持っている。その後も、「武蔵野市土地探偵団長」を名乗り、わがホームページに一番詳しい土地開発公社の「塩漬け用地」問題を追及し、その件に関する情報公開裁判の原告にもなっている。

 となれば、私が、全面的に応援しても良さそうに思えるだろうが、そうは問屋が卸さない事情がある。いや本当に、これら半神人たちは、どれもこれも粗製濫造時代の半端人間なのである。

 まずは、桜井国俊の彦の「土地探偵」について簡単に論評すると、チャリンコ(自転車)で「塩漬け用地」の現場を見て回ったのだけは評価して上げているものの、全体の構造の理解がアバウトであり、特に困るのは武蔵野市だけに問題を狭める「井の中の蛙(かわず)」なのである。

「塩漬け用地」問題は、決して武蔵野市だけの問題ではない。こんなことは、私が言わなくても誰にでも分かることである。だから、天下の商業放送局の日本テレビの「ニュースプラス1特集」までが、わがホームページを「土地開発公社」のキーワードで検索して、典型的な「絵になる」現場としての武蔵野市100億円の駐輪場の映像取材にきたのだ。それなのに、桜井国俊の彦の「土地探偵」は、武蔵野市だけに特有の「疑惑」を捜し出すことばかり追及しているのである。

 しかも、そういう欠陥に関するる私の指摘に対しては、「木村さんの言うことは正しい」と、これまた素直に認めるのだから、「暖簾に腕で押し」で、鍛えようとするこちらの方の気が抜けてしまう。「正しい」と素直に認めるのなら、私が言うように、全国的な問題点を書いたり、発言したりすべきなのだが、その点については、「武蔵野市では、そこまで言わなくても良い」と主張する。根拠も何も言わずに「良い」という。結局のところ、私に逆らっているのと変わりはない。

 桜井国俊の彦の本音は明かである。「塩漬け用地」問題は最大の敵、現職市長の土屋正忠の彦の最大のアキレス腱である。これを狙えば票が取れる。しかし、全国的な課題、特に自民党保守政治の、ゼネコン行政の、何のと、いかにも反体制的な指摘をしてしまうと、折角、土屋正忠の彦の4期連続、16年間の支配に飽きて、何でもいいから変化を求めている保守または中間層の票が取り難くなる。だから、スキャンダル的な地元の身近な問題だけの暴露に狭めておく方が有利である。桜井国俊の彦は、そう考えているに違いない。

つまるところ、何のことはない。もう一つの愚民政治への転落の道造りではないか。素直なように見えて、結構、計算高いのだ。そんな馬鹿げたことに協力はできない。もう、これ以上は面倒見切れない。

 もっとも彼は、最初から素直に「木村さんの言うことは正しい」と認めていたわけではない。なにせ、この桜井国俊の彦は、市長選の候補に担ぎ出された時には、まだ、東京大学の客員教授という肩書きだった。ことあるごとに、教壇で教えるような姿勢になって、ひとくさり講義をしなければ収まらない。相手は何も知らないド素人、自分は1を聞いて10を知る専門家という態度だった。

 土地開発公社の「塩漬け用地」問題では、私が作った『武蔵野市民オンブズマン』の紙面だけを見て、得意げに「これ、1992年でしょ」と言ったことがある。それは「日経92.7.28)の記事の見出しを貼り込んだ部分のことだった。この見出しは、1998年10月28日の上記の日本テレビ「ニュースプラス1特集」でも画面に出た。

「公共用地の先行取得/景気対策の柱に」という露骨も露骨、地方自治体に借金で不要な土地を買わせて、「景気対策の柱に」しようという政財界の狙いが、誰の目にも明らかな見出しである。だから私は、1992年という時期にこだわらずに、貼り込みに使ったのである。

 ところが、武蔵野市で一番多い金額の土地取得の年は、1990年だった。だから、偏差値優等生の桜井国俊の彦は、そこだけ見て、得意げに「これ、1992年でしょ」と言ったのである。2年も後の記事では、武蔵野市の高額土地取得が「景気対策」だと言える証拠にはならないのではないか、と、桜井国俊の彦は、得意げに鼻をうごめかして、私に仄めかしたのである。

 これには、改めて唖然としたのだが、唖然とした第 1の理由は、この得意げな発言によって、桜井国俊の彦が、すでに1年前に私が、親切にも無料提供していた新聞記事コピーのファイルに、まったく目を通していなかったという事実が、これで確認できたことである。上記の記事だけではなくて、私は、1987年以後の地方自治体の土地取得促進に関する重要な記事コピーを、桜井国俊の彦だけが原告の武蔵野市土地開発公社情報公開裁判の資料として、桜井国俊の彦にも、その実物を示して説明した上で、彼の事件の代理人の弁護士、高木一彦の彦の事務所に預けて置いたのである。

 そうなのである。武蔵野市の半神人の群れの中には、恐れ多くも弁護士の彦まで混じっているのである。司法試験の難関を突破した(!)物凄い暗記秀才の偏差値エリートが、教授の彦と並んで、そこら中にゴロゴロ転がっているのが、「個人税収日本1」(らしい)「文化都市」武蔵野市の壮観なのである。その「武蔵野市をよくする会」の事務局長でもある弁護士、高木一彦の彦、またの名はピンの彦については、後に詳しく紹介する。

 ともかく、彼らには、その時に伝えたのだが、これは単なる朝飯時の切り抜き新聞記事コピーではないのだ。

 私が唯一の自慢の無い袖を振って、日経新聞のデータベースに総額 3万円以上も支払い、「土地開発公社」「公有地先行取得」などのキーワード検索を依頼して、数百の関連記事見出しの目録を入手し、その中からさらに、これぞと思う目ぼしい見出しを選び出して、武蔵野市中央図書館の数少ないコピー機で縮刷版から拡大コピーを作り、それをまた丁寧に切り抜いて、B5台紙に貼った手作り稀覯ファイルなのである。

 もちろん、日経のデータベースに注文すれば、さらに、それらのコピーをも郵送してくれる仕掛けにはなっている。しかし、この仕掛けは同時に、私の無い袖から、またもや数万円を奪い取る仕掛けでもあるのである。だから、だから、ああ、私は、卒論準備らしき学生の後ろにキチンと並んで武蔵野市中央図書館の数少ないコピー機が空くのを待ったり、コイン入れたり、コピったり、切ったり、貼ったり、掲載日時をメモったり、台紙に穴を開けたり、綴じ紐で綴ったり、いわばこれらは、わが粒粒辛苦の末の決定的物的証拠なのである。その趣旨は、すでに彼らにも常に無料配布している『武蔵野市民オンブズマン』に記して置いた。これが、なんと、いわば「豚に真珠」だったのだ。

 もともと、それまでにも私は、10歳ほど年下の戦後の飽食時代に育った彼らのノンシャラン、アバウト振りには、呆れることが多かった。だが、こういうアバウト連中が、保守政治を倒すとか、5選阻止だとか、「武蔵野市をよくする」とか言ってみても、そして、もしも市長の座を取れたとしても、あの猿山の一角でも作り直すことができるものかどうか。「ミイラ取りがミイラになる」のが、落ちなのではないだろうか。

 ああ、日暮れて道遠し。スターリンと、毛沢東と、革命と、独裁と、例を挙げれば切りがない。武蔵野市は、世界の、日本の、東京の、縮図なのである。

 以上で(その3)終り。次号に続く。

駐輪場強行設置の根拠となった

自転車法改正は実に漫画チックな策略

1999.1.22.4号所収分

 この項目を読む前に、わが隆々辛苦の土地開発公社問題のグラフを見て頂きたい。

または、思い出して頂きたい。ともかく、まだの方は下記リンクをクリックすれば、先方に到着する。グラフで見れば、まさに一瞭然の事態なのである。先方のグラフの最後にも、この頁に戻るリンクを作って置く。

塩漬け用地一目瞭然グラフ

 グラフを見ただけで一瞭然、明白な「塩漬け用地」取得状況である。別途作成した数表で計算すれば、10年間に約771億円の土地を買っている。10年前には黒字だった武蔵野市が、今や逆に、約550億円の「借金火達磨」状態に陥っている。市役所では、職員採用ストップ、予算を5%、いや10%削れと、暗い毎日が続いている。

 そこで振り返って考え直すと、1985年当時までのように、年間20億円以下の土地取得に押さえていれば、逆に、単純計算でも771億円から引くことの200億円と 550億円で、約21億円は浮いている勘定となる。さらに銀行利息分を加えると約100億円の黒字となる。今、これだけの基金が残っていれば、日本経済再生の発火点として、景気対策の地方公共事業、地方から情報ハイウェイ構築の町作りなど、お茶の子さいさいなのだ!

 ところが、前回も述べたように、現市長の土屋正忠の彦に対抗する勢力までもが、この土地問題では中途半端な主張しかしていない。私の主張を「正しい」と認めながらも、自民党保守政治の総決算を迫る覚悟ができない。腰抜けである。だから議会でも、コンニャク問答がダラダラ続く。

 別途、わがホームページの『武蔵野市民オンブズマンの城』にも、ことの経過を収録してあるが、現市長の土屋正忠の彦は、1995年末の決算特別委員会で、その2年前に当たる1993年(平成5)取得の土地が「高いのではないか」との質問に対して、こう答えた。

「 5年先の新聞が見れたら買わなかったかもしれません」

「平成 5年」または1993年は「不動産融資総量規制」の 3年後だが、「経済学博士」の肩書きの中村忠一は、『TIMES』(96.6)に、こう書いている。

「昭和61(1986)年の中頃、不動産業者や金貸業者の間では不動産取引の最中にすでに誰がババをつかむかということが半ば公然と語られていた。筆者もこうした不動産業者や金貸業者から物件の取引、融資に関してしばしば相談を受けたものだった」

 つまり、「ババをつかむ」役割を率先志願した現市長の土屋正忠の彦のオトボケは、本来なら、その発言の7年前でも通用しないカマトトだったのである。ところが、このカマトトの裏では、もう一つ、これまた奇妙キテレツな仕掛け作りが進行していた。

 三鷹駅北口「 100億円の駐輪場」は誰の目にも明らかな「偽装」だが、その駐輪場設置を促進した市条例の背後には、この土地を取得した翌年の1992年から政治工作が始まり、1993年に改正された自転車法がある。自転車法の正式名称は、「自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律」である。

 この自転車法の改正による「不法駐輪の放置自転車撤去」の強制権限あればこそ、全国の地方自治体は一斉に「駅前駐輪場」を作ることができたのだが、三鷹駅北口「100億円の駐輪場」を典型として、費用の点から見ると、こんなにおかしな事態は滅多にない。法改正の時期と経過から言うと、「塩漬け用地隠し」の意図、「泥縄」行政が見え見えなのである。

 私は、自転車法関係の衆議院特別委員会や市の建設委員会の議事録、総務庁、運輸省の関係資料、専門書、全自連(全国自転車問題自治体連絡協議会)1-7回総会議案、機関雑誌『自転車対策研究』1-12号などを、ほぼ1カ月掛けて入手した。

 全自連の会長は練馬区長の岩波三郎の彦は、創価学会を背景とする保守系の怪しげなオポチュニストである。副会長は、わが武蔵野市長の土屋正忠の彦となれば、これはまた、いかにも漫画チックなコンビではなかろうか。

 全自連の表向きの「大会決議」では、従来の自転車法の「鉄道事業者の『積極的協力義務』という規定があいまいである」とし、練馬区、武蔵野市、大宮市、浦安市が連名で、衆議院の自転車法小委員会に「鉄道事業者に対する付置義務案を提案」したりした。

 ところが、関係者によると、法案成立前、「一夜にして付置義務が消滅」し、新たな規定は、地方自治体の「放置自転車撤去」権限強化だけとなった。かくして、あたかも戒厳令下のような状況で、武蔵野市では100億円の「塩漬け用地」に「有料駐輪場」の隠れ蓑が被せられたのである。

 かくて、わが武蔵野市長の土屋正忠の彦は、支持者を集めた集会で、「お陰様で、立派な、駐輪場が、できました」と、一区切りごとに力を込める名調子(?)を振るい、費用については「数億円」とごまかし、ヤンヤ、ヤンヤの大拍手を受けたのでありました。

 以上で(その4)終り。次号に続く。

(その5)「お利口さん」市長選候補者の愚民政策が隠蔽する巨大政治犯罪

1999.1.29.5号所収分

 今回は少し固い話になるが、私は、昨年、1998.10.21.発行の『武蔵野市民オンブズマン』9号の裏面に、いささか刺激的な本音の見出しを付けた。これには、その後、市庁舎内での関係者からの質問が相次いだ。

「武蔵野市では共産党も土地政策『与党』、反市長派『よくする会』もアバウト」

「与党」と「アバウト」が語呂が合っているとは言い難いが、結構考え抜いて付けた見出しのつもりである。

 共産党の土地政策『与党』の件は、別途、わがホームページに詳しい。

 あえて簡単に言うと、武蔵野市土地開発公社が年度別では最高金額、236億円もの土地を買った1991年度に、戦後一貫して日本共産党の支持基盤というよりも一時は座員が全員一斉に入党して世間を騒がせた歌舞伎の前進座の元社宅用地をも買っていたのである。

 購入金額については、市長自身が「財産評価委員会」の名を出して、妥当な値段だと答弁しているのだから、決して「不正行為」とは言えないのだが、「潔癖」をモットーとする党風ゆえか、日本共産党の態度は、その後、不明瞭となる。

 これまたズル猿の典型の市長、土屋正忠の彦は、土地問題では現在一番戦闘的な「天敵」、「市民の党」の山本ひとみの媛などから追及を受けると、「百年に一度の土地は出た時に買わないと千載の悔いを残す。お陰様で、前進座の土地も買えましたし、……アッ、これ、名前を出しちゃて良いのかな」などと、これまた日本共産党と「新左翼」の市民の党の「天敵」関係を十二分に意識しながら、いなしに掛かるのである。

 で、今回は、反市長派『よくする会』のアバウトの方を、先に片付ける。

 最大の問題は、もちろん、東京の、場末の、片田舎の、武蔵野市くんだりの、「よくする会」風情の、この程度の、だけには止まらない日本全体の、アバウト水準にもある。

 別に、頭の良い悪いの問題ではない。クソボンボン、クソジョーチャンのアバウト、スイースイーなのである。手間暇掛けて調べる気がないだけの話なのである。しかし、その程度の連中が、偉そうに「よくする」などとホザクから、注意するしかないのである。

「よくする会」代表として、すでに2度目の市長選立候補を宣言し、三鷹駅の北口、安売り王の城南電機が進出に失敗して閉店した駅前一等地のビルに選挙事務所を開いた桜井国俊の彦や、その事務局長、高木一彦の彦らが、私が苦心して作った日経新聞のファイルを見もしないで、「木村さんの意見は正しいと思いますが、武蔵野市では、そこまで言わなくても良いでしょう」などとホザク問題を、仕方ないので、これから手作り整理する。

 まず、日経のデータベースから、古いものはシステムが違っていたので、3段階にわたって取り寄せ、3万円以上も払った記事項目の中には、1987年9月23日の項目以前には、政策的な記事が、全くなかった。

 この「なかった」という事実に、決定的な重要性があるのである。

 つまり、記事が「なかった」ことが確認できたので、それまでは、土地開発公社という仕組みを景気対策に利用する政策が、少なくとも、記事になる程度には露出していなかったのではないか、と推定できるのである。

 1987年9月23日の記事の見出しは、次のように非常に控え目なものである。

「先行取得土地の有効利用を提言/土地開発公社活性化へ報告」

 しかし、この「活性化」という表現は、中曽根「行革」などで、何度も見掛けた政策的「隠語」「符丁」の類いである。記事の中身を見ると、「自治省の土地開発公社活性化委員会」(委員長、伊藤善一東京女子大教授)の存在があり、「公社の業務に新たに、観光・レジャー開発を目的とした用地取得・造成を加える」とか、「従来の公拡法(公有地の拡大の推進に関する法律)では賃貸などが認められていなかっため、報告書は有効利用を求めた」などとある。

 この年、1987年は、アメリカで「ブラック・マンデー」と呼ばれた投機市場の暴落騒ぎが発生し、日本への影響が心配された年である。

 翌年の1988年初頭、1月8日には、次の見出しの記事が現われる。

「都市開発も対象/土地公社の業務拡大/自治省・建設省方針」

 1990年9月16日になると、「公共事業用地の先行取得推進/事業債起債条件を緩和/使用開始『10年以内』に延長」

 1990年12月15日になると、「公共用地/先行取得推進/地方財政審意見書提出/開発基金拡充など」

 記事の細部は、また別途整理するが、「地方自治体に土地を買わせろ」という財界の本音が、段々と露骨になるのである。そして、前述のような、1991年度の武蔵野市の史上最大、236億円の、ああ、堂々の、土地開発公社による、三菱銀行からの借金による、市長の独裁権限による、日本共産党の「与党化」による、「その他諸々の反市長派のアバウト見逃し三振」による、ああ、堂々の、ババ抜き土地乱買が、札束が千切れるほどの喝采を浴びながら、進行したのであります。

 以上で(その5)終り。次号に続く。ここまでが1999.1.1-5号所収分。

週刊『憎まれ愚痴』連載別一括リンクに戻る

週刊『憎まれ愚痴』総合案内に戻る

基地の出城の大手