編集長の辛口時評 2006年6月 から分離

615樺美智子追善デモ朝日記事に写った鳥打ち帽の因縁話

2006.06.20(2019.8.30分離)

http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/343.html
615樺美智子追善デモ朝日記事に写った鳥打ち帽の因縁話

樺美智子追善デモ    死んだ樺美智子を「救け出す学友」

 1960年安保闘争で同窓の樺美智子が国会構内で死んだ日から46年目の6月15日、私は、元全学連幹部の呼び掛け人からの誘いに応えて、日比谷公園から国会までのデモ行進に参加した。

 翌日の6月16日の朝日新聞朝刊記事のカラー写真には、先頭の代表が掲げる樺美智子遺影の真後ろに、鳥打ち帽を被った「わが勇姿」があり、何人かの知人が気付いて、声を掛けてきた。

 だから、簡単に、鳥打ち帽を被っていた理由を説明して置きたいのである。

 以下は、 6 月15日の深夜の阿修羅掲示板への投稿である。


朝日【平均年齢70歳、元全学連同志がデモ 「改憲許すまじ」】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/279.html
投稿者 木村愛二 日時 2006 年 6 月15日 23:52:29

デモ行進の先頭の写真の真ん中に、わが勇姿。鳥打ち帽を被っている。


http://www.asahi.com/national/update/0615/TKY200606150390.html
平均年齢70歳、元全学連同志がデモ 「改憲許すまじ」

写真説明:樺美智子さんの遺影を掲げデモ行進する元全学連のメンバーたち=15日午後、東京都千代田区で
2006年06月15日21時55分

 かつて60年安保を闘った元全学連の「同志」たち約170人が15日、改憲阻止を訴えて国会周辺をデモ行進した。東大生、樺美智子さんの命が奪われた60年6月15日の国会突入から46年。平均年齢は70歳近い。車いすやつえの姿もあったが、高まる改憲論議に「死んでも死にきれない」と再び結集。「9条改憲を阻止するぞ」「平和主義を葬るな」と、雨の中、声を張り上げた。

 きっかけは、桃山学院大名誉教授の小川登さん(70)=大阪市=が教え子からもらった今年の年賀状。「改憲の動きに先生がどうなさるのか注目しています」とあった。

 安保闘争以後、政治運動からは距離を置いてきたが、1人で署名活動や国会傍聴を始めた。その活動に昔の仲間たちが共鳴し、この日のデモに。小川さんは「今は昔のような体力はない。70歳なりの闘い方で改憲の流れを断ち切りたい」。


 鳥打ち帽を被ってデモに参加したのは、46年前の6月15日にも、鳥打ち帽を被っていたからである。しかも、この鳥打ち帽によって、国会の南門から突入して死んだ樺美智子を「救け出す学友」(写真集『怒りと悲しみの記録』)の一人が、私だったことが、分かったのである。しかも、その事実に気付いたのは、41年後のことであった。

 なぜ私が鳥打ち帽を被っていたかと言うと、その直前の6月3日に、首相官邸に躍り込んだ際、警官の樫の棍棒の一撃で、額の上を割られ、6針縫い、その傷口に絆創膏を貼り、また殴られる時の衝撃を和らげるために、タイルを折り畳んで、その上に鳥打ち帽を被っていたのである。

 首相官邸で額を割られた際の写真(写真集『怒りと悲しみの記録』)は、以下に入っている。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/
憎まれ愚痴
http://www.jca.apc.org/~altmedka/profile.html
自己紹介
http://www.jca.apc.org/~altmedka/profile-anpo.jpg
60年安保:国会闘争で負傷


 46年前の6月15日の国会南門突入に関しても、いずれ詳しく記す予定である。