編集長の辛口時評 2006年3月 から分離

『ホロコースト産業』日本版メディア商売・NHK・朝日新聞お粗末撫で切り

2006.03.28(2019.8.22分離)

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/837.html
『ホロコースト産業』日本版メディア商売・NHK・朝日新聞お粗末撫で切り

『ホロコースト産業』とは、詳しく記せば、以下の日本語訳もある本のことである。


ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち
ノーマン・G. フィンケルスタイン (著), Norman G. Finkelstein (原著), 立木 勝(翻訳)


 日本では、NHK「慰安婦」番組の「改変」云々が議論されているが、これもまた、「苦しみ」を「売り物」にするメディア商売である。

 NHKと朝日新聞は、この番組を巡って「内輪もめ」となったが、ともに、「苦しみ」を「売り物」にする自称「弱い者の味方」が商売の仲間である。

 この番組の訴訟に関しては、最近、以下の朝日新聞記事が、出現した。問題点だけを先に指摘して置くと、「つらい経験をされた方の言葉について疑うのはあり得ないと思っている」という「当時のチーフプロデューサー・永田浩三」の発言である。


http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200603220336.html
NHK番組改変・説明「出向いたことに」 担当者が証言
2006年03月23日02時16分

 NHKの番組が01年、放送直前に改変された問題で、取材対象の市民団体とNHKなどが争っている訴訟の口頭弁論が22日、東京高裁で開かれ、当時のチーフプロデューサー・永田浩三氏が証人として出廷した。朝日新聞の記事などで番組への政治家の関与が指摘された後の昨年1月、NHK幹部らが対応を話し合った際、放送前に安倍晋三衆院議員に会った経緯について「呼びつけられたのでなく、こちらから出向いたことにしよう」とのやりとりがあったと証言した。話し合いに参加した上司から聞いた内容として明らかにした。

 NHKは、放送前に安倍氏に番組内容を説明したことについて昨年1月、「呼び出されたのではなく、事業計画の事前説明のために出向いた」と説明していた。

 問題になっているのは、旧日本軍による性暴力を民間人が裁く「女性国際戦犯法廷」を取り上げた番組。

 永田氏の証言によると、「出向いた」とすることは、松尾武・元放送総局長と、国会対策担当だった野島直樹・元総合企画室担当局長との間で決まり、永田氏は、その場にいた上司から直接聞いたという。「NHKの公式見解と違い、衝撃的な内容だった。本当なのかなあと思った。(NHKは)真実は何か、世間に説明するべきだ」と述べた。

 また永田氏は、番組改変の過程で、伊東律子・番組制作局長(当時)の部屋に呼ばれたと言及。伊東氏は、歴史教科書問題に取り組む議員グループの著書に載った名簿を示し、中川昭一衆院議員の名前を指さしながら「言ってきているのは、この人たちよ」と話したという。

 永田氏は、慰安婦や加害兵士の証言が、「信憑性(しんぴょうせい)が疑わしい」との理由で放送直前に削られたことについて「つらい経験をされた方の言葉について疑うのはあり得ないと思っている」と声を詰まらせた。改変に抵抗できなかったことについて「悔いが残る。5年前に戻りたい」とも述べた。
 [後略]


 何とも、かんとも、実に幼稚っぽい話である。この番組は、「女性国際戦争犯罪法廷」が土台になっている。「つらい経験をされた方」、つまりは「被害者」の訴えだけで、判決を下すことができるのだったら、検察官、弁護士、原告、被告などで構成する裁判は、まったく必要ない。

 自称「被害者」の「証言」の信憑性に関しては、国際的にも、以下の状況である。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-26.html
『アウシュヴィッツの争点』
第二章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ
イスラエルの公式機関でさえ「信用できない」証言が半分以上

「マルコ報道」では「生き証人」へのインタヴューの必要性を力説している例がおおかった。それはそれで結構なのである。そういう努力は今後も続ける必要があるだろう。

 ただし、「ガス室」の存在を肯定する「生き証人」の証言、または被告の「自白」ないし「告白」の類いは、すでに出尽くしている。むしろ必要なのは、その内容の再検討なのではないだろうか。

 [中略]

 問題の「生き証人」の証言については、イスラエル政府の公式機関としてホロコーストに関する世界で最高権威の扱いをうけ、最大の資料収集をしている「ヤド・ヴァシェム」でさえ、つぎのような判断を下しているのである。

 [中略]

「イスラエル政府のホロコースト・センター、ヤド・ヴァシェムの公文書館長、サミュエル・クラコウスキは一九八六年に、保管している二万件のユダヤ人“生存者”の“証言”のうち、一万件以上は“信用できない”ことを確言した。クラコウスキの言によれば、おおくの生存者が“歴史の一部”となることを願っており、想像力をほしいままに走らせている。“おおくの人は、かれらが残虐行為を目撃したと称する場所にいたことがなく、または、友人や通りすがりの見知らぬ他人から聞いた二次的な情報にたよっている”。クラコウスキの確言によると、ヤド・ヴァシェムが保管している多くの証言記録は、場所や日時についての専門的な歴史家の鑑定を通過することができず、不正確であることが証明された」

 では、のこりの「一万件」以下の“証言”は、はたして「信用できる」のだろうか。それらは「場所や時間」についての」鑑定を通過したのかもしれない。だが、その“証言”の内容のすべてまでは保証できないだろう。そこで「ガス室」を見たという部分があったとしても、その物的証拠を示しているわけではないのである。

 [後略]


 しかし、幼稚っぽいのは、「当時のチーフプロデューサー・永田浩三」だけではない。実質的な責任者のNHKエンタープライズ21のプロデューサー、「NHKスペシャル制作者」「池田恵理子(いけだえりこ)」とは、今から6年前、2000年5月、まさにこの番組の原型、「女性国際戦争犯罪法廷」に関して、以下の状況で遭遇していたのである。

 問題点を端的に言えば、NHKの「お粗末」、史料探索の努力不足である。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/juugun-01.html
従軍慰安婦」問題に見る「メビウスの帯」断章
(その01)「従軍慰安婦」「南京事件」で当局資料を無視した議論が続く

随時追加"編集長日記風"木村愛二の生活と意見 2000年5月分より転載
「日記風」2000年5月分 5.3(火)
「従軍慰安婦」「南京事件」で希有な当局資料を無視した議論が続くのは恥ずかしい

ついつい「きつい質問」の気後れと居心地の悪さなのだが

 4日前の5.26.(金)のことだが、民衆のメディア連絡会の例会で、ついつい、きつい質問をしてしまった。主題は女性の市民ヴィデオ制作活動だったのだが、その活動の中心に、いわゆる「従軍慰安婦」問題が位置付けられていたからである。

 私の「きつい質問」の具体的内容を最初に明らかにすると、みすず書房が1982.2.26.に初版を発行した『続・現代史資料6:軍事警察』の中の「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」を「読んだか」、ということだった。上記の例会の活動報告スタッフは「読んでいない」のだった。答え方から察するに、この「日誌」の存在や、軍当局、それも法務部の公式報告という「稀有な」重要性の位置付けについても、予備知識がないようだった。

 私としては、女性の市民ヴィデオ制作者たちに「きつい質問」を向けることには、いささか気後れも覚えたのだが、当日の参考として配布された資料のチラシの中には、「女性国際戦犯法廷」の準備状況が記されていた。主催組織は、朝日新聞の女性記者が代表のVAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)で、その法廷の「国際諮問委員会」は11か国の委員で構成される模様である。となれば当然、日本人として、目一杯の資料調査と、それなりの議論を、してほしいと思ったのである。

 私には、この国際組織に直接物申す時間も義理もない。かといって、これまでに、この種の運動関係者の言を漏れ聞く度に感じてきた資料整備と分析の不確かさを、素知らぬ顔で見過ごすのも、日本人として居心地が悪い。上記の女性の市民ヴィデオ制作者たちの中心にはNHKスペシャル制作者もいたから、話が通じる可能性もあるので、質問の形式で要望を述べたのである。

 この「法務部陣中日誌」の存在は、ある程度の研究者なら知っている。私は、この件を専門的に調べているわけではないので、とりあえず、手元の文献だけで論ずるが、試みに、大月書店が11年前の1989年に出した『日本近代史の巨像と実像』(3)「南京大虐殺の真相」を見ると、この日誌を、家永教科書裁判で「国側証人」に立った元海軍軍人の作家、児島襄の「証言の嘘はすぐばれる」(p.141)「史料」として挙げている。もっとも、この部分の執筆者、笠原十九司は、私の厳しい批判対象の言論詐欺師、本多勝一らと組んでいる。あの厚顔無恥な言論詐欺師の著書を引用したり、お得意の脅しのキーワード、「大虐殺」を鵜飲みで使うなどしているので、笠原の文章を読む前にも、眉に唾をなすり込む必要がある。それはともかく、この「法務部陣中日誌」は、その程度の「教授」でも知っている資料なのである。

 私の考えでは、この資料は、いわゆる「南京事件」と、その後の「従軍慰安婦」問題を論ずる上で、もっとも貴重な軍当局側資料である。資料解説にも「稀有」と記されている。ここでは詳しく論ずるのは避けるが、普通の軍人ではなくて、司法資格を有する法務将校が残した公式の報告書なのである。ところが、私が身近に見聞きする「南京事件」および「従軍慰安婦」問題の議論では、これが、まるで登場しない。多分、ほとんどの論者が「読んでいない」だけでなく、その存在も知らないのである。なぜなら、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類では紹介していないからである。ということは、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類の執筆者も不勉強なのである。安直なのである。

「従軍慰安婦」問題に直結する部分を先に指摘すると、資料説明の部分には元憲兵中佐の証言も要約、並記されている。元憲兵中佐によれば、「僅かに現行犯で目に余る者を取押さえる程度」だったのだが、法務将校が記した「法務部陣中日誌」の方の最後の部分に収録された「既決一覧表」には、104件、そのほとんどが、殺人、強姦で、強姦を含む犯罪の件数は23、猥褻1、強制猥褻1となっている。

 上記の元憲兵中佐は、この状態を「皇軍が聞いてあきれる状態」「遺憾」と記している。この事態が、いわゆる「宣撫工作」の障害となったからこそ、「従軍慰安婦」の制度化が急がれたのである。上記の国際組織が「戦争と女性への暴力」を主題とするのならば、当然、この戦争中の「殺人、強姦、猥褻」の継続としての「従軍慰安婦」という一連の問題の全体像を見渡すべきであろう。その方が、日本の侵略戦争の悪を裁く上で、より有効であろう。

 このような資料調査の対極をなすのは、かの言論詐欺師、大手新聞記者、本多勝一の「仕事」である。私は、本多勝一が朝日新聞の連載「中国の旅」で「百人斬り」などという不可能なヨタ話を書いて以来の「南京大虐殺」論争なるものは、「草野球の酔っぱらい観客の場外乱闘」と位置付けている。お粗末だから、揚げ足取りが容易になる。

「従軍慰安婦」問題の議論にも、これと同じ性質の弱点がある。日本軍の法務部、憲兵、軍事法廷、さらには、当時は公娼制度が存在した日本の売春業者、売春婦の存在、軍でなくて内務省の衛生局の所管だった公娼制度の位置付けなど、複雑な事実経過を避ける傾向が見られる。「従軍慰安婦は売春婦だった」と揚げ足取りされると、慌てたりしている。なぜなら、公娼制度の現実の上に、強制連行が続いたという歴史的経過を無視する議論になっているからである。もちろん、公娼制度をも批判の対象とすべきである。

「従軍慰安婦」問題を取り上げた先駆者の千田夏光は、こういう細部を無視しなかったのだが、最近の運動家は、千田夏光の先駆的業績を無視しているのか、迂回しているのか、ともかく底の浅い議論ばかりしている。多くの筆者は、いきなり「従軍慰安婦」の当事者のルポに走る。生々しいとはいえ、事実上、朝鮮で女性狩りを実行した警察官の監督官庁、日本の内務省の出店、朝鮮総督府の資料が発見されていない点など、最も重要な根幹を突こうとしない「逃げ」の姿勢になっている。これでは歴史の真相は明らかにならない。

『続・現代史資料6:軍事警察』の発刊は1982年であるが、原資料は存在し続けていたのである。この程度の資料探索すらせずに、また聞きでヨタ話を書いた記者、それを載せた大手新聞、まったく呆れたものだが、だからといって、その揚げ足を取って「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は売春婦だった」などと強弁する方も、実に下品な「売らんかな」商法なのである。

 どちらも、ああ、日本人として恥ずかしい。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/juugun-02.html
「従軍慰安婦」問題に見る「メビウスの帯」断章
(その2)「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」実物の所在と背景事情

編集長日記風「木村愛二の生活と意見」2000年5月分から転載。
6.2(金)「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」の実物の所在と背景事情(?)

 本日午前11時、先日も記した『続・現代史資料6.軍事警察』(1982.2.26.高橋正衛・解説、みすず書房)所収「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」の実物の所在について、やっと電話の確認ができた。

 なぜ私が、この確認を求めたかというと、上記の本のどこを見ても、同「陣中日誌」の実物の所在場所が判明しなかったからである。当然、私は、出版社に電話をしたが、この問題が分かる編集者が、たったのひとりで、しかも、外出中のことが多く、なかなか掴まらなかった。

 その間、「凡例」で「種々の資料の閲覧についての便宜をたまわった防衛研修所図書館」とある「防衛研修所図書館」にも問い合わせた。同図書館は恵比寿駅近くにあり、私は、一度だけ訪れたことがある。ところが、104で電話番号を探すと、まったく出てこない。仕方なしに防衛庁に問い合わせると、何と、「研究所」に変わっていた。研修よりも研究へとテーマが広がったからだという。やっと電話番号が分かって聞くと、蔵書目録には載っていない。ついでに確かめたら、防衛庁が保管している資料については、正式な目録作成、一般公開以前にも、研究者には見せていたという。「法務部」の記録だから、一応、最高裁の図書館にも問い合わせたが、やはり、持っていない。

入手の経過の背後に複雑な事情?

 そういう経過で、やっと本日、担当者が掴まえることができたのである。立場を名乗り、主旨を話すと、快く教えてくれた。まず、解説者の高橋正衛は、みすず書房の編集者だったが、昨年物故していた。代わりを引き受けた編集担当者によると、同「陣中日誌」の実物は「みすず書房が保管している」とのことである。

 上記の本の「凡例」などに実物の所在場所の記載がなかった理由は、ことの性質上、さらには解説者としての名前も出した編集者の物故という事情もあり、当然のことながら、確答を得たわけではないのだが、どうやら、実物の入手経過が複雑だったことにあるらしい。個人が戦後も密かに所蔵し続けていた公文書や「日記」類の入手の背後には、遺族などの複雑な事情が潜んでいる場合が多い。この「日記」が辿った運命も、そのようなことらしいのである。しかも、「殺人」「強姦」などの犯罪の判決文には、上記の本では伏せ字にしている氏名が明記されている。一般公開が難しい性質の記録でもある。

「極秘」資料を残した法務官は2.26.事件にも関与

 上記の本の冒頭には13点のモノクロ写真が収録されている。そのまた冒頭が、この「陣中日誌」の表紙であり、おそらく黒い筆字で、真中に「陣中日誌」、左下に「小川法務官」とある。右側に薄く写っているから朱色の筆字で書き加えられたと思われるのが、「第十軍法務部」と「中支那方面軍軍法会議」であり、左上の「極秘」である。

「小川法務官」について、上記の本の「資料解説」では、つぎのように記している。

「小川関治郎は、甘粕正彦憲兵大尉を裁いた軍法会議(第1回、大正12年10月8日)の判士、2.26.事件では、真崎甚三郎大将裁判(判決、昭和12年9月25日、無罪)の裁判官である」(p.xxxiv)

 本人が記した「第七号軍法務部要員」の一覧表では、小川自身の「戦時職」が「第七号軍法務部長」、「現職」が「陸軍高等軍法会議法務官」、「官等」が「陸軍法務官高等官二等」と記されている。

 別途、「資料解説」全体の総括として、単に「解説」とある部分の最後に、「手帖[中略]に鉛筆で書かれた個人日記」の一部が紹介されている。「吾々文官ハ差別待遇ヲ受クルコトナキニアラズ。[中略]実際邪魔アツカイセラルルハ事実ナリ」など、興味津々のメモなのだが、電話で話した編集担当者によると、この「個人日記」も、今年の夏には公刊の運びである。

 以上、この「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」については、普通の軍の公式記録とは違って、1982.2.26.以前には、いかな研究者でも探索不可能だったことが判明したわけである。

南京攻略参加の少将の手記を紹介した『諸君!』記事

 しかし、早くから、日本の軍人自身による記録の存在が確認されていた。実に奇妙なことには、その記録の内のひとつの存在については、かの厚顔無知なる言論詐欺師、「南京大虐殺」なる「お得意」大袈裟キーワードの造語者、天下の朝日新聞記者(当時)、本多勝一ではなくて、まったく逆に、その本多勝一の「百人斬り」、また聞き、鵜飲み、裏付け調査なし報道を、痛烈に批判した鈴木明の「『南京大虐殺』のまぼろし」(『諸君!』1972.4)の方に、つぎのように紹介されていたのである。

「第十六師団の佐々木到一少将の残した手記があり、これは戦争中発表されることを予期しないで書かれたものだけに、数少ない資料として珍重されている。[中略]佐々木少将の(日本人によって書かれた、恐らく唯一の一級資料)よく使われる資料の一節に、『部隊をまとめつつ前進、和平門にいたる。その後浮虜ぞくぞく投降し、数千に達す。激昂せる兵は上官の制止もきかばこそ片っぱしより殺戮する。[後略]」(p.182,187)

 つまり、鈴木自身は南京事件を頭から否認していたわけではなくて、資料が少ないことを指摘していたのであった。記事の題名に「まぼろし」と付けたのは、おそらく編集者なのであろうが、その「まぼろし」の意味も、記事を克明に読めば、本多勝一の「百人斬り」報道が「まぼろし」という批判だったのである。

 上記のように、鈴木が「恐らく唯一の一級資料」とまで書いてしまったのは、勇み足でははあるが、1972年のことであって、その10年後の1982年になって、さらに「稀有」な法務官による公式記録が出現し、かつ28年後に当たる本年、2000年には、その法務官の「個人日記」が公表の運びとなるのである。

 この際、「歴史見直し研究会」代表を名乗る私としては、本多勝一流の裏付け調査なしの「また聞き」のヨタ話はもとより、その逆に、本多勝一らの揚げ足を取る「草野球の酔っ払い観客の場外乱闘」紛いの「売らんかな議論」をも含めて、ひとからげに退治し、正確な資料に基づく冷静な歴史見直しが行われることを、切に希望する。


 上記の「NHKスペシャル制作者」は、以下の「池田恵理子(いけだえりこ)」である。


プロフィール
池田恵理子(いけだえりこ)

1973年早稲田大学卒業後、NHK入局。ディレクターとして、教育、女性、医療、エイズ、人権、「慰安婦」問題などの番組制作にあたる。主な番組に「体罰~なぜ教師は殴るのか」「埋もれたエイズ報告」「東ティモール最新報告」「50年目の『慰安婦』問題」「グアテマラ 二度と再び」など。現在はNHKエンタープライズ21のプロデューサー。

1997年に自主ビデオ制作集団「ビデオ塾」を結成。各国の「慰安婦」被害者の証言記録運動を始め、2000年には「沈黙を破って~女性国際戦犯法廷の記録」を制作した。著書には「テレビジャーナリズムの現在」(共著・現代書館) 「エイズと生きる時代」(岩波新書)「加害の構造と戦争責任」(編著・緑風出版)ほか。


 番組「改変」を云々する連中も、同程度で、ここでも、「草野球の酔っ払い観客の場外乱闘」の状況が続いている。慨嘆に耐えない。