2003年1月31日(金)晴れ
今月も終わっちゃいます。なんかジタバタして締まりのない月でした。
1月中に仕上げるぞ!と宣言した編集長の新しい本の原稿は、予想通り「まだ」、毎週更新するぞ!と意気込んだ編集長の日記は、「忙しい」。
ある程度予想はついていましたので、秘書、腹も立ちませんが、期待を持たせた読者の皆さんにはどう言い訳するのでありましょうか。秘書は代弁はしませんからね。自分で植えたイモは自分で収穫して下さいね。蒸かしイモにするくらいはやってもいいですけど。
目下編集長は来月の2日の講演のことで頭がいっぱいのようです。あれもこれもと欲張っているようですが、制限時間は1時間。これは難しいですぞ。締まりなく喋ったら前振りだけでタイムアウトです。秘書、密かに編集長のネジを巻いてはいるのですが、どうなることやら。
2003年1月30日(木)晴れ
てれてれと歩いていたら、むふ? 街角にいきなり見なれぬ黒塗りの立派な近代アパートが出現していました。確か昨年暮れまでは、雑草生い茂る空き地の奥に、廃虚の3歩手前、化け物専用に移行中、のぼろアパートがあったはずでした。そういえばネットで覆ってなんかやっていたなあ・・・
コンクリートの乾きも遅いであろう冬の最中に1ヶ月でアパートが建つ。なんとまあ建築技術は進歩したのでしょう。きっと日々合理化に努め、抜けるものは全て抜きまくって工期を短縮したのでしょう。柱も1本やそこら・・・
地元の警察署が建て替えのため引っ越したのは2年前のことでした。駅近くの工事現場を通りかかるたびに覗き込むのですが、未だに地下部分の工事をしています。民間マンション等は3ヶ月もすれば5階建てが出来上がりです。警察の地下には一体なにがあるのでしょうか。核シェルター? 巨大地下都市? あるいは都心まで続く地下通路? きっと地上で何が起きても警察の地下だけは安泰なのでしょう。
地元の皆さん、大災害時には、警察に避難しましょう、と大声で言いたくなりました。
2003年1月29日(水)晴れ、風が冷たい・・・
さて、社内にはびこっていた枯れすすきがようやく風化して消え去りました。これでしばらくは平穏無事です。心おきなく仕事ができます。穂先がちぎれて散らばったりしておりますので、掃除機で吸い込んで、ついでに床も磨いて、ああ気分がいい。さあ、整理整頓・・・と踏み台に乗って棚の上の方を片付けていたら、いきなり軍艦マーチが炸裂して思わず足を踏み外しそうになりました。
なっ、なんじゃい、パチンコ屋じゃあるまい、と奥の院のドアを細めに開けてみれば、どかーっと軍歌が流出して廊下を埋め尽くしてしまいました。
おのれーっ。
がんがん文句言ってやろうと乗り込んでいったら、ああでもないこうでもないと編集長がテープやら譜面やらをとっ散らかしていました。「輸送船行進曲」の正確な歌詞を知りたいというのです。ところがインターネットにも図書館にも資料がないのだっ、と。そんな役にたたない図書館はいらん、とみるみるボルテージが上がって、ぼっと発火しそうです。消防車が出動して大騒ぎになるのは有り難くないので、秘書が代わりに探してあげることにしました。年中大事なものを編集長に紛失されては発掘しておりますので、こういう作業は割と得意なのです。どれどれ。
ありましたがな。なに?歌詞が全然違う? じゃ、これでどうだ。なに?曲名が違う? その歌詞ならこの歌しかありませんがな。よーく考えてみなされ。何?曲名を間違って覚えていたかも知れないだと。素直に認めなさい。えっ、歌詞が一部違うんだって? そんな歌詞の歌ありません。あ、あったあった。
で、出て来たのは、こういう歌詞の曲があった筈だと書いた編集長自身のページ。話になりません。
もしかしたら、と試行錯誤して見つけだしたのが、「異国の丘」でありました。先に探した「暁に祈る」と見事に歌詞をごちゃ混ぜにして、ありもしない「妻よ辛かろ切なかろ」というフレーズを作り上げていたのでした。「輸送船行進曲」とは何の関係もありませんでした。歌詞をミックスした歌のメロディの方はどうアレンジされているのだろうかと気になりました。まさか人前で歌おうっていうんじゃないでしょうね。
2003年1月28日(火)晴れ
お使いで駅の向こうまで行って、帰り道少々横にそれていつもと違う道を歩いておりましたら、又新たなビルが建設中でした。ふーんと思いつつ、前はここには何があったっけと思いつつ、通り過ぎたら、後ろでガシャッと音がしました。
振り向くと歩道に、足場のパイプを繋ぐ留め具のようなものが転がっておりました。辺りを見回し上を見ると、はるか頂上でクレーンの先が動いているのがみえました。誰かがへまをやったに違いありません。留め具は金属製で結構大きいものです。
当らなくて良かった、で秘書はすたこら帰ってきてしまいました。こういう反応をするのが秘書の欠陥だと後から思いました。よくよく考えてみれば重大事態です。編集長を見習って即刻抗議すべきでした。
羊なら100匹いてもちっとも恐くはありません。それどころか毛はむしり取って織物にしてお肉はラムステーキにして、といいように始末されます。やっぱりティラノザウルスくらいでないと、世の中は言うことを聞いてくれません。
2003年1月27日(月)雨
テレビでピンクのノバウサギを見ます。歌いながら御機嫌で歩いていると、後ろから来た兄ちゃんに耳をちぎられてウサちゃんぶっちぎれて怒りだすかと思ったらムクムクと耳が生えてきて、また御機嫌で歌いながら歩いていく・・・別にノバに通いたい訳ではありません。
問題は、ウサちゃんの歌です。楽しそうに歌っているのは「いっぱい聞けていっぱい喋れる~」なんだそうです。秘書にはそうは聞こえませんでした。秘書の耳には、
いっぱい漬けていっぱい食べれる~
と聞こえていたのでした。てっきり白菜漬けだと思っておりました。沢庵でもいいですけど、ウサギ=菜食=いっぱい=漬け物。
こういう話を社内ですると殴られそうな気がします。社内には新聞切り抜きの古漬けが段ボール箱に詰まっていっぱい積み上がっております。
2003年1月26日(日)晴れ
本日はお日柄もよく市のフリーマーケットでございます。寝坊しないでちゃんと起きて、いそいそと行ってまいりました。
が、最近どうもいまいちでございまして、欲しいものがじぇんじぇん見当たりません。これもひとえに秘書が日々精進して悟りの境地に入って参りまして、俗な欲望と縁を切り聖人君子友の会に加わろうとしているからでしょうか。
でもせっかく来たのに何も買わないのは修行不足なのかやっぱり悔しいです。押し合いへし合いするおばちゃん達の隙間に入り込んで物色を始めました。小豆を煮詰めたような色のセーターがありました。すなわちアンコ色。少々色が混じった粒餡です。秘書はお饅頭も粒餡の方が好きです。若者向けブランドで全体小さめで、だからおばちゃん達が見逃してくれたのでしょう。秘書にはぴったんこです。
ふと隣のお姉さんをみるとふかふかのセーターを手にとって思い悩んでいました。秘書は(あ、それ欲しい)と思いました。とかくバザーとかフリーマーケットでは、人が握ったものはよくみえる傾向があります。でも、お姉さんは悩んだ末に200円と言われてお買い上げになりました。秘書のも200円にして貰いました。
別の所でハンカチを買いました。銀座は和光の絹のハンカチが300円、値切ったらダメと言われました。セーターが200円でハンカチが300円。こんな風に価値観がごっちゃになるフリーマーケットが秘書は大好きです。
2003年1月25日(土)晴れ
某週刊誌から取材がはいったので、急遽これとこれとこれのページを分かりやすくせい、といきなり言われて、秘書あたふたとあっちの間こっちの間を駆けずり回りました。分かりやすくったって、元の土台が迷路なものですから、頭を捻ったくらいでは間に合いません。あちこち頭突きをくらわせて壁をぶち抜いて通路をつけて、と突貫工事をいたしました。
やってみてつくづく思いました。我が社のサイトには魑魅魍魎が巣食っていると。おどろおどろしい物の怪の類いは、かなり退治した積もりだったのですが、未だにとんでもないところにとんでもないものが現われるようです。皆さんもご用心ください。
2003年1月24日(金)晴れ
お使いのついでに、久し振りに職安に行ってまいりました。毎日が抗争に明け暮れる生活は、そりゃ刺激があって楽しいのですが、人生にはいろいろな都合ってものがありまして、その、なんですか、つまり、憎まれ愚痴社よりもっと楽でもっと給料の高い仕事があったら、うにゃむにゃ・・・
世の中けっこう厳しいということを確認して帰ってまいりました。悔しいので宝くじ売り場でスクラッチくじを買ってきて、パソコンの陰で仕事してるふりしてごしごし削ったら全部ハズレでした。もっと悔しくなりました。
夕刻に編集長が出張でお出かけしましたので、早速お茶を入れてビスケットの自棄食いをいたしました。粉っぽくてむせてしまいました。本日編集長はバカ高い会費を払ってどこぞのクラブに行っている筈です。さぞかし美味しい思いをしているのでしょう。やっぱり秘書は悔しいです。
2003年1月23日(木)確か雪だったかと・・・
寒いでやんす、と思っておりましたら、お家を出てあちこち寄り道して我が社へ辿り着くまでの間に雪が降ってまいりました。折り畳み傘を持っていましたが、拡げて差して乾かして又畳むのは面倒なので、降りしきる雪の中を強行突破してまいりました。大通りの交差点で青信号を待っていましたら、渋滞で停車中のバスの乗客の皆さんがじっと秘書を見ていました。
ちょいと視点を入れ替えて、自分はバスに乗っていると思ってみましょう。激しくなってきた雪の中、ちびっこいのが傘も差さず両手をポケットに突っ込んで震えて信号が変るのを待ってます。きっとお家には傘が1本もないのです。帽子も被っていません。なんて気の毒な身の上の人でしょう・・・
徒に同情を引くのはよくありません。引いてもせいぜい貧乏くじが当るだけです。これからは世間常識に逆らわないで生きていこう、と思いました。
2003年1月22日(水)晴れ
愛松君が重症の黄疸を起こしていた頃、編集長は木村書店の新作「仰天!痴呆自治 文化都市武蔵野」の執筆に重い腰をあげておりました。しかし、さあ、とキーボードに向かうとたびたび画面がゆらゆらっと横流れになりその都度思わずギクッと腰が引けるようで、妙な体勢でキーボードを叩いていました。
横目でちらっと睨んだ秘書、(このままでは必ずぎっくり腰になる。そうすればこき使われるのは必至だ)と思い、それとなく、メビに移行するよう勧めました。
ワードで書いた方が推敲とか楽ですよ、と編集長をそそのかしていると、まるでマイクロソフトの手先になったみたいですが、そんなことは全然ありません(マックユーザーに対するワード普及の貢献者として、付け届けでもしてくれれば話は別です)。
ぎっくり腰が回避されたとしても、いつか必ず来るであろう愛松君撃沈の日に、原稿まで玉砕されたのでは、秘書がえらい迷惑をこうむるからです。
ウインドウズに関しては駆け出しどころかスタート地点から1歩も動こうとしない編集長に、ワードなどという高級ソフトを使わせるのは、駱駝の空中ブランコと同じくらい無理のある話ですが、そこは優秀な秘書、すっかりお膳立てして、必要最低限の機能だけ伝授して、さあやりなさいと引導を渡し・・・たんじゃない、指導を開始しました。
あれっ、とか、ありゃっ、とか聞こえてくるのは最初のうちは仕方ありません。しばらくすれば、それなりに使いこなして、もう煩わされることもありますまい。
・・・と考えたのは、秘書が甘かったです。朝早く電話で叩き起こされました。大変だ、と言うのです。メビの画面が揺れはじめて止まらなくなったので強制終了して再起動したら(こういう芸当ができるようには進歩したようです)、全部消えてしまった。
えっえー!? とにかく出社してから調べることにしました。こういう日は天気は良いのに朝から気分が悪いです。
しかし、大騒ぎしましたが、原稿はちゃんとありました。何をしたのか頭の方に膨大な量の改行が挿入されておりまして、改行マーク非表示だったもので全て消えて白になったと、このブランコ駱駝さんはお思いになられたのでした。思うにこの理不尽な世相、編集長にもいろいろお腹立ちになることがおありでしょうが、八つ当たりして引っぱたくからキーが暴走するのです。秘書の受難は続きそうです。
2003年1月21日(火)晴れ
愛松君相手にしこしこインターネットやってた編集長が、グエだかギャだかカバが潰れたような声を出しました。慌てて秘書がすっとんでいくと、愛松君が血を吐いて横たわっていました。何をしたんですか、編集長!と思わず詰め寄りましたが、いきなりこうなった、の一点張りです。絶対何かしたに違いないと秘書は思うのですが、しかし、追求してもしかたありません。愛松君を何とかしなくては。
ここのところずっと愛松君は、過労なのか黄疸が出ておりまして、非常に画面が見にくくなっていたのでしたが、今日みたいに真っ赤っ赤になったのではどうにもなりません。緊急手術をすることにしました。すなわちリストア。お店から来た時の状態にもどしちゃお、ということです。当然記憶がプッツンしますから、あれこれバックアップしておきます。
で、やるぞ、いいですね、とリストア開始。あっけないものですぐ終わりました。起動すると、見違えるように顔色が良くなっていました。めでたしめでたし・・・ではないのです。お店から来た時の状態、すなわち3年程前の状態ゆえアップデートというものを山ほどせにゃならんのでした。追加インストールもどっちゃりこ。それはどういうことかというと、愛松君の御主人様の編集長はそんなこと自分でするものではないと思っております。すなわち「やっといてね」の一言を残して日課のプールへとお出かけになられたのでした。
秘書は単なる秘書です。システム管理責任者ではないのです。なんでこんな目に合わなければならないのでしょう。しかし同志愛松を見捨てる訳にはいきません。頑張りました。やっと一通り終わった後、自動アップデート機能が働いて、ファームウェアのアップデートの通知が来ました。実行しようとして気がつきました。このアップデートは横にあるプログラマボタンを押す必要があります。プログラマボタン、それは、長いこと編集長がリセットボタンと勘違いしてフリーズするごとに押し続けていたボタンでした。
プログラマボタンの意味を秘書は知りません。しかし、愛松君受難の原因と大いに関係しているのではないかと秘書は思いました。とにかくこのボタンは絶対押さないように、とお願いするしかありません。愛松君と秘書の悲惨物語でした。
2003年1月20日(月)晴れ
さてお待ちかねの、松子さんのメモリ物語です。秘書が夜中の11時頃インターネットで注文したのに、翌日には確認のメールが送られて来て、届くまで7営業日を要するみたいなことが書いてあったのに、その翌日には届いちゃいました。さすが天下の林檎株式会社、やることが早い! 座ぶとん5枚くらいあげたくなりました。
と余計な話はさておき、聞くも涙騙るも涙いえ語るも涙の、ボンダイブルーiMacメモリ増設。インターネットでいろいろ調べている段階ですでに「難易度が高い」とか書かれておりました。しかしいまさら正規のサービスプロバイダに持ち込むのはかなり癪です。
ヘルプの手順書をヘルプの忠告に従いプリントしてプラスドライバを用意して、松子さんをベッドの上にひっくり返しお尻のカバーにドライバ突っ込んでぐりぐり回してネジ外して力まかせにカバーをひっぺがし・・・と安物ポルノみたいですな。実はカバーが外れなくて、えいえいひっぱりました。弾みではがれた時には秘書が後ろにひっくり返りました。
お次は4ケ所の配線を外します。3ケ所は外れましたが、1つ言うことをきかなくてプライヤーまで動員しましたがダメで、あやうくサポートに電話しそうになりましたが、これも弾みで抜けました。
次、ロジックボードを引き出す。「慎重に」と書いてありましたので、そろそろやったら、出て来ません。これもえいえい引っ張り出しました。
お次は、メモリの取り付け。静電気御法度、余計なとこ触るな、慎重にやれ、というので、こわごわやりましたら、はまりません。思わずえいっとやってしまいました。かちっ。入ったようです。
この後が大変でした。ロジックボードが元に戻らないのです。こういう時には根性で叩き込む、のは最もやってはいけないことです。過去秘書はこの手を使ってさまざまな器具道具を昇天させました。じーっと見つめて試みて、あらら、CDスロットの部分が内臓みたくぶら下がっておりました。ちょいと元に戻して再挑戦して何度かやり直して入らなくて、泣きべそになってきて、もう一度入れて、そしたらストンと結構な勢いで落下して納まりました。ぎくっ。
あとは配線元に戻してカバーを付けてネジ締めて、締め終わって気がついたら、カバーの爪がちゃんと嵌まってなくて、ネジ緩めて爪嵌めて・・・嵌まらない。思わず殴って嵌めてしまいました。
問題は元の場所に据えて電源入れてどうなるかです。では、入れてみましょう。ジャーン。
おお。
立ち上がりました。松子さん生還しました。試しにブラウザ立ち上げてみると、おお、快速です。いやあ、やりましたね。あっはっは。
2003年1月19日(日)雨
寝ても寝ても眠いのは雨降りのせいだけではありません。連日の社内抗争は繊細な秘書の心をいたく消耗いたします。では、朝寝、昼寝に続き夕寝をいたします。その後御飯を食べてお風呂に入って早寝をします。けっして怠けているのではありません。また明日からよりよい労働をするため休養に努めているのです。
2003年1月18日(土)曇り
昨日は編集長のめでたい誕生日でした、と今朝、寝ぼけまなこで紅茶すすっている時に気がつきました。バースデイプレゼントは勿論、お花も祝辞もあげませんでした。悪かったかしらん。でも、いまさらお誕生日が嬉しい年頃でもなし。
そういえばぶつくさ言っておりましたっけ。還暦過ぎると77歳は喜寿、88歳米寿、99歳白寿、111歳皇寿。66歳は何もないのか、碌々祝いもせん碌でなしばかりか、とか。あれは秘書への当て擦りだったんでしょうか。まっ、いまさら考えてもしかたありません。土日と二日もたてば、また一つ歳くったことなどすっかり忘れて若い気になって、あちこちかき回すんでしょうから。
経験を重ねて歳をとると、人間が丸くなる、と巷間よく言われますが、秘書は最近認識を新たにしました。すなわち、人間の基本的な人格は幼少時に出来上がって生涯そのまんまになる、と。三つ子の魂百までもは、けだし名言であります。すなわち、悪餓鬼は爺様になっても悪餓鬼であり続けます。秘書が何を言いたいか、賢明な皆さんはもうおわかりですね・・・
2003年1月17日(金)晴れ
そろそろ花粉飛び散るシーズンです、対策はお早めに。という訳で、我が社内にも花粉除けマスクのストックが積み上がりました。すでに山成す狸皮と相まってそれはそれはそれは息の詰まる光景でございます。マスクの山が崩れて下敷きになった秘書窒息、なんて笑い話にもなりません。
さて、昨年、編集長はとうとう目の痛みに耐えかねて街中でもゴーグルを着用するようになりました。マスク、ゴーグル、帽子と揃った日には、銀行を襲わないまでもかなり怪しい人です。どうかやめてくれろ、と秘書は小声でお願いしましたが、背に腹は替えてもこれだけはダメだ、と暴走族にマニ法典状態でした。
しかし、いつまでも怪しい人ではいられますまい。自分でもそう気づいたようで、今年は編集長一念発起してメガネ屋さんで花粉除けサングラスを求めてまいりました。サングラスだけ見ていれば、なかなか格好いいのですが、問題はやはりマスクです。サングラス、マスク、帽子と揃えば、どこからどうみても銀行強盗もしくはコンビニ強盗です。サングラスの色が濃すぎるのです。なんで素通しの普通のを買わんのじゃい、と秘書、説教を垂れてしましました。何があっても一緒に出歩くのは嫌です。
2003年1月16日(木)晴れ
仕事の合間の内職終えて納品に行って帰って来たら閉め出しくらいました。えーん、ひどいよう。秘書が内職するのはお給料が現物支給だからだい。ぐすっぐすっ、と鍵開けてはいったら、老人会に行ってまいります、と編集長の書き置きがありました。どうやら年金なんとかやらの執行委員会だったのをすっかりお忘れだったようです。
秘書にいじわるしたのではないと分ったので一安心し、ついでに誰もいないことだし、とお茶入れて来客用のおセンベイをぼりばりかじっていたら、編集長が帰って来ました。げっ、お帰りが早すぎます。思わずおセンベイのかけらを吸い込んでむせてしまいました。ああ苦しい。
またしても議事進行で揉めて、ぶっちぎれて早退してきたとのことでした。もう知らん!とかぷりぷりしていましたが、もうったって、この前も同じこと言ってませんでしたか。見切りつけた筈だったのに、もしやとかあらぬ期待したんじゃありませぬか、物好好事魔多右衛門殿。今度こそお止めなされ。会費も切れまする。
2003年1月15日(水)晴れ
お家のポストに新規開業の歯医者さんのチラシが入ってました。御案内の文字の下にぴちょん君の頭に青海波を描いたようなニコヤカ系のキャラが歯ブラシ握って可愛く笑ってます。
ふーん、開業セールやるのかな、安いのかな、とひっくり返して眺めましたが、料金表は載ってませんでした。美容院なら新規開業だとカット通常料金4500円が1800円になったりするのに。料金不明でも病院や医院はお客が来るありがたい商売です。
ま、せいぜい儲けなさい、ともう一度ひっくり返して表をみて、へっ?と思いました。この歯医者さん、竹の子歯科という名前です。竹の子といえば、すくすく育って直ぐ集団で生い茂るあれです。つまり薮の予備軍。
何が楽しくて自分から、ヤブ医者の手前です、と名乗るのでしょう。歯医者さん界のユーモアなのでしょうか。御近所には、岡歯科がありますが、秘書にはちっともおかしかありません。
2003年1月14日(火)晴れ
さて、問題です。今どきメモリ32MBのパソコンなんてなんの役に立つのでしょうか。
答え:部屋の飾りになります。狭い部屋では時々邪魔っけになり、捨てたくなります。
秘書んちには愛松登場の次の新松登場ではじき出された凡大ブルーな松子さんがアルバイト代の現物支給でおります。メール送ってくれたりそれなりに働いてくれていましたが、秘書がふと出来心でブラウザのバージョンを上げたばっかりに僅かなメモリを食いつぶし、ジージーと鳴くばかりでほとんど動かなくなりました。焦った秘書は近所のパーツやさんにとんで行って、古いiMacのメモリおくれっ、と言いました。親切な店員さんがいろいろ調べてくれて言うことには、「製造打ち切っております」。
がーんがーんがーん
と秘書の頭の中で脳味噌が転げまわりました。松子さんが使えないなんて、なんて由々しき事態でしょう。そりゃ旧式の松子さんなんかさっさと見切って最新のOSXにすれば、快適パソコンライフが待ってるなんてことは秘書にもわかります。けど分かっていることと所有できることとは話が全く別です。ここまで言えば皆さんにもお分かりですね。秘書んちのお金は今家出してるんです。早いとこ帰ってきて欲しいのはやまやまなんですが、いろいろ世間は大変でして・・・
で、秘書しばらくブルーになっておりましたが、ふと気づきました。インターネットのお店のどっかにあるんじゃんないか、と。仕事してる振りして探しましたら、ありましたがな。本家本元のアップル純正メモリが。製造中止したのはサードパーティだったのでした。もちろん純正品はお高いです。が、本体買い替えるよりマシですので、涙を飲んで注文いたしました。
問題は、ボンダイブルーのiMacのメモリ増設はそれ以降の機種に比べて少々どころかかなり面倒臭いということ。静電気体質の秘書にうまく取り付けられますでしょうか。皆さん、秘書が何かやらかすのを期待してないでしょうね・・・
2003年1月13日(月・成人の日)晴れ
お昼用の牛乳を買いに外に出たら、肩をそびやかした兄ちゃんが集団で歩いていました。えーん、恐かったよー、とお家に帰ってぼやいたら、同居人の頭の回りで???が踊っています。
ぱりぱりの一張羅の服来て髪もびしっと決めてカッコつけちゃって、1人はでっかい肩章付きのコートのベルトぎゅっと締め上げて、もう1人は黒の毛皮のロングコートの裾ひらひらさせて、歩調までなんかやたら気合いが入っちゃってて、お前はどこの組の若いモンだっ、どこのホストだっ、ていう兄ちゃんたちでした。
同居人がまじまじと顔を覗き込んで言いました。それって、新成人じゃないの?
え?、でありました。あの兄ちゃんたち、成人の喜び、なんて顔してませんでした。成人式といったら、世の汚れをまだ知らぬ純粋な若者が、生まれてから20年、やっと大人になれました。ここまで見守ってくださった皆様ありがとうございました。これから世のためにつくしてまいります、と目をキラキラさせて宣誓する日ではなかったでしょうか。
しちめんどくせえけし、かったるいけどよ、親が行けっつうから行ってくるか。車買ってくれるって言うしよ、服がないったら10万くれたしな。親の顔もたててやんなきゃな・・・と親孝行してるのか不幸してるのか、取り敢えず長いものには巻かれとけ、みたいな本音が丸見えになっている兄ちゃんたちでした。
また今年も各地で暴走族の抗争みたいな式典が行われるのでしょうか。
昔を思い出します。上京したものの住民登録をしていなかった秘書のところには当時住んでいた区の役所からは当然通知は参りません。1月15日は寒かったので1日中こたつむりになって寝ておりました。その頃田舎の市役所では成人式が行われておりました。後日帰省した時に、成人式どうした?通知が来ていたよ、と母が葉書を出してくれました。どうしたって、あんた、通知が来てること知らせてくれなかったじゃないか・・・と心の中で泣きました。別に行きたくはなかったのでしたが、それは日頃の秘書の言動からして絶対行かないだろうと親は思ったでしょうが、だからってないがしろにされるのは辛いものです。
そういう話を、いつか飲み会の席でしたら、なんと居合わせた人間のほとんどが出席してませんでした。そういう年代だったのでしょうか。はたまた類が友をよんだのでしょうか。
同居人も1日中寝ていたそうです。
2003年1月12日(日)晴れ
日曜日に働くなんて罪悪です。良い子の秘書は安息日を守ります。
2003年1月11日(土)晴れ
連日の社内抗争に疲れ果て秘書は熱が出ました・・・
2003年1月10日(金)晴れ
毎日毎日阿呆なことばっかりしていると自分でも嫌になりますが、仕方がございません。そもそもお笑いのような会社に就職してしまったのが全ての間違いの元なのですから・・・
社内には、今何時? 親父!、とか嬉しそうに喋るようなおやぢがごろごろしてます。踏みつけたり足をひっかけないように歩くのはホネでございます。
さて、ずーっといい加減にほったらかしてあった、我が社の根幹のWEB雑誌『憎まれ愚痴』を、やはり目玉商品にすべく、「週刊にするぞ!」と口走り往年の読者に空疎な期待を抱かせ、やっぱり忙しいから「月刊にして中身で勝負だ!」と大構想をぶち上げたのが昨年の11月。それからどうなったかは、読者の皆さんがよく御存じです。暮には、「新年号に乞う御期待」とやりましたね。
なのに、1月の10日にもなって、『憎まれ愚痴』は暫定月刊12月号発行中です。読者の皆様になんと言い訳いたしましょうか。かくなる上は・・・
と、お尻に火をつけるべく特大マッチを用意して奥の院に忍び込んだら、さすがヤバいと思ったのか編集長がしこしこと新年の御挨拶を書いていました。
これで一安心と思いかけましたが、念のためよーく観察すると、何をやりおるこのおやぢ、めでたい新年そうそう懲りもせず河原で枯れすすきのオンパレード御挨拶であります。聞けば新春講演が決まったのでそこでお披露目するつもりらしいのですが、間違っちゃいませんか。新春講演であって新春公演じゃございません。憎まれ愚痴社は興業はやっておりません。秘書はマネージャーになった覚えはありません。
2003年1月9日(木)晴れ
去年の話その2(何をまた今さら・・)。
暮に住宅街で牛が暴走しました。憎まれ愚痴社の御近所の話ではなく、どこぞの地方都市です。運ばれる途中で車から逃げ出して自動車行き交う道路を走りました。何故そうなったかは生憎と新聞記事にならなかったのでわかりませんが、テキトーに掛かっていた施錠を案外自分で外したのかも知れません。まさかというなかれ。人間様は結構牛より粗雑なことをします。横目で眺めたテレビニュースでは、ガードレールなぎ倒し自転車はねのけぷりぷりお尻ふってかけてく牛の後ろ姿と、取り押さえようと右往左往する人間達のお笑い番組のようなシーンが放映されていました。
軟弱な都会モンにとって牛は猛獣であります。突進されれば思わず飛び退き逃げまどい、角に引っかけられてけが人まで出たらしいです。ライオン狩りそこのけの麻酔銃まで持ち出しての大捕り物のすえ、無事保護されたとのことですが、行く先が食肉センターだったのなら、牛にとっては“無事”どころではないです。
テレビ取材のインタビューにおじさんがコメントしていました。
「十勝から来た牛だっちゅうから、都会にびっくりしたんでねえのかい。」って、そういう問題ですかい。
2003年1月8日(水)晴れ
去年の話(何を今さら・・)。
憎まれ愚痴社の御近所は、JRの駅に近いというのに、会社と住宅が入り交じった妙な所です。表通りはさすがに民家はたまにしかないのですが、一歩裏へ回れば、戦争で焼け残ったの?というのも含めて長閑な住宅が多いです。
よく秘書が利用する裏通りのあるお宅では、玄関の脇が鶏小屋になっていました。もちろん鶏が数羽住んでいました。通りかかると、ココッココッと鳴くことがあります。鶏の習性から察するに、夜明けはさぞかし盛大に鳴くのでありましょう。御近所づきあいは大丈夫なのだろうか、向いの瀟洒なマンションの住人はノイローゼになりはしないか、と通るたびにいらぬ心配をしていました。
ある日、ふと気が付くと、鶏小屋が取り壊されていました。余計なものがなくなってみると、ごく普通の家でした。住んでいた鶏はどうなったのでしょう。どこにひきとられたのでしょう。まさか足首にリボンなんか結ばれて丸裸でひっくり返ってないでしょうね・・・
クリスマスの直前のことでした。
2003年1月7日(火)晴れ
新年そうそうまた身の上話をさせていただきます。
秘書は長いこと憎まれ愚痴社のアルバイト秘書をしておりました。何度も申し上げましたように、社長秘書であって編集長付きではございませんでした。が、そんなことお構いなしに、海星目海星梨科のさる御仁にこきつかわれておりました。
アルバイトというからには別に本業がございまして、これがまた半端じゃなく過密労働でして、時々秘書はぶっちぎれ、ついにはプッツンして本業の方を見限って、アルバイトの方を本業にいたしました。さて、気楽な人生が始まるかと思ったら、お知り合いから、ちょっと内職しない?、とお声がかかるようになりました。
つまり今度は本職秘書業のかたわら前職のような業務のアルバイトに励むことに相成りましたわけです。という訳で、正月そうそう引き付けを起こしたようにキーボードを引っぱたいております。勤務時間中にアルバイトをすることの是非については、そりゃもう、なんたって給与現物支給なんですから、そうそうお固いことは無しってわけでして・・・そりゃちょっとは遠慮しますけど・・・
日銭が入るのは嬉しいんですけど、ここに来て秘書自覚しました。キーボード引っぱたくのは性(しょう)に合わない! という訳で秘書少々ぐつぐつ煮えてます。金を稼ぐのはやはり辛いことです。人生そうそう甘くはありません。
(ついでながら海星はヒトデと読みます。)
2003年1月6日(月)晴れ
仕事始めです。いつまでもお正月気分で浮かれていてはいけません。秘書は、腕まくりしまなじりを決し闘志に燃えて仕事にとりかかりました。
まずは年賀状整理です。例年のように賀状カルタや賀状坊主めくりをして遊んでいる暇はありません。今年は決り文句の賀詞のついでに本の注文が入ってたりするので気が抜けません。そういう年賀状は取り出して社内の少し高い所、そう百科事典の棚の上などに置いて、パンパンとかしわ手を打ち恭しく頭を下げて深く感謝し、しかるのち、お客様リストに打ち込んで大事に保管します。文字通り、お客様は神様なのです。
どうやら今年も良い年でありそうです。本の発送作業をし、ほっと一息ついて、さあ溜まった仕事を片付けましょう、とパソコンのスイッチを入れ、編集長が大昔に書き散らした原稿など清書していると、ぐっ、なんだあれは。奥の院からうなり声が聞こえまする。耳を済ませば、編集長が歌っているらしい。
自分は河原の枯れたすすきである、とのびやかに気持ち良さそうに主張する歌です。傷物CDではあるまいに、繰り返し繰りかえし、枯れすすきい~、と語尾を伸ばす声がいつまでも聞こえてきます。
歌はストレス解消には一番であるらしいから我慢しようと思うのですが、いつの間にか、お前も枯れすすきい~、と余計なお世話に突入しています。秘書の頭のてっぺんが逆毛だちすすきの穂みたくなってきます。
どうせこの世では花の咲かない枯れすすきい~、に到っては、放っといてくれっ、です。どうせ秘書は芽が出ませんでしたよ花も咲きませんでしたよ。でもねっでもねっ地下茎に溜め込んだものくらいありますよっ。
とそこへ、ひときわ大きな、枯れすすきい~
ああ、もう勝手に立ち枯れていて下さい。秘書は意地でもこれから一花咲かします。
2003年1月5日(日)晴れ
♪あーさ起きーてめーざましをみーたら、あらら今日も10時でした。少々反省。気分をしゃきっとさせようとお風呂を熱めに沸かして入ります。ただ入るのはもったいないので、本を持ち込んで読書に耽りました。結果朝御飯が12時になりました。これで、喉が乾いた、と発泡酒の缶でもあけた日には、ほとんど小原庄助さんちのドラ娘です。出がらしのウーロン茶でぐっと我慢しました。
正月休みも今日でお終いです。明日からは、げに凄まじき宮仕えの身となりまする。なーんか訳の分らないお正月でしたが、のんびりしました。前職の長年の過密勤務から解放されて約10カ月。ストレスは溜まりませんがお金も溜まりませんな。溜まるのは洗い物と請求書くらいです。正月早々愚痴っても仕方ありません。明日は明日の風が吹きます。今日は空っ風です。
2003年1月4日(土)晴れ
ピカピカに晴れ上がってうらうらと暖かい、今日のような日は格好のお散歩日和。では、おべんと持って・・・お出かけしたかったでした。
ここのところ見事に生活リズムが崩れておりまして、朝起きるとなんでだか10時とか10時半とか11時だとか・・・それで朝風呂入ってたりすれば、もう半日おしまいです。人間タガが外れるととことんバラけるものです。早く社会復帰しなくてはいけません。
今日、編集長はどこぞのお寺へ老人会のバラ撒き、違った、ビラ撒き新年会に行っている筈です。はて、なに寺でしたかな。お蕎麦が有名なところだとか。そうそう神代寺。神と仏がごっちゃなお寺さんですな。編集長、またビラの内容が問題だとか揉めて、ぶっちぎれて帰って来ませんでしょうな。年金者組合なんぞという御大層な名前に錯覚しちゃいけませんよ、あれは老人会なんですからね。なんまんだぶなんまんだぶ・・・
2003年1月3日(金)曇り、雪、雨
都会の片隅のお正月は忘れ去られたように静かです。物音がしないと寒さまでつのる気がします。
お家の中で吐く息が白い、なんて時代がありました。秘書が駆け出しのOLだった頃です。木造モルタルのアパートは建て付けが悪くて、朝目が覚めたら木製サッシュと柱の隙間からお部屋にうっすら雪が積ってたこともありましたなあ。それから幾星霜、お父様、お母様、御安心下さい、秘書はコンクリートのお家でぬくぬくと冬を過ごせる身分になりました。思えば実家は改築を重ねて立派にお成りですが、伝統木造家屋ゆえあの長い廊下はまだやはり冬場は足裏が凍傷をおこすほど冷えるのではないでしょうか。今度帰省するときはふかふかのアニマルスリッパを持って参ります・・・ 失礼いたしました。日本一中途半端な父母への手紙でした。
さて、静かだねえ、とカーテンをめくって外を見ましたら、あれー、しんしんと雪が降っております。道理で底冷えがする筈です。こういう時外へ出たがるのは幼児体質が抜けていない大人だそうです。今どきの幼児はお部屋の中で遊んでいたいそうです。今どきの犬もホットカーペットに寝そべっていたいらしいです。秘書は傘さして近所のスーパーまで行ってまいりました。念願の甘酒買って、ついでに伊達巻きやら蒲鉾やら年を越したもので半額になっているお節を買って、遅ればせながら正月気分を味わいました。
雪は残念ながら雨に変わり、夜中には豪雨になってたような気がしました。日本は平和です。
2003年1月2日(木)晴れ
今日も寒いです。寒い寒いと言いつつ、財布握りしめてお買い物に行ったら、行きつけのスーパーはお休みでした。むっ。2日から営業じゃなかったのか。甘酒飲みたかったのに。仕方ないので近くのもう1軒に行ったら、こちらは4日から営業だそうです。ぐっ。しかし、文句は言えません。
お正月は本来みんなで休むものなのです。買いだめを怠った一部の人間の便宜の為にめでたい正月にまで人様を働かせるなんて心根がよくありません。秘書の幼少時代、田舎のお店は松がとれるまでは営業しなかったような記憶があります。すなわち、何かを年末に買い忘れたら、向こう1年間は言われ続けるほどの不自由をしたのでした。それが本来の正月のあり方なのです。仕方ない、お昼寝して楽しい夢でもみましょ。夢は心の栄養です。では。
昼見る夢は物語性に富んでいる気がします。インディジョーンズばりの冒険してみたり悲恋物語のヒロインになって正気なら赤面するよなセリフを言ってみたり・・・ 今日は秘書はお金持ちの豪邸に招かれていました。高級ホテルみたいな部屋です。秘書は口説かれていました。かなり迷いつつ断わろうとしているのは、少々太めのそのお金持ちが昔の学校の先生に似ているからでしょうか。後から思えば、夢といえども、ああ、もったいない。秘書が断ると、じゃ、とコーヒーを煎れてくれました。一口すすると、おお、それはこの世のものとも思えぬ美味なコーヒーでした。
普通、夢の中の御馳走は悔しさを呼び起こすものです。一番多いのが、いただきます、というところで目がさめる。目が覚めて、誰かに起こされたからだとわかると、起こしてくれと頼んでいた場合でも、相手を殴りたくなったりします。次に多いのが、御馳走にかぶりついてみたら、段ボールをふやかしたような味だった、というもの。段ボールを食べた経験はありませんが、きっとそんな味です。ぺっぺっ。避けたいのは、口に含んだとたん、おえっとくるもの。この場合は目がさめたほうが幸せでしょう。
夢で美味しいものにありついたのは、生まれて初めてです。もう一口すすると、ああ、幸福をもたらす味です。もう一口・・・
と、そこへ、ピロロロピルルル、と幸せをつんざく音が。豪邸もコーヒーもお金持ちも一遍に消え失せました。だれじゃい、この大ボケが、と受話器を取ると、
£※☆♂√∇∂〓!∞%?%£★※∂!!!!(文字化けではありません)
ああ、すっかり忘れていました。浮き世の暦などまるで眼中にない年中無休の仕事中毒の御仁のことを。どうやら、愛松君がストライキを起こしているようです。電源を切ることも出来なくなっているようでした。
正月からこき使うからじゃい。正月レスキューは高くつくぞ。天国のコーヒー、どうしてくれるっ。
2003年1月1日(水)晴れ、雪が降ったらしいです。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
一夜明けると全てチャラで万事めでたい、というのは考えようによっては有り難い習慣でございます。昨日と何一つ事態は変わっちゃいないのに、取りあえず都合の悪いことは押し入れにでも放り込んで、どなた様もおめかして朝から酒くらって、ニコニコと大盤振る舞い御馳走攻め、毎年あっという間に体重が4、5キロは増え、その後2、3週間は減量に苦労いたします。まこと飽食ニッポンどこへ行く、でございますな。
が、しかし今年は、秘書その恩恵に預かれません。同居人が何を研究しているのか知りませんが論文とやらを書いておりまして、締め切りがせまっておりまして正月なんぞ無縁でじたばたしておりますゆえ、秘書も田舎に帰るのを諦めて都会の隅っこに逼塞することにいたしました。ほんとは帰省の混雑が嫌なだけだろ、とか言われましたが、失礼な。同居人の孤独を気づかっておるのです。
寒いのが嫌いなので、秘書は初詣でには参りません。そのうち暖かくなったらお参りいたします。行けばいいのであって、なにも1月1日の幽霊も引っ込んでいるよな寒夜に行くこたないのです。
さて、元旦の商店街はゴーストタウンです。風も冷たくて、西部劇でよくみる、丸っこい枯れ草がひゅーころころと転がって来そうです。ポケットに手を突っ込んで寒い寒いと秘書は足早に歩いていました。次の瞬間、何もない所でけつまずいて転んで顔面ずりっ、を期待したあなた、性格が悪くなりかかっています。御用心。
ゴーストタウンの中に1軒だけ赤と黄色の派手な旗ひらめかせ灯りをこうこうとつけて、秘書行きつけの新古書店が営業しておりました。客の入りが悪いのか、アルバイトと思しき店員が二人、吹きっさらしの屋外でやけっぱちで呼び込みをやってました。震えているのは寒いからか張り切っているからなのか。青年よ頑張れ未来は君たちのものだ、と思わず心の中で叫びました。もちろん何の励ましにもなっておりません。言ってみたかっただけです。
とにかく仕切り直した1年が始まりました。