秘書の小部屋 2001.9

2001年9月30日(日) 晴れ

秋晴れ、であります。青いお空が高い。空気は清澄。なんという良い日でありましょう。秘書は溜め息をつきます。秘書にも詩心というものがあるのであります。秋はそれだけで物悲しくて・・・バコッ。痛てて。いい加減にせい、と同居人にどつかれました。

秘書が悲しいのは事実であります。心は土気色、横になってると平常ですが、縦になるとうぷっ、目が回ります。ベッドから離れられません。同居人が柿をむいてくれました。五臓六腑に染み渡る有り難い味であります。

午前様、というものに昨日(正確には本日未明)秘書はなりました。話せば長いです。業務命令で編集長のお供をして都心に出張したのが昨日の午後、それからそれから色々うろうろ、記憶ははっきりしていますが、全部忘れたことにしてしまいたい。要するに秘書は日頃嫌悪するところの酔っ払いの一員に成り果てたのであります。その酬いが目が覚めての悪性の二日酔い。

向こう3年酒は飲みたくない。

どんなに命令されても編集長のお供はしたくない。ああっ、自己嫌悪。9月は最悪の事態で締めとなります。

2001年9月某日(?) 寒い

寒くてカタツムリになりそうです。お彼岸過ぎたからって、いきなり冬にならなくてもいいじゃないですか。秘書は縮こまって背中丸めてすっかりバアさん気分です。こんな日には熱い紅茶を入れて気付け薬をひとたらし、身も心も暖まるというものです。どれ・・・

ない。

ないないない。

おフランスの提督の姿絵のついた高級ブランデーがない。この前の新事務所お披露目の時、編集長の知り合いらしからぬ気の効いたお客さんが持ってきてくれたブランデーがない。もったいなくて大事大事に棚にしまっておいたのに。

がさごそかき回していたら、出ました。失せ物のブランデーではありません。なんじゃいうるさい、とのたまう御仁が奥の部屋から出てきました。

かくかくしかじか、と秘書が訴えると、あごヒゲをねじりながら、編集長、しれっと言います。

飲んじまった。

飲んじまったぁ?

先日悪友集めて酒盛りした時に全部飲んじゃったと。あの連中に飲ませちまったんですかぁ。泥沼にはまった酔っぱらいの愚伝愚伝どもに。どぶにぶちまけたようなものじゃないですか。なんてことするんだ。この冬はチビチビやって少しは寒さをやわらげられるかと思ったのに。うわーん。酔っぱらいは嫌いだー。

2001年9月22日(土) 晴れ。寒い・・・

お空はピカピカに晴れ上がっているのに、秘書はどんより曇っています。寒さにやられて大当たり、風邪をひきました。

よって本日秘書業はお休み。1日中寝て過ごしました。夜になってもまだ眠い。人間休養が肝要であります。

2001年9月21日(金) 晴れ。寒い・・・

寒気団がおいでだとかで寒いです。室温が18℃しかない。寒がり編集長はもこもこ着込んで冬眠でもしそうな雰囲気です。なのにクーラーなどつけおって、とぶつくさ。聞けば、今日市議会の傍聴に行ったといいます。陳情もしたことだし、少しは地元議会に敬意を表さなくちゃ、と珍しく殊勝な心掛けを発揮したら、お返しはクーラー責めだったとか。(来るな、って意味じゃないのかと秘書は思ってしまいます。)

久し振りに議会が紛糾したもので、長時間つきあった挙げ句、つきあいきれなくて途中で帰って来たそうです。(後からさる情報筋から聞いた話では夜中過ぎまでやってたらしいです。議員も大変な商売です。)

米国で起きた「同時多発テロ」を糾弾する「決議」がもめた原因らしいです。似たような議題が二つあるのを見て編集長、変だな、と思っていたらやっぱり紛争のタネになったようです。少数派の議員のミスに盛大な物言いがついて、問責だ陳謝だと大騒ぎ。市議会にも派閥抗争(?)みたいなのがあるんでしょうか。まさかイジメじゃないでしょうな。市民の良識ある代表が公の場でそんなことする筈ありませんよね。

2001年9月18日(火) 晴れ。暑い・・・

黒ずんだ顔した編集長が一人(何人もいたら恐い)、ぼーっと座って新聞広げてます。秘書思うに読んではいません。何もしたくないだけです。すなわち重症の二日酔い。

昨日編集長は、陳述をする、と言って市の厚生委員会に出かけました。実はお笑い大会を演出したらしいです。3時間喋る、と言って担当者を慌てさせ、それでも普通は10分のところを30分もやらかしたようです。こういう時の編集長はやることが真面目なのか不真面目なのかさっぱりわかりません。継続審議になったというから、それなりのことはあったんでしょう。

さて、それからの編集長、とりあえず重しがとれたもので、糸切れ風船になってしまいました。夕暮れて悪友集めて、先日のお披露目パーティで大量に残った酒で酒盛りです。すっかり出来上がったところで夜の巷に繰り出して漂流そして沈没・・・

なのに、今日も夕方が近くづくとそわそわとお出かけの支度を始めました。会議、だといいます。なに、大した会議ではないが、つきあいってもんがあるのでね、云々。大したことないなら行くな、仕事しろ! と秘書が言いたげなのを察知したのか、ちょこっとよそ見した隙にいなくなってしまいました。

アル中になっても秘書は知らんです。冷蔵庫を大きくしたのは間違いでした。アルコールとつまみと氷がぎっしりでアイスクリームも入れられません。むあああ。

2001年9月17日(月) 晴れ

引っ越し前、我が社の冷蔵庫は珍気でした。

お弁当やら麦茶やら入れるとパンパンになって、頂き物の水羊羹やケーキが入れられなくて、ついつい秘書が“片付ける”ことになります。嫌ではありませんが、おかげで後ろ姿がぽんぽこタヌキに近付いてきました。由々しき事態であります。

そこで引っ越しを機会に、もっとでかい冷蔵庫にして欲しい、と社長に談判したところ、分った、と快諾されました。あっさり決まりすぎてキツネに摘まれた気分です。

騙されているんではなかろうか、と腑に落ちないまま仕事してたら、おほんごほんと勿体つけて編集長がやってきました。どんな冷蔵庫が欲しいか、と聞きます。欲しいかって、編集長が調達するんか。秘書の怪訝な顔をよそに、まかせなさい、と編集長は安請け合いします。選り取り見どり、何だってあるぞ、市のシルバー人材センターには。

が、後刻、頭から湯気だして手ぶらで帰ってきましたっけ。家電リサイクル法が施行されたせいで、冷蔵庫を扱わなくなった。なんと言うことだ。どこがリサイクルなんじゃ、とかぶつぶつうるさいことこの上ない・・・

それから引っ越し準備で忙しいというのに、編集長はお役所のあちこちをつついて回っていました。

そして本日編集長は市の厚生委員会で、陳述、と言うものをします。(そもそも、陳情、と言うものをしたらしい。)

どんな格好していくか、にやにやわくわくして衣装を選んでいた。係りの人にはネクタイして下さい、と言われたらしい。編集長の性格を把握していたら、そんなこと言わなかったでしょうな。しろ、と言われれば、しない、と決意するのが、この御仁の特性であります。まさか短パンでは出席しないでしょうが、足元はサンダルかも知れない・・・どんな格好か楽しみにしていたら、秘書の目が届かないうちに出かけてしまいました。

それから数時間、とっくに陳述は終わっているはずなのに帰ってきません。どこでひっかかっているのやら。通信が滞っているというのに。

(ところで、珍気は、めずらしげ、ではありません。ちんけ、と読んでください。)

2001年9月15日(土) 晴れ

狂牛病の疑いのある牛は、焼却処分されました。筈でしたぞ。肉骨粉にしたんですってぇ。そんなもん、鶏や豚にも食わせるなあ。諸々の摂理に反しているぞぉ。

2001年9月12日(水) 晴れたり降ったり

昨夜から24時間体制の悪夢です。新聞はでっかい見出しをふんだんに使ってニューヨークの惨状を伝えます。テレビもどこのチャンネルでも飛行機が貿易センタービルに突っ込むシーン、ビルが崩壊するシーンを繰り返し流してます。

秘書は(秘書でなくとも)この手の出来事が苦手です。新たな夜毎の悪夢のタネの1つになりそうで悪寒がします。

おかげで国内初の狂牛病のニュースが吹っ飛んでしまいました。こっちも相当大変な出来事なのに。誰かに御馳走してもらうなら分厚いステーキ、という楽しみがまた遠ざかりました。(安い)輸入牛はダメでも(お高い)日本の牛なら安全、とはもう言えないのでしょうか。ああ、牛に牛骨粉なんてもの食わすからですっ。恥を知れっ、関係者。

ところで聞き齧りのお話の披露。

日本の牛には、国産牛と和牛とがいます。その違いはなーに?

答え:日本生まれの日本育ちの在来種が和牛。和牛以外の牛が国産牛(でしたよね)。

日本滞在が3カ月以上なら、「国産」と名乗れる、という話も聞きましたが、ほんとかどうか秘書は知りません。野菜でも似たような話を聞きました。輸入野菜を国内の畑にいっぺん埋めて泥付きにすれば、××県産になる・・・

ぐっ。と言うことは、(今頃気づきましたが)秘書あたりに手の届く牛は、元外国牛の日本牛って可能性もありですか。新たな悩みのタネが増えてしまいました。

どなたか正確なことを御存じでしたら、秘書の安眠のため、編集長経由でお教え下さいませ。

2001年9月11日(火) 台風のち晴れ

午前中の暴風雨がきれいさっぱり消えて晴れ間がもどりました。台風一過。全ての邪悪が洗い流されたようで気分が良ろしいです。

と思ったら、とんでもない事態が発生していました。テレビを付けて目にした光景が初めはなんの事だかわからなかりませんでした。映画の特撮みたいに高層ビルにジェット機が突っ込むシーンは実写でありました。そうこうしている内にビルが崩壊するシーンが「実況中継」されてしまいました。「テロ」だといいます。

こんなもの見たくない、と思いつつテレビを消せなくなってしまいました。

つい先日の新宿歌舞伎町の雑居ビルの火事を思い出しました。

人が死ぬのはいやなものです。

2001年9月10日(月) 台風

宴のあとはけだるい。余韻につかりつつぼーっと仕事してよう、と思ったら、また台風がおいでです。秘書はどうも度の過ぎた低気圧にアドレナリン分泌腺を刺激されるタチらしいです。窓の外で木が吹き飛ばされそうに揺らぐのをうっとり見とれてしまいました。いかんいかん。

2001年9月8日(土) 晴れたり降ったり

本日は憎まれ愚痴社新装開店の日であります。今日にいたるまで、思えば長い道のりでありました。

夏の間の我が社の惨状を知る人なら、このピカピカに磨き上げられ機材がずらりならんだ社内をみて感歎の声を上げるでありましょう。秘書はよく働きました。骨を惜しまず身を粉にして、お片付けにお掃除に精を出しました。特別手当てが出てもいいくらいです。

今日もおさんどん(どんな字か分らない)です。酒を出すのでつまみを作れ、といわれました。メニューは、鶏の空揚げに烏賊下足揚げ(編集長の好物か)にあれやこれや。烏賊の下足(上足ってあるんか)はありそうで売ってなく、竹輪に化けました。開店と同じに人が押し寄せ、ああ、それから秘書はひたすら冷蔵庫のお守役。

大スクリーンにプロジェクターでビデオを上映し(これが本来の目的)、編集長は御満悦でしたが、クーラーのない部屋はちょっとしたサウナ気分でした。それにしても編集長のお友達ってのは元気がいいですなあ。昼酒くらって口角泡を飛ばしてました。秘書なんか眠かったですぞ。

2001年9月7日(金) 白露・・・晴れたり土砂降りだったり

気がつけば秋の入り口だよ~ん。夏はどうしちゃったのでしょうか。(夏は、秘書がぐうたらこいてる間に過ぎ去ったのでした。)

あー、でも、ぐうたらこきたくなる程ほんと大変な夏でした。7月は憎まれ愚痴社の引っ越し騒動、8月はゴミの山と連日格闘、先は中々見えないまま台風もお出でになりました。

8月の終わり頃、秘書はたった2日ぽっちの夏休みに鎌倉へ行きました。

何故鎌倉かと言えば、悪夢のパターンの1つに、洞窟みたいなところに極彩色の仏像(みたいなもの)がひしめきあっている、というのがあります。それのどこが気持ち悪いのか、と思う人はいっぺん夢に見てみるとよロ椎でしょう。確実にうなされる筈であります。隣に寝ている人あれば、優しく揺り起こすか力まかせに蹴飛ばすか(どちらかになるかはあなたの人徳次第)、とにかく必ず起こしてくれるでありましょう。

連日の疲れで秘書の夜毎の夢には仏像まがいが団体さんで出演なされます。この悪夢の原型はなんでありましょう、と思いをめぐらして、大仏の体内、と浮かびました。確認ジャーニィであります。

で結論をいうと、大仏の体内は空でありました。どかっと疲れたのはそれで落胆したからではありません。ノー天気な連れが、歩いた方が気持ちいい、とか言って、鎌倉駅から大仏まで歩かせてくれたからです。(おかげでその夜はバタンキューで夢もみませんでしたた)。後でガイドブックをみたら、それらしきものは長谷寺にあるらしいです。しかし、しばらくはあっち方面は行きたくありません。