送信日時 :2001年 8月 27日 月曜日 6:46 PM
件名 :[pmn 16037] 蒋介石を相手にせずで大戦争の切っ掛けは阿片
その阿呆馬鹿の極地の暴言をたしなめてくれたのは、争議団時代からの友人夫婦の仲の「ハンドルネーム」comcomさんだった。私は、それに答える形の返信で別のことを書いて、軽くいなしておいた。以下、別に氏名を記す必要もないので、comcomさんに合わせて仮名を a,b としたが、偶然に一致で、aho とか baka とかの頭文字ではない。
From: comcom
Date: Mon, 27 Aug 2001 10:24:37 +0900
Subject: [pmn 16019] Re: [pmn 15978] Re: ハンドルネーム禁止a:「私はハンドルネームの禁止に反対です。理由は、このメーリングリストは、かなり敷居が低いせいでいろいろな人が入っており、参加者の個人情報が権力側に流出する可能性が大きいからです」
b:「木村さんのことですね」
comcom:「木村愛二さんのことでしたら、木村さんは、そんな方ではありません」
comcom さんの方の表題の「ハンドルネーム禁止」に関しては、すでに短い私見を述べ、「論争」というよりも「紛争」には介入せず、「古文書館」の確認をしたのでしたが、他ならぬ comcom さんの電子手紙は拝見しました。
こういう場合には「相手にせず」というべきなのでしょうが、1938年に「国民政府を相手にせず」と近衛内閣が声明して泥沼戦争が続いた故事もありますので、まったく声明を発しないことにします。
この「国民政府を相手にせず」は俗に「蒋介石を相手にせず」の大失敗として知られているのですが、先に紹介した『昭和陸軍『阿片謀略』の大罪/天保銭組はいかに 企画・実行したか』(藤瀬一哉、山手書新社、1992.2.20)によると、この声明の深層にも阿片謀略が潜んでいたということになるのです。
要約すると、中支那派遣の現地方面軍が同盟国のドイツの大使を仲介役にして和平工作を練っていた最中に、中支那に転任してきた塩沢大佐(東条英機の手下)が上官の和平工作を覆すために上京し、近衛内閣の主戦派を煽ったという筋書きです。なぜかというと、和平が実現してしまうと、それまでに占領していた阿片栽培地帯から撤退することになるので、阿片密売の利益で謀略資金を得ていた関東軍や北支那派遣軍の主戦派は、勝手なことができなくなるからなのです。
本当だとすると驚くべきことですが、これまでは根拠薄弱だった声明の深層が割れることになります。犯罪には常に動機があるものなのです。
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