電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年7月

《パレスチナに平和を京都の会》諸留さんのポーランド謝罪とパレスチナ問題の論評転載

送信日時 :2001年 7月 15日 日曜日 4:31 PM

件名 :[pmn 15567] ポーランド謝罪とパレスチナ問題

 先に予告した以下の文章について、筆者の諸留さんから了解を得ましたので、皆さんにも送ります。諸留さんは、一時、pmn電子広場にも参加していたのですが、パレスチナ問題で忙しく、退会され、以後、私の手紙だけをbcc方式で同時に送り続けてきました。

 湾岸戦争以後、平和訴訟で大阪に行った時からの仲で、ヘブライ語や宗教関係に詳しく、拙訳『偽イスラエル政治神話』でも助言を頂き、感謝の言葉を記しました。

差出人 : 諸留 能興
送信日時 : 2001年 7月 11日 水曜日 3:23 PM
件名 : ポーランドが謝罪!
《パレスチナに平和を京都の会》諸留
2001/07/11

 ポーランドのクワシニエフスキ大統領が、第二次世界大戦中に、同国北東部の町イエドワブネの住民がユダヤ人を虐殺した事件の六十周年に当たる今年七月十日、同町の追悼式で初めてユダヤ人虐殺について公式謝罪した。

 パレスチナ問題の根底にある全世界中の反ユダヤ主義は、旧ソ連も含むヨーロッパ各国で特に激しく、とりわけ、ポーランドは、反ユダヤ主義の最も過酷を極めた国だった。その背景には、同国国民の圧倒的多数がカトリック信徒であり、カトリック教会の反ユダヤ主義の教説が表裏一体となった反ユダヤ主義の精神的温床が根強く存在し続けてきたという歴史事実を確認しておくべきである。ポーランド国民の「他者に対する罪」の自覚の徹底に先だって、「ユダヤ人に対する罪」の自覚の徹底が、誰よりも先に、カトリック教会自身によって行われねばならないのではないか?

 ヒットラー政権成立に先立つ数百年前から既に、ヨーロッパで最もユダヤ人の人口の多かったポーランドが、反ユダヤ主義の嵐が激しく吹き荒れた所であったことは、意外と知られていない。「火のない所に煙りは立なない」の諺通り、反ユダヤ主義の火種が最も熾烈だった同国に、ホロコーストの煙が立ち上ったことは、決して偶然ではない。むしろ、歴史の必然であった。

 従来、ナチスの仕業とされた同事件が、歴史学者の調査結果でポーランド住民の関与が明るみに出た。しかし、こうした「歴史的事実の確認・検証作業を行うことはナチの犯歴数の減少に手を貸すネオナチ的行為だ!」とか、「少なくともネオナチにエールを贈る新ファシズムへの危険な兆候だ!」と指摘する風潮が、パレスチナ支援の私たちの間にすら、根強く存在していることに、私(諸留)は、大きな疑問を感じる。

「ナチとソ連によるポーランド分割の悲劇の筋書きを仕組んだのもユダヤ人だった」とする反ユダヤ主義の偏見は、当時は勿論、今も根深く続いている。フランス革命時でも、ナポレオン征服戦争時でも、ボルシェビキのロシア革命時でも、第一次および第二次世界大戦時でも、そしてイスラエル建国とパレスチナ難民発生時でも、歴史的節目に際し、歴史的検証を経ない《ユダヤ人匕首説=ユダヤ人陰謀説》が、まことしやかに囁かれ続けてきた。

 歴史的検証を伴わない《神話的ユダヤ人陰謀説》への無批判的迎合は、そのまま現在の、歴史的検証を回避した《ホロコースト神話》の無批判的迎合と表裏一体である。

 今回の同国大統領の謝罪声明に対し、地元のゴドレフスキ町長が「地元の人はユダヤ人虐殺の謝罪を強制されたと感じている」と語るなど、同国国民がユダヤ人への加害の事実を受け入れることには依然、根強い抵抗がある。こうした、歴史的事実の検証を回避させたまま、「謝罪を強要」だけを問題視するポーランド国民の姿勢は、南京虐殺の史実の検証を回避したまま、謝罪の強要の是非を問題視してきた、日中両国内の左右両派の国民大衆の脆弱な精神構造にも共通する。

 歴史事実の実証的検証をなおざりにすることは、反ユダヤ主義勢力を勢いづかせるだけでなく、イスラエルによる際限の無いホロコースト神話の拡大再生産・神話の増殖・イスラエルへの補償を通じ経済的軍事的利益誘導も際限なく許していくこととも連動していく。それは、ひいては、イスラエルのパレスチナ民衆への際限ない抑圧の根底となっているという厳然たる事実を、パレスチナ支援の私たちは、正しく受け止めなくてはならないと思う。

 ポーランドとヨーロッパの関係は、そのまま現在の、イスラエル国家と欧米社会の関係に反映されてきている。パレスチナ問題の根底のポーランドも含むヨーロッパ・キリスト社会の反ユダヤ主義の問題を切り落とし、イスラエル建国以降の、中東地域に限定した「イスラエルとパレスチナ人との地域紛争」として把握する傾向が、私たちパレスチナ人支援の人々の中にも、根強く伺われることには、大きな疑問を感じる。

 統治政策論的、政治力学的見地だけに基づくだけのパレスチナ解放運動とその平和支援活動は、早晩破綻するでしょう。正義の伴わない平和支援は虚構の平和でしかないからです。正義は、正しい歴史認識(歴史観=思想)からのみ演繹され得るものです。事実に基づく歴史的認識を回避することは、正義を欠落(もしくは希薄化)させた平和支援活動でしかない。

「北方領土問題」に無関心なまま、パレスチナ支援活動にだけ関心を持とうとしない人がいるなら、世界史的、地球的規模での解放運動とは言えない。アイヌ先住民族の苦難の歴史的事実の認識を等閑にしたままで、「日本とロシア間の領土紛争の解決=平和」の図式でしか「北方領土問題」を把握できないパレスチナ支援の人が、同時に、イスラエルの苦難の歴史=カトリック教会の2000年に及ぶ反ユダヤ主義の事実認識をおざなりにしたまま「イスラエル人・パレスチナ人間の領土紛争の解決=平和」の図式としか「パレスチナ題」を把握できないような、「正義無き政治的形式的平和論」だけの、パレスチナ支援活動となっても、決して怪しむべきことではないと思う。

 パレスチナ問題をイスラエルとパレスチナの対立と見なす限り、言葉を換えて言えば、主要矛盾(反ユダヤ義)を見逃したまま、副次矛盾(イスラエル対パレスチナ紛争)にのみ注目したパレスチナ解放運動と、それへの支援は、イスラエルが悪玉(加害者)で、パレスチナが善玉(被害者)という図式で見なすことでしかなく、たとえ、パレスチナ問題は解決し得たとしても、世界のどこかで、また、第二、第三の新たなパレスチナ問題を生み出すことは阻止できないだろう。イスラエルが世界中どこでも安心して生活できる世界とならねば、イスラエルが自らの生存と安全の保障が与えられない限り、新たなるパレスチナの悲劇は無くならない。

 パレスチナ問題を矮小化させ、局所化させる認識ばかりが横行し、世界史的視点からパレスチナ問題を捉えていくととが希薄化してきてるように思えるのは、私(諸留)の、過剰な拡大解釈だろうか?

[中略]

『京都新聞』2001年(平成13年)7月11日水曜日掲載記事の「関連画像」、ご希望の方は、連絡くだされば送付します。

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