電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年5月

ワシントン発:下手糞漫画「台湾論」慰安婦を巡る政争にその典型を見る歴史論争の政治的利用 1

送信日時 : 2001年 5月 3日 木曜日 7:36 AM

件名 :[pmn 14663] 下手糞漫画「台湾論」慰安婦を巡る政争

 これは単なる抜粋の転送ですが、発信者の神保隆見さんとは、日本軍のカンプチア出兵を巡る集会で知り合って(当時はBANGKOK-INSIDER発行)、以来、何度か意外な場で再会し、現在は、下記のac通信を無料で頂いています。

 これまでにも、この「ac通信」で、ユーゴ戦争などの非常に興味深い裏話を受け取り、わが電網宝庫にも転載させて頂きました。かなり信頼の置ける情報と思いますが、見る方によっては、目が三角に吊り上がる部分もあろうかと存じますので、気の短い方は、鎮静剤服用の上で、お読み下さい。以下、適宜抜粋しての転送のみです。

送信日時 : 2001年 4月 19日 木曜日 3:03 PM
件名 : ワシントン発 AC 通信:台湾丸の沈没?

第九章 【ワシントン発:AC通信 No.33 (2001/04/15)】
アンディ・チャン(ワシントン在住)

●不毛な論争

 [中略]

 筆者の滞在していた1ヶ月の間、台湾では小林善紀のマンガ本「台湾論」にあった慰安婦問題をめぐって、外省人の反日から反台湾、反陳水扁政権とエスカレートしていった。すると外省人に対抗して一部の台湾人から反撥が起こった。日本から独立派の金美齢女士が応援に駈けつけて、さらに外省人の金美齢の批判となった。中国大陸ではマンガに出ていた台湾人の企業を閉鎖するといった報道があったが、事実ではなく外省人のデマだった。こうした攻防の波に台湾の社会は連日、大揺れに揺れたのである。

 マンガ本をめぐって起きた騒動を振りかえってみると、台湾全体が外省人の「統一工作」と、台湾人の「独立運動」の波に煽られて沈没寸前であるという印象を受ける。

 ところがこれらの騒ぎは一般に「一部の中共シンパ」と「一部の独立シンパ」と見られて、大衆はどちらにもついていないのである。日を追ってこの一連の騒ぎを書いてみよう。

●「台湾論」に書かれた慰安婦問題

 第二次大戦の慰安婦問題をめぐって、日本政府に賠償を求める訴訟が韓国や台湾で起こっている。戦時中の軍隊に慰安所があったが、半世紀を過ぎてから韓国と台湾の慰安婦が日本政府に賠償を求めているのである。慰安所は国民党の軍隊にもあったので政府が要求しているのではない。もと慰安婦が賠償を要求しているのである。

 「台湾論」のなかで小林善紀が、許文龍、蔡焜燦という台湾人実業家の言葉を引用して「私の聞いた限りでは売笑婦が多く、強制連行されたのでなかった」という部分があった。

 この部分を、馮滬祥という外省人立法委員が問題視して、強制連行されたと名乗る女性をテレビに出して「許文龍は中国女性を侮辱した」と攻撃した。女性団体がこれを重視して騒ぎ立てた。すると馮滬祥が本屋の前で「焚書デモ」を行って、「台湾論」を発売禁止にしろと強要した。多くの本屋は難を避けるため、自発的に本を取り下げたのである。

 それだけでなく、馮滬祥はテレビや新聞で「日本語ができる年配の台湾人は日本贔屓で反中国である」と決めつけて反日本感情を煽り、日本が好きな台湾人を非国民呼ばわりしたのである。「立法委員の免責権」を享受する外省人の立法委員によって、人民の自由を束縛する言動が行われたのである。これは特権階級が平民を抑圧するに等しい。

 慰安婦問題から反日感情、更に台湾人蔑視、マンガの販売禁止、許文龍の企業のボイコットを呼びかける理由は、許文龍が陳水扁総統の擁護者だからである。つまり、野党議員は現政権に敵意を抱いて、政府の転覆を画策しているのである。

●台湾人の反撃

 数日たつと、焚書事件にたいする台湾人の反撃がはじまった。

 馮滬祥の横暴を指摘して街頭で演説を行い、台北と高雄の広場で「台湾論」を街頭に積み上げて無料で観衆に配布した。

 許文龍氏は「マンガには私の発言でないことが書いてあった。私は台湾女性を蔑視していない」と声明書を発表した。また、日本に住む陳総統の国策顧問である金美齢女士は電話インタビューで、「許文龍と小林の対談には私も参加していたが、慰安婦問題はホンの少し言及しただけだった。ウソを誇大して問題化する方がおかしい」と答えた。

 また金美齢は「少数人の言葉で歴史を決めることはできない。当時の台湾は安定した社会だった。もしも慰安婦を強制連行した事実があったら社会問題になっていたはずだが、そんな事実は一切なかった。メディアが勝手な解釈をして許文龍氏を批判するのはやめて欲しい」と抗議した。

 さらに新聞局長は「台湾には出版法があって、いかなる書籍でも販売禁止することはできない」と述べた。新聞に「禁書や焚書、反日本、反台湾の言論は中国共産党みたいな独裁者がやることだ」といった抗議が相継いだ。

●立法院の宗教裁判

 台湾人の反撃にあった野党の立法委員は、立法院に行政院長を呼びつけて諮問会開いた。行政院長は立法院に対抗する気力を失ってしまったように見える。査問に対して委員の罵詈に一言も答えることもなく、黙って批判を受け、女性を侮辱する言動はよくないことですと答えた。

 日本人の書いた本に行政院長の責任はないはずである。彼が立法院で批判されることはないのである。だが彼は甘んじて罵詈に耐えることで、人民に立法院の横暴を見せつけたのである。

 諮問会はさらに日本から羅福全駐日代表を呼び戻して、査問に立たせたのである。 壇上に立たされた羅代表に対して野党の立法委員は中華民国の国歌を歌うことで忠誠を示すように要求した。歌い終わった羅代表に対して、彼が北京語よりも日本語の歌を多く歌えるとすれば、国家認識に問題があると批判したのだった。

 非公式でも羅代表は駐日大使である。それが日本人の書いた漫画本のために立法院で壇上に立たされ、忠誠度を示すために国歌を歌わされたのである。小林善紀と彼の間には何の関連もない。

 もともと立法院とは法案の審査を行うところであって、横暴な査問会を開いて政府の高官を侮辱する場所ではない。法案の審査や公共政策の討議ではなく、日本人の書いた本の批判(これも異常である)、または日本の歌がうたえることで忠誠度を論じるに至っては、それ自体がマンガよりも滑稽である。この国の政治は亡国の政治であるといわざるを得ない。

 30数年前、中国大陸では悪名高い文化大革命があった。歌が歌えることが忠誠度の指標であった。紅衛兵の指定する歌が歌えなければ闘争の対象とされ、家財没収、殴打、殺害という目にあった。これと同じことが台湾の立法院で、テレビカメラの前で行われたのである。紅衛兵裁判となんら変るところはないのである。

 国歌を歌うことで忠誠度を示すのは、古い昔のキリシタンの踏み絵裁判と同様、なんという野蛮な行為であろう。しかもそれが「言論免責権」を握った立法委員によって行われたのは、なんという横暴だろう。

●小林の入国禁止と金美麗の帰国

 ついで野党議員は小林善紀の入国禁止を要求した。行政院長が反論しなかったので、数日後内政部では小林を「入国禁止」にした。ブラックリスト扱いでビザを拒否する事は、専制国家のやることである。それまで黙っていた陳総統が「なんてバカことをする」と批判したので、行政院長は慌てて、「小林の入国禁止は内政部がやったことで彼は指示していない」と弁解した。すると内政部長が「指示は確かにあった」と反論して、事件に対する政府の対応のまずさをさらけ出した。

 こうした批判が渦巻くなかで金美齢女士が帰国して許文龍の弁護と軟弱な行政院の態度を非難し、つづいて立法委員の横暴を批判した。金美齢と馮滬祥の二人はテレビ対談に出て、そこで馮滬祥が「金美齢は中華民国を愛していない」と非国民呼ばわりをした。

 すると金美齢は平然と、「私は国民党のブラックリストに載せられて30年も帰国できなかった人間である。私が中華民国を認めないのは当然のこと」と冷笑した。

 馮滬祥は「それなら君は総統の国策顧問を辞任するべきだ」と迫った。すると金美齢は「私は総統の顧問である、中華民国の職員でない」と答えた。 権力に屈服せず堂々と意見をのべる金美齢女士は、この事件で台湾人の大喝采をあびていちだんと有名になった。

 [中略]

●統一か独立か

 陳総統の自由擁護宣言があって、慰安婦事件はようやく鎮静したが、この頃になって新聞はようやく、馮滬祥の目的は陳総統を攻撃することにあったと報道した。

 まず慰安婦問題で外省人の反日感情を煽りたてる。次に陳総統と許文龍の企業を攻撃する、さらに諮問会を開いて政府を攻撃する。つまり、真相は「統一論」と「独立論」の論争であったと新聞は分析した。

 しばしば報道されているように、馮滬祥は中国大陸に媚びて台湾と大陸の「統一」を大陸側に有利なように推し進める、「媚共派」と呼ばれる人物である。

 [後略]


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