送信日時 : 2001年 5月 29日 火曜日 10:26 AM
件名 :[pmn 15070] 国際電網時代の言論の自由と集団的制約
手許に、少し古い雑誌記事、「ホームページで始まった日本共産党の"レッドパージ"」の複写綴りがあります。掲載誌は、「右」っぽい『正論』(2001.5)です。4月10日の発売日から1ヶ月と19日が過ぎています。その間、ずっと、この情報を、どう処理しようかと、頭の隅で、断続的に考え続けてきました。単に、一政党の問題ではないからです。
記事の核心部分は、日本共産党の中央委員会に反対意見を表明し続けている党員が運営する電網宝庫、「さざ波通信」に実名で投稿した党員が、内部の問題を外部に出したとして規約違反の処分を受けたということです。匿名にしなかった理由は、おそらく、すでに、さあ、殺すなら殺せと、諸肌脱いで、尻を捲っていたからでしょう。
私は、月に一度か二度、図書館で雑誌記事を点検し、何冊かをまとめて複写します。見開きでA4の大きさの記事を、他のと並べて一緒にA3で複写して、自宅で切り離し、小針止め機で綴じます。その方法ですと、この8頁の記事の入手実費は、20円足す小針代だけで済みます。2册を一緒に複写する方法は、ああ、思い起こせば、やはり、中年女性の後ろに並んでいた時に、学んだのでした。やはり、女性は偉大です。
しかし、そこからが、なかなかで、うず高い紙の山に埋もれて、自称、考古学的発掘の日まで、そのままになることが多いのです。上記の記事の場合には、ざっと目を通し、いずれ論評せねばと思ったまま、埋もれていたのでした。
問題は、いわゆる情報洪水の処理能力なのですが、今や、人類は、いや、裸の猿たちは、入手した情報を処理し切れずに、ほとんど頭脳溺死状態、ほぼ脳死に陥っているのです。かつて、ある歴史学者が、史料が散逸しないと、歴史が書けないという主旨の皮肉な冗談を飛ばしていましたが、過去の歴史どころか、現在の認識も不可能になりつつあります。
この情報洪水状況下で、裸の猿の一部は、最初から、自分の情報源を制限しようとします。いや、情報の濁流の中で、必死に、あがき、もがきます。オウム真理教の「道場」とかに象徴される集団脳死は、首相を囲む「オフレコ」集団から、自称革命政党に至るまで、次々と情報閉鎖空間の構築、増殖へと発展し、同時に、内部告発の激化をも招きます。情報閉鎖のサイバーテロまで激発し、まさに混乱の極みです。
これまた思い起こせば、40年以上も前、社会学とやらの新興アカデミー商売の講議で、実に重々しい語り口にて、GemeinschaftとGesellschaftの違いとは何か、中世、近世、近代、現代、とかは何かとか、などと、確実に眠くなる話を聞いたものでした。そして今、私は、睡眠薬の代わりに、国際電網時代の言論の自由と集団的制約とは何か、と考えてしまうのです。
あのチョコレート馬鹿首相も、番記者にオフレコ発言を暴露されて、ぶんむくれでしたが、番記者も大手情報機関の手先ですから、一応の権力の代理なので、いかにも漫画っぽい応酬の光景が展開されました。要するに、規約で定めようが、脅しで箝口令を敷こうが、形式的には違法行為であろうが、沈黙は共犯と思える問題は、いずれ、外部に漏れる運命にあるのです。
そうでもなければ、小は自称革命的党派から、大は地球規模まで、情報閉鎖の真理教体制が構築されてしまいます。規約とか申し合わせとかは、その組織の中での信頼関係が成立していなければ、主旨とは逆の効果をも生みます。いわゆる密室の恐怖です。
日本共産党の規約の問題は、すでに数十年前にも、フワテツと田口富久治さんでしたか、党外の学者との間で公開の討論となり、なぜか突然、中断されたままでした。それを最大の理由として、「俺はフワテツを見限った」と広言していた言論界の先輩党員もいました。未だに、これが解決できない政党には、未来が無いでしょう。労組や市民組織、電子手紙広場などについても、同じことが言えます。
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