電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年5月

新興勢力による奴隷貿易の「自由化」の要求だった「リベラル」を知らぬ議論の迷走

送信日時 : 2001年 5月 13日 日曜日 9:15 AM

件名 :[pmn 14830] Re: リベラルということ

 またまた「リベラル」だなんて、亡国語で、ますますもつれた議論に介入するのは、時間の無駄のような気がしますが、一言。

From: "Date Jun"
Date: Sun, 13 May 2001 03:15:11 +0900
To: "民衆のメディア ・メーリングリスト"
Subject: [pmn 14824] リベラルということ。

 ここで、ある文章を引用します。。

不謹慎な議論という言葉で普通に呼ばれているところの罵言、皮肉、人身攻撃、その他のものに関しては、双方に対して平等にこ
の武器に対する非難ももう少し同感に値するものとなるであろう。
だが、勢力ある意見に対してこれらの武器を使用することだけが、抑制せよと要求されているのである。勢力のない説に対しては、これらの武器を使用しても世の非難を受けないのみならず、これを使用する人は、ともすれば、誠実な熱意と正当な義憤とをもっている人として讃辞を呈せられるのである。しかし、これらの武器を使用することからどのような災害が生じるにせよ、それは、これらの武器が比較的に防禦の力に欠けている人々に対して使用されるときにこそ、最も恐るべきものとなるのである。また、これらの武器を使用しつつ或る意見を主張することによって、かち得られる不当の利益がどのようなものであるにせよ、その利益を殆んど独占的に手に入れるのは、一般に認容されている意見なのである。

 まず最初に、伊達さんの血気盛んな人柄は一応承知している積もりですが、この種の議論で、片仮名を使用すること自体が、自分の論理に自信がなくて、誤魔化しているのではないかと、まずは自問自答してから、議論をして下さい。そうでないと、もつれて困ります。因に、英語でJapanese Liberal Partyと紹介されるのは、かの悪餓鬼、小沢が中古再生した右翼政党のことですし、本家のイギリスの Liberal Partyの 発端は、新興勢力による奴隷貿易の「自由化」の要求だったのです。

 次に、伊達さんが引用された文章は、どう読んだって、「不謹慎な議論という言葉で普通に呼ばれている」もの、つまり、「議論」に関しての意見であって、物理的な攻撃や威嚇による相手の発言の圧殺のことを論じているのではありません。むしろ、逆です。「溺れる者は藁をも掴む」などと言われないように、お気を付け下さい。

 また、この「議論」自体に関しても、現実は複雑です。私は、似非紳士こと朝日新聞の元記者、希代の言論詐欺師、本多勝一による「ホロコーストの大嘘」論への卑劣な裏切り攻撃に際して、平和訴訟などと同様に形式的には負けを承知で、公的な場でも争うために裁判に訴えましたが、本や雑誌記事などを発表していれば、私のような貧乏人でも、あの元馬鹿首相と同列の「公人」の扱いを受けるのが、現実であって、裁判官が「過剰」と認める表現があっても、それが違法とは判定されないのが、現実です。

 そういう現実の中で、歯を食いしばって、言論で努力するのが、私の「好み」でして、下らない玩具の兵隊のラッタッタで陰鬱にサイバーテロるのは、藁人形に五寸釘を打つのと同然の仕業、馬鹿にされるだけのことです。そんなものは、言論ではあり得ません。伊達さんは、私と同様、地声でシュプレヒコールの音頭を取れるのですから、陰気な玩具ゲバ族には同調しない方が賢明でしょう。


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