電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年3月

煙害も、または特にか、「心ここにあらざれば見れども見えず聞けども聞こえず」ニコ中批判

送信日時 : 2001年 3月 3月 1日 木曜日 11:32 AM

件名 : 煙害も心ここにあらざれば見えず

  高山さんのような一見、いや、メール一瞥の限りでは、平均以上に知的な方が、こと煙草となると、矛盾だらけの主張をされるので、ますます、ニコチンによる頭脳破壊の害を痛感するのであります。もちろん、煙草反対だからと言って、頭脳が正常に機能しているとは認めがたい連中も非常に多いのではありますが。

 矛盾の第一は、先に、「嫌煙者を時々観察しているのですが、たとえば、職場の流し場の合成洗剤のことを嫌煙者はまったく話題にしませんし、肌につけている化粧品、髪の毛につける化粧品の発ガン性も話題にしません。近所の工場排水のために地下水が高濃度のトリクロロエチレンで汚染されているニュースが出ても、朝の挨拶でだれも触れません。だれも「感情的に」なりません。でも、たしかにタバコのこととなると、けっこう「感情的に」なる同僚もいます。そこが不思議です」とされていることです。

「感情的に」なるのは、そんな無理解な「同僚」の高山さんの皮肉に苛立つ結果なのであって、因果関係を逆にしてはいけません。小石を投げた子供を銃撃して殺し、若者の銃による抗議をテロと誇張し、ミサイルをぶち込む理由を正当化する最悪の極右の政治的シオニスト、とまでは言いませんが、その宣伝に騙されて私に刃向かってくる日本の馬鹿なインターネットお宅程度の阿呆な真似はしてはなりません。

 高山さんの職場でさえも、労働組合が要求を出すくらいですから、過半数の支持を得る程度の職場の仲間が、煙草の害を認識しているに違いありません。それなのに、高山さんは、いかにも、すべての「嫌煙者」が、他の公害について、「まったく話題にしません」かのように一般化して主張しています。常識的に考えて、そんなはずはありません

 私は現在も、洗剤は使わず、米糠で油汚れの食器を洗っていますし、地元のプールで、厚化粧したまま泳ぐ馬鹿女を「化け猫」と名付け、おとなしい監視員が遠慮して何も言わないので、厳しく注意しています。争議団で喫煙禁止の内部闘争を苛烈に続けていた当時も、公害、薬害の訴訟団と法廷闘争対策担当の立場で、先頭に立って戦闘的に共闘していました。

「タバコを燻らす人」という過去の認識については、過去の煙草と現在の量産安煙草の比較をしてから議論しなければ、まるで無意味です。もしも、煙草の害が見え難いという主張なのであれば、簡単に、放射能を考えよ、と指摘します。見るのは目ですが、動物でさえ、いや、ゴキブリでさえ、鋭敏な触覚、嗅覚を備えています。五官です。その上に、霊長類などとおこがましくも名乗る裸の猿は、五官を上回る知性、理性、悟性などの所有者と自惚れているのですから、気付かねえでは済まされめえ!

「心ここにあらざれば見れども見えず聞けども聞こえず」なのです。もっとも、高山さん自身が、「意地で喫煙を続けているような節もあります」という不条理の心境を告白しているのですから、その姿勢を見抜いた職場の仲間が、高山さんの主張を「酷薄」と感じても仕方がありません。

 なお、パイプの勧めの本心を明かすと、粋な土屋さん [『新しい神様』監督] がパイプ党に変身すれば、量産安煙草をガツガツ吸う馬鹿者の醜さが、鏡に映した「ガマの油の源」の己が姿のごとくに、自らにも堪え難く見えてくるであろうという深慮遠謀なのであります。


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