送信日時 : 2002 年 3 月 12 日
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『亜空間通信』189号(2002/03/12)
【気象庁が気象協会に「平年値」表現中止指導を突破口に全組織の無条件降伏迫る】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
昨夜、「急報!」として、『亜空間通信』187号(2002/03/11)【3度目の官庁夕刻2度電話「花粉飛散量平年値」指導弁解は破竹の悲惨勝利予兆か】を発した。
以下、要点のみを再録する。
夕刻も夕刻、都合で遅くなった夕食の準備中、気象庁の法規担当、企画課の横山某から電話が入った。「御指摘のように平年値という用語は誤解を招くから、日本気象協会に対して平均値にせよと指導した」というのである。
発端は、「気象協会は過去10年の飛散量の平均を『平年値』としている」『日本経済聞』(2002.02.18.夕)とする記事である。
ありゃ、ありゃ、これでは、基準そのものが激増するから、とんでもない患者騙しの嘘予報、今年は杉花粉少なしの状況判断で症状悪化、抗ヒスタミン剤の爆発的売れ行き、その他諸々となるは必至ぞ、うぬっとなって、徹底追及した結果、軍事的に言えば、敵の牙城の一角が崩れ始めたたのである。当然、ここを突破口にして、一挙に本丸に突進すべきであろうと、固く心に定め、本日(2002/03/12)は、まず、東京都の悪い冗談「いいはな」担当者に、全面的無条件降伏を迫った。
もちろん、裁判の準備は中止しない。それどころか強化する。クラウゼヴィッツは死後に刊行された『戦争論』の中で、敗走する敵を追撃し、すべての戦利品を確保するまでは、戦闘は終了しないと論じているのである。
このことは杉花粉症の歴史を論ずる上で、実に重要なことであり、私自身が深く関係する問題を孕んでいるのである。
すでに以下の連載記事において、その問題の歴史的な材料を列挙した。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/kahun-sakusen.html
ここでは概略に止めるが、杉花粉症の発見者、斉藤洋三らは、すでに1970年代には、杉の植林と放置が花粉大量飛散の原因であることを、林業統計などを用いて力説していた。この時期には私自身が、「資料室の埃」によるアレルギー症状を起因とする不当配転問題をきっかけにして、労組潰しの不当労働行為による解雇事件の原告として戦っており、斉藤洋三の著書をも、アレルギー患者の苦しみの傍証として裁判所に提出していた。
同時に私は、上記の斉藤洋三編著の本で知った「花粉症友の会」の事務局長と会い、私の裁判への協力を求めた。しかし、私の裁判では上記のように不当配転の原因が資料室の本の埃(ハウスダスト)であったから、弁護団との相談では、杉花粉症を前面に出すとかえって足元をすくわれる恐れがあるので、上記の友の会事務局長の証人申請は差し控えた。
一昨年、未曾有の杉花粉飛散による症状悪化、電網宝庫記事連載開始に伴い、上記の友の会事務局長に電話したとこころ、友の会は活動を休止していた。理由は簡単であった。友の会の目的が花粉症の「社会的認知」にあり、それは一応、成功していたからである。
そのことは仕方がない。大衆運動には、そういう限界がある。しかし、相手は、戦う組織がなくなれば、野放しの暴虐を繰り返すのである。であるから、私は、今度こそ、決定的な勝利を確保するまでは、この「戦い」を中断しない決意を固めているのである。
以上により、今回からは、電子手紙広場は別として、関係組織、個人宛には、同文の送信先を明示しないbcc方式ではなくて、cc方式、つまり、送信先のすべてを明示する方式で、犯罪的組織と責任者には全面的無条件降伏を迫り、報道関係には報道を迫り、政治的組織には闘争を迫る連続通信を送ることにした。
なお、現在の予定では、しかるべき報道機関、政治組織に関しても、調査不足の誤報、または広告主の奴隷としての共犯を追及し、被告として明記することにしている。覚悟されたい。
以上。