電網雑誌『憎まれ愚痴』通算100号発行の感慨無量

5年余の長期にわたる御愛読の皆様への御礼と今後の抱負

 電網雑誌『憎まれ愚痴』は、1999年1月1日、元旦の払暁、週刊誌として創刊し、1年間は週刊で48号まで発行し続け、翌年の1992年1月の49号からは月刊に衣替えし、本年、2004年3月号は、通算で100号目となる。

 この間、別途、『亜空間通信』を発行し始め、これが今、741号まで発行済みとなった。『憎まれ愚痴』電網宝庫(ホームページ)記事及び関連の掲示板投稿、ヴィデオ製作、書籍発行など、状況の変化に応じ、または追われて、わが電網情報の発信および各種言論手段駆使の方法は、様々な紆余曲折を経た。

 本月、電網雑誌『憎まれ愚痴』の100号に至り、その節目、節目で、ヒット数を調べてみると、以下のようである。

 1999年1月1日の1号-2,724
 1999年11月の48号-1,036
 2000年1月の49号-2,008
 2001年1月の62-567
 2002年1月の74号-278
 2003年1月の86号-261
 2004年1月の98号-239

 時を経て、低落しているのか、それとも、古い号のヒット数が数年のヒット数の累積だからなのか、ともかく、数字としては変化している。

 この間、「憎まれ愚痴総合案内」のヒット数は、着実に伸び、2004.03.04.現在、42,176となった。

 電網雑誌『憎まれ愚痴』創刊の直接のきっかけは、以下のような創刊号の目次の紹介を見れば、歴然となる。

 『ガス室』、ホロコーストは大嘘の主張と、それを妨害した『週刊金曜日』本多勝一を刀の汚れとして言論で粉砕する戦いを、当時の流行り言葉で、Think globallyとし、Act Locally として、地元の問題、わが追加のFight professionally2000年『デカメロン』序章、この4課題に応じる記事の項目としたのである。

 わが電網宝庫の創始の記事も、翌年1月のパリ地裁、ロジェ・ガロディのホロコースト裁判傍聴の貧乏旅行の出発直前に、遺言の積もりで入力した以下の裁判訴状である。

 これらの錯綜する情報発信の新たな区切りとして、今後は、電網雑誌『憎まれ愚痴』に大型記事を掲載し、それを編集し直して、印刷媒体の季刊『真相の深層』に仕立てることを決意した。

 以下が、きたる4月1日を期して発行を開始する季刊『真相の深層』創刊の辞の草稿である。

 現在、拙著、特に中東関係の拙著には、以下の「読者の皆様へ」と題する折り込みをしている。ヴィデオ上映も含む講演を、湾岸戦争からカンプチアPKO出兵当時の勢いで、これから展開するのである。

 以上。


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