※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『亜空間通信』645号(2003/08/06)
【戦争の悲劇を食い物にする似非紳士「偽の友」朝日新聞を批判する理論と現実的根拠】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
[社告:644号未発行につき8/5に645号として発行した方を644号に変更する]
転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
ああ、もう、実に忙しいので、ついつい、発行号数を一つ飛ばしたりしてしまうのであるが、「私」こと、木村愛二は、このところ、日本の大手メディアへの批判の中でも、特に、一般には「左寄り」と思い込まれている「偽の友」の典型、朝日新聞の記事を、厳しく精査し、批判せざるを得ない状況が激発することに、ほとほと嫌気が差している。いちいち相手にしていると、切りがないのである。
朝日新聞は、日本の大手紙の中では、最も典型的な商業紙なのである。この本質的な事実を、いわゆるメディア論で飯を食い、肩書きを振り回している「教授」たちは、まったくと言って良いほどに、公然とは指摘しない。
新聞関係の労働組合(実質は従業員の中でも「本工」のみの福祉協会)も、商業紙呼ばわりされるのを非常に嫌がる。
朝日新聞「社」の「社員」である朝日新聞記者ときた日にゃあ、お高く止まってしまって、知ってか知らずか、お得意の「調査報道」特集をするどころか、むしろ、自分たち自身に対しても、この歴然たる事実を覆い隠している。
この欺瞞に満ちた状況こそが、実は、メディア論の上で、最も重要なことなのである。
わが青春の一時期、1960年から1970年ごろに掛けての世界的な「市民革命」(幻想ではあったが)の高揚期には、このようなメディアの位置づけに関して、今とは正反対と言って差し支えないほどに、メディアの内部の論調が異なっていた。
1968年、フランスで「5月革命」と呼ばれた学生たちの「カルチエ・ラタン」占拠などが、評判になった時期のフランス発の情報を、私は、共著の『テレビ腐蝕検証』(汐文社、テレビ文化研究会、1980)の中で、以下のように紹介した。
ル・モンド紙記者会長のシュブーベルは、「報道は本来、訴えと非難に満ちたものなのである」という同僚の主張を紹介し、こうつづけている。
「ところが、大部分の報道機関が目標としているのは、まったく反対のことなのである。すなわち、今日の大部分の報道機関が目的としていることは、読者に不安を与えず、読者を慰めるということなのである。ことに問題なのは、どこへ行けばよいかもわからず、方向を決めるための光を探すこともしないで、目を閉じたまま、ただ先進を続けるだけのアーナキーな世界で読者が引き受けなければならない責任から、読者の関心をそらせているということである。(『報道・権力・金』25頁)
この出典について、私は、それから16年後、1996年に発表した『読売新聞・歴史検証』の巻末参考資料の中でも、以下のように紹介している。
『報道・権力・金/岐路に立つ新聞』(ジャン・シュヴーベル、井上日雄・鈴木博訳、サイマル出版会、1968)
ル・モンドは、国際的にも「高級紙」の代表とされ、通常、「中道右派」と分類されている。そのル・モンドの記者たちでさえ、「訴えと非難」の重要性を認識し、一応は公言していたのである。ところが、その時期すでに、「広告」によるメディア支配が表面化し、シュヴーベルが嘆く状況が、着々と進展していたのである。
その後の状況は、世界的に見ても、坂道を雪だるまが転がり落ちるような速度で、いわゆる「左」の総崩れ、冷戦構造の崩壊から、アメリカの一極支配へと、激変を遂げた。メディアも、その変化に追随した。
いわゆる「反体制」は、この時期、シュヴーベルの嘆きに応えていただろうか。私は、断固として、「否!」と答える。端的に言えば、「訴えと非難」を、突き詰め、問題点を明確にし、解決策を模索する努力を怠ったのである。または、口先だけで、好い加減な誤魔化しに終始していたのである。それでも、「飯が食える」状況だったのである。
その怠慢の「付け」は、1970年代からの「総崩れ」として、突き付けられた。
私は、その間の想いを、新編著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)の中で、以下のように記した。
---------- 引用ここから ----------
私は、日本テレビを相手取って、16年半の不当解雇撤回闘争を経験した。その争議の最中に多くのことを学んだが、最大の教訓は、次の言葉に集約される。このような考え方は、実のところ、多くの軍学書に共通しているのである。
「敵と戦うのは簡単だ。味方と戦うのが一番難しい」
戦いの要求、目的、戦略を明らかにし、戦いの中心となる集団を形成するためには、たとえ普通には味方の陣営に属すると思われる人物や組織に対しても、ときには、命がけの対決を挑み、いわゆる味方の中での主導権を確立しなければならないのである。もちろん、「非暴力抵抗」を選択する私の「対決」の手段は、言論以外にはあり得ない。この場合も、そうなのである。だから、言論として許容される範囲内での限りを尽くして率直な表現をする。
---------- 引用ここまで ----------
本通信は、あらかじめ、そう予定していたわけではないが、前回の645号改め644号(2003/08/05)の以下に続くものである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku644.html
http://asyura.com/0306/war38/msg/101.html
『亜空間通信』644号(2003/08/05)
【似非紳士朝日バグダッド発フセイン像倒壊現地取材?恐米萎縮症特集の韜晦奇怪痴呆】
続いてしまったのは、偶々、友人が、以下の記事の切り抜きを届けてくれたからである。
『朝日新聞』(2003.08.04)「時時刻刻」/『独の」悲劇』に隣国反発/第二次大戦/追放者記念館計画」
この問題は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の最後の「付録」の中に、以下のごとく記されている。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-32.html
『偽イスラエル政治神話』(その32)
イスラエルの“新しい歴史家たち”[付録]
『ヤルシャライム』紙は一九九五年四月二八日、エルサレムのヘブライ大学でゲルマン研究学科の主任、モシェ・ツィムメルマン教授とインタヴューした。
掲載記事の中の記者の紹介によると、ツィムメルマン教授は、ユダヤ人・第三帝国・ホロコーストなどのドイツ問題の専門家である。彼の歴史分析と、その結果として彼が得た結論は、……このところ、数々の公然たる議論の的となっている。
[中略]
私が語ることは、ヒトラーの犯罪を矮小化しようとする議論とは、まったく関係がない。……ナチズムの歴史を詳しく知っているからこそ、私は、あらゆる角度からの真実を明らかにして、危険な可能性の存在についての警告を発したいと願うのだ。……私がドイツ政府に操縦されていると思う人々もいるようだが、ドイツでは反対に、政治家や公式の歴史家が見直し論者の潮流を排斥していることを思い出してほしい。その証拠となるのは、見直し論者が一九九五年五月七日に、(ドイツが降伏した)一九四五年五月八日を、単に解放の日としてだけではなくて、同時に、“ドイツ人が東ヨーロッパから追放されはじめた最初の日”として思い起こすための集会を計画したら、会場への集合を当局が禁止したことだ。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------
ところが、上記の朝日新聞記事には、このような「イスラエルの“新しい歴史家たち”」の見解は、まったく出てこないのである。
記事に「権威」を貼り付けるために、「高橋秀寿・立命館大学教授(ドイツ現代史)の話」が配置されている。
まるで知らない名前であるが、電網検索したら、簡単に分かった。まずは、「アマゾン」とかいう電網書店の情報である。
---------- 引用ここから ----------
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index%3Dbooks-jp%26field-author%3D%E7%A7%80%E5%AF%BF%2C%20%E9%AB%98%E6%A9%8B/249-8806061-3746706
[中略]
再帰化する近代―ドイツ現代史試論 市民社会・家族・階級・ネイション 国際社会学叢書―ヨーロッパ編
高橋秀寿 (著) 単行本(ソフトカバー) (July 1997) 国際書院
価格:¥3,200
[中略]
ヨーロッパ新右翼 朝日選書
高橋 秀寿 (著), et al 単行本(ソフトカバー) (February 1998) 朝日新聞社
価格:¥1,500
---------- 引用ここまで ----------
ついでに、もう一つ出てきた。以下は、関係箇所のみの抜粋である。
---------- 引用ここから ----------
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/krc/nenkan2000/1213k2.html国際言語文化研究所
比較文化研究会:世界各地の文化的実態の比較研究と新しい文化理論の構築2000年1月8日の第2回は、『歴史学を改めて問う』というテーマを巡って、成田龍一(人間社会学部)と高橋秀寿(文学部助教授)が、それぞれ『「日本歴史」の記述―1930年代からの経験』、『記憶と歴史―ベルリン都市空間をめぐって』と題する発表をした。
---------- 引用ここまで ----------
つまり、高橋秀寿「現・教授」が自前の著書を発表したのは、1997年と1998年であり、前者は共著のようなもので、単独の単行本は「朝日選書」だけで、少なくとも2000年1月8日までは、日本女子大学文学部助教授だったのである。立命館大学教授には、「成り立てのほやほや」である。
私は、1995年春に『マルコポーロ』廃刊事件を経て、その年の6月26日に拙著『アウシュヴィッツの争点』、1998年9月30日に拙訳『偽イスラエル政治神話』を発表した。高橋 秀寿の名前も見たこと無いのは、当然である。
朝日新聞は、この間、いわば、わが「ホロコーストの大嘘」論に関して、終始、敵対的であった。そういう「偽の友」、砕いて言えば、「偽イスラエルの友」が、「戦争の悲劇」を食い物にし続け、この問題に関する「訴えと非難」を、事実上、封殺してきたのである。だから、私は、当然、朝日新聞を、「言論として許容される範囲内での限りを尽くして」、非難するのである。
「薄味」「偽の友」では、朝日新聞と日本共産党は、「好一対」である。
さあ、どうかね、文句あっか!
以上。