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『亜空間通信』1065号(2005/07/30)
【NHK存続・発展求める「著名政治評論家」はどっち付かずの安手の論評】
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お断り:文章構成に混乱があるため一部削除修正し、タイトル変更しました。2018.5.18
昨日(2005/07/29)、わが電網(インターネット)読者から届いた私個人宛のメールの件名の一つが、「森田実氏にはがっかりです。本質を捉えていないとお考えになりませんか?」となっていた。
「森田実」という名前は、最近、「政治評論家」などの肩書き紹介で、時折、目に付くから、そのメールを開けて見た。
以下のごとく、「NHKの存続・発展を求める」立場を明らかにしている。
メール件名:森田実氏にはがっかりです。本質を捉えていないとお考えになりませんか?
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02024.HTML
2005.7.28
2005年森田実政治日誌[216]
新・日本マスコミ論[2]――「広告」巨大独占体の支配下に組み入れられた民放、自立性を強めるNHK。私はNHKの存続・発展を求めるこの機会に、私のNHKに対する考えを記しておきたい。マスコミ研究者の友人Aと同様、私はNHKを守るべきだと強く主張する。
質の悪いマスコミを批判するとともに、良いものは良いものとして評価し、マスコミを改善することが今ほど大切な時はないと思う。
テレビは影響力が巨大である。テレビの教育的効果は大きい。教育において大切なのは「品」である。「品格」が大切である。テレビは「下品」を断固として拒否しなければならない。テレビは「品」を良くすることに真剣に取り組むべきである。ところが、民放は「品」を捨ててしまっている。
「品」という面でテレビ各局を比較すると、NHKが一番上である。
最近、NHKの聴視料支払い拒否が増え、NHKの経営が苦しくなってきたというニュースに接することが多くなった。このため制作費を減らすという。これでいいのか、と私は思う。「品」の低下につながるのではないか、と心配である。
他のマスコミがNHKを狙い撃ちしている感があり、そうしたことも影響しているのだと思う。
「略」
下記はそれに対してです。
NHK問題ですが、私は論じるべきは民放との対比でNHKはどうかといった相対評価ではなく、NHKそのものに対する絶対評価だと思います。
NHKの番組のなかにも優れたものがあるのは認めますが、今問題なのは優れた番組があるかどうかではなく、権力対峙性だと考えます。
NHKに今問われているのは、番組放送前の政治家との面談を「通常の業務」とする、公共放送としての使命をないがしろにする体質です。
現状のままでは、視聴者は、政治権力者の意に沿うように番組内容が改変されて知る権利が侵される危険に、常にさらされていることになりませんでしょうか。
http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/1062.html
政治家の検閲をすすんで受けるNHKの体質 岩瀬達哉NHKが政治家に弱いことは、周知の事実といっていい。元NHK会長の島桂次氏も、1995年に出版した自著で、「NHKが政治家の介入を許す理由」として、最高意思決定機関である経営委員会の人事が政府与党に握られていること、毎年の予算が国会承認を必要とすることなど、その構造的問題点を明らかにしている。
今回もまた、2001年1月に放送された特集番組が、放送直前に自民党の有力政治家から”圧力”を受け、内容が”改変”されたというのだ。
この番組は、旧日本軍の従軍慰安婦問題をとりあげたものだった。一方、圧力をかけたとされる政治家は、慰安婦問題などの教科書への取り上げ方をチェックしている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中川昭一代議士(現経済産業相)と、安倍晋三代議士(現自民党幹事長代理)。中川氏は、当時、同会代表であり、安倍氏は同事務局長であった。
圧力があったとすれば、政治家に弱いNHKだけに、簡単に番組内容を改変したであろうと想像される。時期も、予算編成の直前である。
しかし当時の状況がしだいに明らかになるにつれ、今回は、より深刻な問題が内包されていることに気付かされる。
問題の核心は、圧力に屈したことではない。番組内容が検閲されていたことである。放送前に、その内容を政治家に説明し、「意見」を拝聴し、それを受け入れていたというのであれば、これは事実上の検閲である。ましてNHKでは、自らすすんで検閲を求めていたことになる。
確かに、「森田実氏にはがっかりです。本質を捉えていない」という感想には、うなずけるところがある。
どっち付かずの安手の論評である。
以上。