「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたし に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、 また福音のために命を失う者は、それを救うのである」。(34−35)
マルコによる福音書8章29-30において、「あなたは、メシアです」とイエスに告白したペトロが、今日の箇所では「サタン、引き下がれ」とイエスに叱責されている。それは、イエスが自分の最期について −多くの苦しみを受け、ユダヤ社会の指導者たちにより殺され、その三日後に復活する− と教えている時のことであった。
ペトロがイエスをメシアだと告白したときにも、イエスはそのことを誰にも話さないように、と口止めをしている。ペトロは恐らく弟子たちの代表としてイエスに信仰を告白したのであるから、イエスの口止めもペトロだけでなく弟子たち全員に申し渡されたものと考えられる。それは、物語中に登場する弟子たちに限らず、それを読む我々すべてに向けられて語られた言葉でもあり得るのである。というのは、「イエスこそメシア(キリスト=救い主)である」というペトロの信仰告白は、今日まで続く教会の信仰告白でもあるからである。イエスは、その告白を誰にも語るな、と弟子たちに命じている。それは、同じ告白を隣人に語ることを使命とする教会全体への戒めでもあり得るのである。
今日の箇所で語られているイエスの最期の姿は、マルコ福音書の結論部分の先取りである。イエスは弟子のひとり(イスカリオテのユダ)によって引き渡され、十字架にかけて殺害される。イエスは、最後の瞬間まで侮辱され愚弄されての悲惨な死を遂げるのである。そのときにローマの兵士が「本当にこの人は神の子だった」と心情を吐露するのだが、即ちそこで初めてイエスがまぎれもないメシアであったことが明らかにされたのであった。病人を癒したとか、指導者と論争して負けなかったとか、数千名の人々に食事を配ったとか、湖の上を歩いたとか、そうした奇跡行為がメシアの証しになったのではない。ただ、十字架につけられ、侮辱され愚弄されて死んだその時に、イエスこそがメシアであったことが明らかにされたのである。イエスは今日の場面で、そのことを予告していたのである。
ペトロは、そのように語るイエスを引っ張って脇に退け、そんなことを語らないように、とイエスを諌めた。自分の死(それも、事故や病気や老衰によるものでなく指導者に排斥されての殺害)を語るイエスを直視できなかったのである。その先に復活することが約束されていたとしても、その言葉はペトロの耳には入らなかったに違いない。なぜなら、そうした死に様は、敗北者のものだからである。
ペトロにとり、イエスは勝利者でなければならなかったのである。当時の、メシア到来を求める時代的な機運がそうであった。巨大な軍事力を背景とした政治権力から脱出し、自分たちの自治権回復を悲願としていたイスラエルの民は、宿敵ローマ帝国を打ち破る存在としてのメシアを期待していた。後に、エルサレムに到着したイエスが民衆によって熱狂的に迎え入れられたのは、そうした期待の反映なのである。病を癒したり嵐を沈めたりするイエスの力は、イエスをそのようなメシアと期待させるのに十分だ、とペトロは感じていたに違いない。
そのイエスが、ローマ帝国どころか、ローマの手先となって傀儡に成り下がっているユダヤの指導者たちの手で殺されるという予告は、すなわちイエスと弟子たちの運動が敗北することを意味したのであった。「確かにそうした結末が待っている危険があるかもしれない。しかし、最初からそのような言い方でどうするのか。未だにローマとの戦いすら始まってはいないのに、イエスに従って行こうとする人々のやる気を失わせるような言い方はマイナスにしかならない」。ペトロはそう考えたのだろう。
ペトロがイエスにどのような言葉を語ったのか、具体的には報告されていない。ひょっとするとそれは、案外イエスを力づけ励ますような言葉だったのかもしれない。本当に勝利を目指すなら、そんな悲観的な運命を語ってもらっては困る。民衆のリーダーとして立ちあがる事に不安が強いのかもしれないが、勇気を持って、もっと強く、困難な状況と戦ってもらわなければならない。
もしかするとイエスへの思いやりだったかもしれないその言葉を受けて、しかしイエスはペトロを叱責するのである。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」。この叱責は、他の弟子たちをも見つめてなされた。またもやペトロは、弟子たちの思いを代表して語ったのである。そしてイエスも、ペトロに語りつつ他の弟子にも、そしてこれを読む我々にも語っているのである。
イエスに協力しようとして、あるいはイエスの身を案じて語りかけるペトロに対して、なんとも厳しすぎる言葉のように感じられる。だが、「サタン」が悪魔的な怪物を指すばかりでなく「誘惑する者」(1:13)であることを心に留めたい。ペトロの友愛に満ちていたかもしれない諫言は、しかしイエスにとって誘惑となったということなのである。つまりイエスにとっても、十字架からの避難は「誘惑」だったのである。ペトロをサタン呼ばわりするのは、この時のペトロがイエスにとって「誘惑する者」となったからである。十字架の死と復活は、決して「自動的な運命」ではなかった。「運命に身を任せていれば自然に成立する」というものではなく、イエス自身が、勇気を振り絞って、堅く意思を保って、全力で立ち向かわなければならない目標だったのである。安易な共感や慰めの言葉すらが誘惑となるような厳しい戦いに、イエスは立ち向かっているのである。
そしてイエスは語る、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい!」。それぞれに負わされた十字架を背負い、イエスのように戦うことが、イエスに従うこと=イエスと共にあることだ、と語るのである。安易な共感や慰めすらが誘惑となるような、即ち重過ぎる十字架を捨ててしまいたくなるような誘惑と戦い続ける者と共に、イエスはあるのである。
もう一度注意したい。イエスは「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と呼びかけた。「あなたはメシアです」と告白したペトロはどうであったか。十字架の場面で、彼はイエスの弟子であることを3度も否定し、つまり自分の十字架を放棄して逃亡したのであった。そのペトロに、マルコ福音書記者はここで、当時の(そして現在の!)教会の信仰告白を語らせているのである。そして、イエスに口止めさせ、さらに「サタン、引き下がれ」と叱責させているのである。このことは、教会に集うことで十字架を降ろした気になっている人々ではなく、むしろ教会には集っていない(イエスをメシアとは告白していない)かもしれないけれど、しかし自分の十字架を背負って戦い続けている人と共にイエスがある、ということを意味してはいないだろうか。
教団総会にて、「牧師の資格」について述べる文書が配布されたという。詳細な内容説明は省くが、要するに「『ある種の人々』が牧師や教会役員になるのは望ましくない。それは、その人や教会に重荷を負わせることだから」というものであった。これは、今日のイエスの言葉とはまるきり正反対の発想であることを確認したい。「教会」のことを心配しているようでいて、実は「十字架を負いつつそれでも戦おうとする人々」を誘惑にさらすものに対し、深い怒りを忘れないものでありたい。イエスは、そのような文書を作り、また配布するような人々とは共におられない。他者には理解ができないものであったとしても、それを「自分の十字架」として背負い、苦しみ呻きつつもなお戦おうとする人々ともに、イエスはある。そのような人々の中の多くが、途中で力尽き、誘惑に負けるかもしれない。しかしイエスは明確に「ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」と語っている。それは、重荷を負う人であり通したイエスだからこそ語りうる慰めの言葉である。力尽きた者の祈りも無念さも、イエスはしっかりと受けとめてくださることを確認したい。「イエスがメシアだ」と人々に語り得るのは、そのような人々である。重荷を負うことが、宣教者の資格なのである。
さて我々は、予め戒められ警告されながらも、自分の重荷を放棄して逃げ出したペトロが、後には教会の指導者として、すなわち「重荷を負う人」として立ちあがったことを知っている。その時のペトロの十字架は、まさしく「自分の十字架を背負わなかった」という事実そのものであった。ここに、深い慰めが示されているのを見る。いま重荷を背負うことができなくても、いま戦うことができなくても、それを「十字架」として背負う者には、主のまなざしが注がれているのである。自分が負うべき重荷を人に背負わせてしまった者も、それが赦されざる罪だと悟るときには、イエスは迎え入れてくださることを、改めて強調しておきたい。せめて、イエスの語った「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という招きに応えたい、と祈るものでありたいと願う。
これを読む我々の中にも、決して死なない者がいる。担わされた十字架の重みに潰されず、誘惑にさらされてもそれに負けず、イエスと共に生き続ける人が、我々の中にもいる。イエスは、希望と慰めを込めて、我々にも語ってくださっているのである。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)
「某大学で写真を学んでいた」というわたしの経歴について、以前この欄で書いたことがあります。わたしがその大学を中退したとき、ちょうど同級生たちは学生証の書き換えの時期に当たっていて、わたしがバイトしていた写真店に続々と証明写真撮影のためにやってきたのでした。わたしは彼らの写真を撮る側だったのですが、ファインダー越しに覗く彼らとカメラのこちら側にいるわたしとが、もはや別々の世界に生きるようになってしまったということを痛感させられる、なかなかにシュールな体験でありました。
当時の同級生の1人から、昨夜電話がありました。当時仲が良かったのは、本当は映画学科に入りたかったのに果たせずなぜか写真学科に入ってしまったという、(わたしをも含めて)「場違い」な連中だったのですが、その中の1人が、東京で同居人の竹佐古真希が演奏会をするという知らせを聞いて連絡をしてくれたのでした。彼と最後に会ったのは、わたしが別の大学に編入し、後に卒業して牧師になった直後のことでしたから、ほとんど5〜6年ぶりの対話ということになります。東京と青森という遠距離にもかかわらず、1時間半も話しこんでしまいました。当時の思い出はもちろん、共通の趣味である映画鑑賞についてだとか、同級生たちの消息についてだとか、お互いの生活の様子だとか、いろいろな話題が途切れることなくあふれました。とても懐かしい気持ちになりました。コンサートには来てくれるそうですから、久々に対面することになりそうです。
電話を置いてから、証明写真撮影の時に強烈に意識した「こちら側」と「向こう側」という隔ては何だったんだろう、と改めて考えさせられました。彼も「ファインダーの向こう側」にいたはずの人ですが、今では写真とほとんど縁がない仕事をしている、という点では「こちら側の人」と感じました。しかし、考えてみれば写真を職業にしていようといまいと、今となっては「こちら側」と「向こう側」という隔てには何の必然性もないような気がするのです。
同じ「時」を分け合ったし、今も同じ「時」を生きている。それだけで充分なように思うのでした。
(当時はまさか高校の教師までやるとは思っていなかったTAKE)
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