「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子どものパン屑はいただきます。」 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」(28−29)
ガリラヤの北西にあるティルス地方にイエスは出かけた。「だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。」(24)と記される。イエスがいると知ってたちまちやってきたのは「シリア・フェニキアの女」であった。シリア・フェニキアはローマ帝国のシリア領に属する植民地であり、この女性もギリシア人と呼ばれている。つまり、イエスを始めとするユダヤ人にとって、この女性は「外国人(異邦人)」ということになる。
イエスはなぜ「だれにも知られたくない」と考えたのであろうか。これまでも、イエスが(時には弟子たちと共に)群衆を避けて独りになる場面が幾つか描かれていた。祈るため、休息するため、他の村へ出発するため(引きとめられないため)である。今回のティルス行きはどれに相当するだろうか。
この7章の前半部分で、エルサレムから来た「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たち」とイエスは鋭く対立している。「汚れた人々との交わり」を直接攻撃されたイエスは、汚れたものから遠ざかるべき、という「言い伝え」を堅く守ろうとするこれらの人々を非難し、群集に向かっては「あなたがたは汚れていない!」と宣言した。人々の価値観は、圧倒的な勢力をもって圧迫を加えてくるローマ帝国と、それに対抗して民族的な自立を掲げるユダヤ王国の、どちらを選ぶかということに縛られていた。言いかえれば「ローマ中心主義」と「ユダヤ中心主義」である。植民地として支配をしようとする(あるいは積極的に支配を受けようとする)人々と、飽くまでもユダヤ人としてその支配を跳ね返そうとする人々に分かれていたのであった。そうした中で、ユダヤ人でありながらローマ帝国のために税金を取り立てる人を「罪人」と呼び、かつてはユダヤ人であったが植民地支配の結果外国人との混血が進んだ(といわれる)地方の人々を「異邦人」と呼んで遠ざけようとする価値観が生まれたのであった。
そうした結果、ユダヤ中心主義に生まれてきたのは「エルサレム中心主義」である。ユダヤを治める神を奉る神殿が置かれたエルサレムは、ローマに対抗するユダヤ人たちの心のより所であった。ファリサイ派の人々と律法学者たちは「エルサレムから来た」。エルサレムと関係のないところで盛り上がるイエスの運動を警戒し、それを取り込むか、それとも潰すかするためである。
その人々に対して、イエスは公然と攻撃を加え、ローマ主義とユダヤ(エルサレム)主義のどちらにも属さず(というよりどちらからも不当に貶められている)人々に向かって「あなたがたは汚れていない!」と宣言したのであった。その人々にとってイエスはどのような存在に見えたのだろうか。「新しい王が現れた」と感じなかっただろうか。
イエスは、新しい国家を作るために立ちあがった、と思われても仕方のない状況に置かれたのであった。それは、イエスの本意ではなかったのである。ここではやはり、王として立ちあがることを要求されて「引きとめられないため」にイエスがティルス地方へ行った、と考えるべきであろう。
子どもの癒しを求める(恐らく若いであろう)母親の訴えを退けるイエスの姿は、非常に冷たいものに思える。しかしこの「シリア・フェニキアの女」に対する警戒は、「新しい王」として担ぎ上げられることの警戒だったのである。ユダヤ地方だけでなく、シリア・フェニキアという別の植民地まで巻き込んでの「新しい王」運動が広がることは、ほぼローマに対する独立運動(それは戦争に直結することを避けられない)に等しいことになってしまうからである。イエスはユダヤの独立を狙っていたのでなく、ローマと戦争することを考えていたのでもなかった。
だが、なおもイエスに食い下がるこの女性は、「ひとつのパン(たとえ屑であろうと)が当然与えられるべき共同体の一員とされる」ことをイエスに強く期待し、イエスから「小犬」呼ばわりされてもひるまない(ユダヤ人にとり犬は汚れた動物である。が、小犬をペットとして飼う習慣はあったようである)。与えられるべき食物を取り上げられているという状況は、その家の子どもであろうとその家のペットであろうと、同じなのだ、とこの母親は訴えているのである。(我が家も3頭の犬を飼っているが、犬たちの「共同体意識」の強さに驚かされることが多くある。あるいは福音書記者も、そうした犬の習性について知っていたのかもしれない)。イエスは彼女の言い分の正当性を認め、その子どもに癒しをもたらす。この女性やその子どももまた、イエスがこれまでも絶えず目をとめてきた「飼い主のいない羊のような有様」の人々の一員であることを認めたからであった。
異民族を「犬」と表現するなど差別的とも思われるこのエピソードだが、これがユダヤ人の間にさえ差別と序列を設けようとした当時の指導者たちへの非難を語る7:1‐23のエピソード(前回説教)の直後に置かれているという点に注目するとき、ユダヤに伝統的な「選民思想」を濃厚に受け継いだユダヤ人信徒と、新しくキリスト教共同体に参入してきた異邦人(=ユダヤ人でない)信徒との間に、無視できない大きな摩擦を経験し始めた時代を反映するエピソードなのだろう、ということが見て取れる。マルコ福音書記者はイエスの口を通して、収奪され蹂躙され搾取されるという悲惨や苦悩の分かち合いこそが、十字架の救いに与る条件であることを訴えようとしているのである。
イエスの言葉に従ってこの女性が家に帰ると、既に子どもから悪霊は去っていた〔30〕と記されている。苦悩の分かち合いが起こるとき、既に救いが起こっているのである。民族や宗教的信条や、その他すべての違いを超えて、救いが起こる。それは、喜びも苦悩も分かち合う新しい共同体の誕生である。
我々の歩みが、そのような共同体の誕生に資するものとされることを願う。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)
盛岡と東京を飛び回った一週間のツケが回ってきているのでしょうか。
カゼはひくし説教はできないしで悶々とする日々を過ごしておりました。皆さんはいかがですか。
あまりいいニュースのない中でひときわ「朗報」といえるのは、35万画素のデジタルカメラを一万円ポッキリで入手したことでしょうか。カード会員になっているパソコンショップが、3日間の会員専用セールを行った際、先着5台限りで一万円デジカメを売りに出していたのです。
この「先着○名様限り」の類に、今までわたしは入れたためしがありませんでした。「抽選」もだいたい外れますし、「全員もれなくプレゼント」にまでもれたことがあります。パソコンショップから送られてきたチラシを見て会堂清掃をすっぽかしつつ出かけたのですが、既に20人以上が行列を作っていたので「今回もダメだな」と観念したのでした。以前にも「8000円でビデオデッキ」の広告を当て込んで、礼拝直前であるにも関わらずクルマを走らせたことがありましたが、50人以上の行列が出来上がっているのを見てあきらめたことがあったのです。ところが、昨今はそれほどデジカメに人気がなくなっていたのか(当日集まった人たちが既にみんなデジカメを所有していたのか)、難なくゲットしてしまったのでした。
実は牧師になる以前、わたしは某大学の芸術学部で写真を学んでいたのでありました。光量を計測して計算ずくで構図を決めて巨大なフィルムに像を収める、という一連の作業を経て撮影する写真よりも、使い捨てカメラであてずっぽうに撮影した写真の方が面白い、という事実に才能のなさを実感して、その大学は中退したのです。あの頃からデジタルカメラの研究は始まっており、「商品化するのに10年はかかる」と言われたものでした。確かに10年を経て、わたしはデジカメを手にしています。
当時、家庭用ビデオカメラの台頭で不振に落ち込んだ写真業界は、起死回生を期して「使い捨てカメラ」を生み出しました。その結果、写真の消費財化がかえって激しくなり、文化としての写真は一部マニアのものだけになってしまいました。
デジカメを使い出して感じるのは、「自分が撮影した写真を人に見せる」というコミュニケーションの新しい可能性です。特にデジタル写真は、思いきった加工でも実に簡単に行えます。撮影・加工から公開までが非常に手軽に行えるデジカメやパソコンやインターネットの普及は、(わたしのものも含めて)たくさんの雑多な「クズ写真」を流通させることでしょう。その上で、「良い写真」の概念に変化をもたらし、新しい写真文化を築いていくのかもしれません。そのとき初めて「使い捨てカメラ」による写真の大衆化の意味が明らかになるのかもしれない、と考えています。
(「恥ずかしい写真も恥ずかしくなくなるぞ」と不埒に妄想するTAKE)
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