竹迫牧師の通信説教
『人を汚すもの』
マルコによる福音書  第6章53−第7章23による説教
1998年10月18日
浪岡伝道所礼拝にて

 更に、次のように言われた。人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。(20−21)
 イエス一行のゲネサレト地方到着はたちまち人々の知るところとなり、病人の治療を求めてたくさんの人が集まってきた。村でも町でも里でも、イエスが入ったところの広場にはベッドごと病人たちが並べられ、皆せめてイエスの服の裾にでも触れようと手を伸ばし、触れた者はすべて癒された、と記される。

 ここでは、「イエスに触れる」という病人からの行為のみが記されているが、無論イエス自身も治療をよしとしたのであろう。病人たちが触れるままにするだけでなく、自分から寝たきりの人々のところへ出向くだけでもなく、自ら手を伸ばして病人に触れることもあったのではないか。そうしたイエスの様子は直接には描かれていないが、我々はこれまで、イエスが必ずそうするであろうことを学びつづけてきた。

 この個所からとりわけ想起させられるのは、「12年間も出血の止まらない女」

の記事(5:24-34)である。そこでは、イエスに向かって押し寄せてくる大勢の群衆の中に混じっていたひとりの女性の存在に、イエスははっきりと目を留めている。この女性は「この方の服にでも触れれば癒していただける」との最後の希望を賭けて手を伸ばし、イエスに触れたところ癒されたのであった。たくさんの群衆が押し迫ってくる中で、イエスはすぐさまその出来事に気付き「わたしの服に触れたのはだれか」と探しつづけ、やがてこの女性が自分から名乗り出たのであった。

 ゲネサレトにおける大勢の病人たちへの癒しにも、ひとつひとつそのような出会いがあったのではないかと想像するのだが、中でもイエスが捜し求めたのは

「飼い主のいない羊のような有様(6:34)」のまま捨て置かれている病人だったのであろう。もちろん、たとえば屋根板をはがして病人をつり下ろす(2:1-12)ような、その病人を囲む人々の熱い思いをも祝福するのがイエスであるが、それ以上に「イエスのほかには、もう頼る人がいない」という状況に置き去りにされている人をこそ、イエスは目指すのである。「(男だけで)5000人もの群衆にパンを配給した」という記事(6:30-44)を読むとき、パンの少なさに対して満腹した人数の大きさばかりが印象に残りがちであるが、むしろ「飼い主のいない羊のような有様」に捨て置かれている人々に対するイエスの「深い憐れみ(『断腸の思い』が原意)」こそが読み取られるべきであろう。ゲネサレトにおいても同様に、イエスは断腸の思いに駆られつつ村々を行き巡ったに違いなく、その思いは豊かな者よりは貧しい者へ、軽症者よりは重症者へ、身よりのある者よりは身よりのない者へ、と先鋭化する一方だったに違いない。病の癒しを目指すことはもちろんであったが、むしろイエスの歩みは人々の苦悩に対する積極的な参与と分かち合いを目指すものであり、それらを通じて、分断されている人々との連帯を実現するものであった。そしてそのことをもって、人々の「希望」を回復するものだった。

 既にイエスは、特に選んだ12人の弟子たちを自分の身代わりとして派遣している(6:6-13)。弟子たちは出かけた先々でイエスのように癒しの働きを行うが、この派遣も治療そのものよりは、むしろ人々が失ってしまっている「希望」を回復することに重きが置かれているようである。だから弟子たちは、自分たちの分にも足りないパンを5000人以上の人々と分け合って食べることを命じられるのである(6:37)。それは、人々の不安や苦悩に積極的に参与することを要求するものであり、弟子たちはそこからもたらされる連帯と「希望」の回復がいかに豊かなものであるかを学んだのであった。そのことを我々もまた、イエス不在のまま強いて逆風の中へと船出させられる弟子たちの姿(6:45-52)を通じて学んだ。

 そのような一行であったから、このゲネサレトにおいても、イエス一人が癒しのために奮闘していたのではないと考えられるのである。特に選ばれた12人を始めとして、イエスに従う集団全部が「飼い主のいない羊のような有様」のような人々の苦悩に参与し、持っているものをすべて分かち合いつつ、連帯と回復された「希望」のもたらす豊かさの中に歩んでいたのではないか。それは「食べるものや衣服や金銭を分かち合った」というだけの意味ではない。それぞれの持つ「不安・恐怖・絶望」というネガティブな要素までをも共に分かち合う歩みである。ひとりの喜びが全員の喜びとして分かち合われるばかりでなく、ひとりの痛みが全員の痛みとして共有されるということである。

 教会もまた、イエスの弟子の群れである。イエスによって見出された我々は、イエスと共に人々の苦悩に参与し、イエスと共に「希望」の回復に努め、イエスと共にその分かち合いの豊かさに与るべく集められているのである。現実の我々の姿はそのような群れには程遠い場面が多々見られるが、それでも、イエスによってそのような豊かさに招かれているという事実が我々にも「希望」をもたらすのである。

 ひとりひとりの喜びは、教会全体の喜びとされるべきである。また、ひとりひとりの苦悩も、教会全体の苦悩とされるべきである。そして、それらの喜びも苦悩も、イエス自身の喜びであり苦悩とされていることを悟らなければならない。イエスと弟子たちとは、広場に寝かされた病人たちが触りやすいようにそこへ近づいたのではなく、むしろ自分から病人たちに積極的に触れるために村々を行き巡ったのである。

 だからこそ今日の箇所で、集まってきたファリサイ派の人々や律法学者たちから出された批判に、イエスは真っ向から衝突したのであった。「汚れた手のままで食事をするのは良くない」と彼らはイエスの弟子を批判した。ここで取り上げられている「念入りに手を洗う」という習慣は、決して衛生上の問題を取り上げたものではない(元来はそうした「生活の知恵」から出た言い伝えであったと思われるが)。汚れたものに触れた手のままで食事をすることは、神への忠誠を誓って清く保つべき体を汚すことだ、というのが彼らの言い分であった。彼らが問題にする「汚れ」とは、病人に触れたり病人と共に食事をしたりする行為そのものを指しているのである。あるいは、病人だけではない。「罪人」と呼ばれるすべての人々、「汚れた者」とされるすべての人々との交わりそのものが、ここでは批判の対象になっているのである。イエスが目指した「すべてを分かち合う群れ」そのものが批判されているのである。

 イエスは批判する者たちに対して、イザヤ書からの引用をもって反論している。

この民は口先ではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、
むなしくわたしをあがめている。

 イスラエルの民は、神の「理由なき選び」の恵みに感謝して生きる群れである。そのイスラエルの指導者階級にいた彼らこそが、その神への信仰をないがしろにしている、とイエスは批判するのである。神は「何の美点もない」(申命記7:6-8)イスラエルの民を、何の理由もないままに選び守って導いてくださった。その歴史の中に神の愛を見出すのが(旧約)聖書の教えでありユダヤの生き方であるはずだった。言わば、神自らが「汚れ」に覆われたイスラエルに接近し、自分から手を伸ばして触れて下さったのである。無に等しい者たちを、ご自分の宝としてくださったのである。その信仰的現実を踏まえて、イスラエルの民は、その共同体の中で貧しい者に尽くし身よりのない者を顧みるべき、と定める律法に従って生きるよう求められたのであった。

 そこに差別と分断を設け、親子の間にすら対立を持ち込む機能を果たしているのが、彼らの大切にする「人間の言い伝え」に他ならない、とイエスは手厳しく激しい調子で批判を語っている。

 痛みをもって想起させられるのは、わたし自身も加害者として参与していた「いじめ」の場面である。「○X菌がうつる」などの言い方で特定の人々を排除するのは、むしろ日常的な光景ですらあった。先日開催された奥羽教区「社会問題セミナー」においても、アイヌの子に対して「アイヌがうつる」とプールに入ることを拒絶する和人(日本人)の子どもたちの姿が紹介されていた。

 イエスは群衆を呼び寄せて「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」と語る。

 それはイエスによる、「あなたがたは、決して汚れているのではない!」という宣言に他ならない。どのような人々と共に触れ合い、交わったとしても、それが人を汚すのではない。どのような人々ともに食事をしようと、それが人を汚すのではない。むしろ人を汚すのは、「この人(あるいはわたし自身!)は汚れている」という、心の内の思いそのものなのだ! 未だ悟らない弟子たちに対して、イエスは怒っている。イエスによって招かれているわたしたちひとりひとりは、確かに既に清められている。が、それ以上に、イエスが目指して歩んで行く人々もまた、既に清められているのである。むしろ「自分は清められた」という思いそのものが、隣人を、そして何より自分自身を汚すことなのである。共なる交わりの模索を通じ、イエスの与えてくれたこの喜びを分かち合う歩みを目指したいと願う。

 願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)

ようやく浪岡伝道所のホームページを公開することができました。4ヶ月も準備した割には大した物がつくれなかったのですが、限られた範囲でのPRにも関わらず、ヒット数が順調に伸びており、感謝を深くしています。

さて、これを書いている今は東京にありますYMCA同盟オフィスにお邪魔しております。盛岡で行われた奥羽教区統一協会問題対策委員会の会合に続き、東京での原理問題対策全国連絡会に出席したついでに立ち寄ったのでありました。持参したノートパソコンの調子がいまひとつで、キーボードをひとつ借用して入力作業をさせていただいているのでした。目の前には浪岡伝道所の通信信徒第1号である横山由利亜さんがお仕事をされているという、わたしの日常からすれば非常にシュールな環境であります。

今回の統一協会問題連絡会は、来年2月に強行されようとしている合同結婚式への対策協議と、名古屋・岡山で相次いだ「青春を返せ」裁判における原告(脱会者)敗訴判決の総括を中心に進められました。ことに名古屋において8年もの歳月を投入して戦われた訴訟の請求棄却は、関係者に大きな衝撃を与えています。

「青春を返せ」裁判は、組織の正体や重大な献金義務を隠したままの勧誘活動が違法であり、死後の世界の恐怖を煽って違法な活動に追いたてる信徒教育は人権侵害である、ということを立証するための訴訟です。原告はただちに控訴しましたが、原告側の弁護士にさえも「宗教は本来的に教祖の命令に服従する集団を形成する」という認識が見られる現状で、人間の自由意思の定義を根本的に問いなおす「マインドコントロール」概念に対する判断を求めるのは困難であった、との反省がなされています。この問題に携わる人々にとっては明らかな実態であっても、それを法的に位置付けることには様々な困難がつきまとうことを再認識させられたのでした。

また、脱会者の証言を伺う時間もありました。あの手この手で献金を迫る統一協会に翻弄されて13年も搾取されてきたその脱会者は、入信から脱会に至るまでの経緯を詳細に語ってくださいました。年を追うごとにカネ集めが露骨になる内部の様子に、わたし自身も体験したあの焦りと恐怖が濃度を増してメンバーを覆って行く様子が生々しく証言されたのでした。

しかし同時に、その日本基督教団に原理問題全国連絡会が設置されて以来の歴史とほとんど重なっている点が、参加者から指摘されました。献金要求が次第に強引さを増す背景には、日本基督教団の連絡会を含む様々な人々による反対活動の成果が反映されているとも言えるのです。近頃メンバーの救出が特に困難さを増している現状が幾度も指摘されていましたが、それも統一協会の末期が近づいているからこその現象であることに深い慰めを与えられた思いです。

文鮮明教祖の長男と結婚させられていた女性が脱会し、また文教祖の実の娘が家族の実態を告発するインタビューに応じています。主要な地位を占めていた幹部クラスのメンバーも次々に脱会し、あるいは分派を形成し始めています。事態はますます混迷を深めることが予想されますが、それも夜明け前の最後の暗黒なのだ、との印象を強く持ったのでありました。

(明日は青森に引き返すTAKE)

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