「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 そして、聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。(8―9)
聖書を読む人々には比較的良く知られている「種蒔く人のたとえ」である。マルコによる福音書は、イエスの死後数十年を経て書かれており、作者自身は実際のイエスに会ったことがなかったと考えられる。そこで、実際にイエスと会った、あるいは共に行動した人が残した言い伝えから取材して再編集し、福音書を構築したのである。つまり福音書の中には、実在のイエスの言葉・行動をそのまま書きとめた部分もあれば、後にさまざまな神話と融合して形作られた伝説も取り入れられてあり、さらにそれを作者の構想に基づいてひとつのストーリィとしてまとめているので、すべてをそのまま実在のイエスの姿として受け取ることはできないのだが、この「種蒔く人のたとえ」そのものは、実在のイエスが語った言葉であるらしいと言われている。
ただし、実在のイエスが何のためにこのような話を語ったのかは、今日では知ることができない。マルコ福音書の作者は、実在のイエスによるたとえ話から出発して「神の国とは何か」ということを解き明かそうと試みているようであり、特に今日読んだ4:1−20には『福音を語る神』『理解されないキリスト』『神の言葉を受け継ぎ宣教する教会を立てた聖霊』という三位一体論的なメッセージを込めようとしているように感じられる。我々もその線に従いながら、今日は特に3−9のたとえそのものに注目したいと考える。
先週、秋田県大曲市で行われた「キリスト教農村伝道推進協議会」では、この種蒔く人の行動の非合理さに注目する講演があった。ここに登場する種蒔く人は、良い土地ばかりでなく、あぜ道にも石地にも茨の中にまでも種を蒔いてしまっている。普通の感覚では考えられないようなこの農夫の行動に、講演者はイエス時代の自分の農地を奪われ、本来は畑でない土地にまで貴重な種を蒔かざるを得なかった貧しい小作人たちの現実を読み取る論文を紹介する。そして「大工の息子」と呼ばれるイエス自身も、農業だけでは食べて行けず副業として木工を手がけざるを得なかったこれら貧農の一人であり、イエスに従った弟子たちも、同様にして土地を奪われ漁業に乗り出さざるを得なかった貧農たちが中心であった、という説が語られた。
たとえば八甲田伝道所の置かれている沖揚平の村など、現代の日本における農業事情を省みるとき、大変興味を引かれる聖書の読み方であった。そして、実在のイエスや中心的な弟子たちが貧農という立場だったという読み方についても、十分にあり得る事だと考えさせられたのであった。
そうした読み方が妥当なのか否かは今後の研究を待ちたいところであるが、その講演を聴いたときのわたしは、既に今日の説教の構想をまとめつつある時であり、やはり「種を蒔く人」が本来種まきに適さない土地にまで種をまいた動機に注目していたのであった。鳥が食べてしまうようなあぜ道に、なぜこの農夫は種をまいたのであろうか。なぜ太陽に焼かれて死んでしまうような石地に種をまいたのであろうか。成長を邪魔するような茨の中に、なぜ種をまいたのだろうか。
うっかりミスでないとしたら、とても奇妙な行動である。
マルコ福音書の作者は、このたとえにおける「種」を神のことばと解釈し、さまざまに設定される「土地の条件」を神の言葉を聞く人々の適正という形に位置付ける。福音を語ってもなかなか受け入れられなかったり、いったんは受け入れてもすぐに手放してしまう人々の様子に心を痛めてきたマルコ福音書作者の実感が込められているのかもしれない。マルコ福音書作者は、そのような現実の只中にあって「なぜ神はこのような地に福音の種を蒔いたのか」を問いつつ、この物語を構築したのではなかったか。
この浪岡の地について、ある人が「種蒔く人のたとえ」になぞらえて、「浪岡はあぜ道であり石地であり茨の茂みである」と語っているのを聞いたことがある。
わたしたちの浪岡伝道所は、弘前教会の牧師であった故 藤田恒男牧師の出張伝道により1950年に設立された。しかしそれ以前から、キリスト教団体による伝道活動は何度か試みられてきたようである。だが、それらの働きは目に見える実りに結び付かず、日本キリスト教団における浪岡伝道所も、多くの人々の祈りと働きにも関わらず、今日に至るまで地区・教区による援助を必要とする弱小教会のままであることは事実である。集っている我々も、自分の中にある「土の貧しさ」を思わずにいられない場面に良く出会うのである。「ここはあぜ道であり石地であり茨の茂みである」という評価が、多大な努力を経てなお湧いてくる実感なのだろうということは十分に共感できる。わたし自身もさまざまな困難を覚えつつこの地にあり、種を食べてしまう鳥だの芽を焼いてしまう太陽だの成長を止めてしまう茨だのという言葉には、それぞれに具体的な出来事を連想してしまうほどである。また、わたし自身の存在が、そのような障害となっているのではないか、と恐れることがある。
だが、こうした現実は、浪岡伝道所に固有の現象ではない。日本全体のキリスト教会を見渡したとき、実態はまさしく大同小異と言いうるのではないか。日本伝道の難しさは、これまでも多くの人々によって語られ分析されており、「日本人の特殊性」の証拠とされることすらあるほどである。
そのような浪岡伝道所をはじめとする日本諸教会全体の歩みを振り返るとき、我々はこの地に福音の種を蒔いた神の真意を問わずにいられなくなるのである。
神は、なぜこのような地に種をまかれたのか。なぜ、このようなわたしに、種をまかれたのか。このような「土地」に種を蒔かねばならないほど、神は切羽詰っているのか。良い土地とそうでない土地との見分けがつかないほどに、神はドジなのか。それとも、種は有り余るほどだから、ついでに気前良くばらまいているに過ぎない種を、たまたま我々が受け取ったのだろうか。それとも我々には、自分でも気づかない「三十倍、六十倍、百倍」の実を結ぶような素質があるとでも言うのだろうか。
むしろ我々は、既にこの地に種がまかれているという事実から、「三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶような良い土地になれ!」という神の命令を聴きたいのである。それ以上に、「あぜ道であっても、石地であっても、茨の茂みであっても、三十倍六十倍百倍の実を結ぶ豊かな土地になれ!」という、神の願いと祈りとを聴きたいと思うのである。
我々が人を量る秤として受け取るために、このたとえが語られているのではない。これは良い土地・これは悪い土地という基準をイエスは語ろうとしたのではない。神は、神の国の豊かさを、この世に行き渡らせるという願いを込めて、育たないことが明らかな土地にも種を蒔くからである。豊かな実を結ぶように、との祈りを込めて種を蒔くのである。我々は、その祈りによって選ばれた土地なのである。我々があぜ道であるか石地であるか茨の茂みであるかは、その願いの前には関係がない。我々が種をついばむ鳥であるか種を焼き尽くす太陽であるか成長を止める茨であるかは関係がない。そのどれであっても、またどれでなくても、「豊かな実を結べ!」との願いが込められて種がまかれている事実は変わらないからである。
「わたしに落ちたこの種が、どうか実を結びますように!」と我らも祈りたい。
神の祈りと願いを共にする我らとなりたい。我らに向けられた神の命令に答えたいと願う我らとなることから、第一歩を踏み出したいのである。神の願いに基づいた「三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ」働きに、我々自身が参与しうる喜びを分かち合おう。神と共に働く喜びの豊かさを分かち合おう。願いを込めて、祈りを込めて、耕す者とされていきたい。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)
7月11日(土)、秋田県横手市にある秋南教会を会場に『竹佐古真希チャペルコンサート』が行われました。前日まで隣の大曲市で行われていた「キリスト教農村伝道推進協議会」に出席した後、秋南教会の中野 潔牧師のご案内で横手市入りし、竹佐古は秋南教会がこのたび導入したという電子オルガン(わたしはその方面に疎いのでメーカー名もよくわかりません。「ドイツ産」を思わせるネーミングでしたが)を用いてのリハーサル、わたしはホテルで高校生のレポート採点、という強行軍でした。
音楽というものがよくわからないわたしですので、良いコンサートだったのかそうでないのかは判断ができませんが、集まってくださった人々には好評だったようです。わたしは元々秋田市の生まれですが、丁度当日は親戚の法事のためにわたしの両親が秋田に来ており、他に親戚3名が出席をしてくれました。
翌日は日曜日ですから礼拝準備のために浪岡に戻ったのですが、到着したのが午前1時。それから週報や説教の作成に入り、しかも高校に提出する成績表の作成や、地区の牧師会で分担しているキリスト教主義高校の礼拝説教が月・火と続くのでその準備が同時進行であり、近年まれに見る激務となりました(泣)。2台のパソコンを使って別々の作業を同時に行いながら「おお、マルチタスク!」と感動しつつ。
さて、今回お訪ねした秋南教会、メイン会堂といくつかの出張伝道所による独立した教団だったそうです。日本キリスト教団に加入して、そこで牧師を務めたのが八甲田伝道所の初代牧師であった故 村上英二先生であり、現任の中野牧師夫妻(両方とも牧師なのです)は八甲田伝道所の歩みに並々ならぬ注目をされております。思えば、わたしが八甲田伝道所の兼務牧師として赴任する際の6年前の就任式にも出席をしてくださったのでありました。「オルガンのお披露目には竹佐古真希を」と考えておられたそうですから、どういう繋がりがどんな芽を吹くか、わからないものです。
家庭集会から出発した各出張伝道所の会堂建築を終えて、4年前にメイン会堂を移転・新築されたそうです。見せていただいた会堂は、とても大きかった。ただ大きくて新しくて綺麗、という会堂ならたくさんありますが、秋南教会の会堂は「教会とは何か」を綿密に検討して設計されたのが明らかでした。とにかく天井が高い。4階建ての建物と同等の高さという吹き抜けを持つ礼拝堂は言うに及ばず、礼拝堂を囲むように配置された各部屋(牧師館も!)の天井もとても高く設定され、非常にゆったりしている印象を与えます。信徒の献品だというステンドグラスもとても立派で、特に夜になると室内の明かりで美しさが際立ちます。八甲田伝道所の辞任間際まで会堂建築計画に参与していたので、実に計算された設計であることが良くわかりました。何かと新会堂建設に対しては批判的な視点を捨てきれないわたしですが、今回は文句なしに納得してしまいました。「カネというのは使い方なんだなあ」と改めて考えさせられた次第です。
築30年を迎えつつある浪岡伝道所の会堂も、そろそろ抜本的な改築を考えなければならないほど、破損が目立ってきました。今しばらくは修理で凌がざるをえませんが、教会としての浪岡伝道所のあり方を検討しながら、じっくり構想していきたいと考えているのでありました。
(点数報告を終えて魂が抜けきっているTAKE)