「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(34−35)
イエスの癒しの働きは、「神の国(神の支配)」の接近、すなわち「この世の支配」の終焉を証拠立てるものとして位置づけられる。当時の誰もが「この治療は不可能だ」と判断していた病気、「これが癒されるのは死人が蘇るのと同様に困難である」と信じられた病気を、イエスは治療していたのである。従って、イエスによって病人が癒されるという奇跡的な出来事は、「この世のものではない力(=神の力)」の現われなのであり、従ってイエスが宣べる「神の国」の接近は決して絵空ごとではなく、現実に起こりつつある(または現実に起こっている)出来事として示されるのであった。
が、イエス当時の人々の間でも、またイエスの事を伝え聞くマルコ福音書成立当時(A.D.70年頃と推定される)の人々の間でも、とりわけ「悪霊を追い出す」という働きは、呪術的・魔術的な域を出ない迷信的な業であると考えられていた。
高額な治療代と引き換えに「悪霊祓い」を行なう祈祷師は、イエスの時代にもマルコの時代にも存在しており、イエス本人だけでなく、イエスを救い主(神の子)と信じる人々も同様に、「迷信が昂じて気が変になった人々」と噂されたと想像される。
迷信に根差す「まじない」は、元来呪術を禁止していたユダヤ教において「悪霊の働きによる魔術であり、不信仰な業である」と非難されたばかりでなく、ユダヤ以外の地方でも「医学(今日的な言い方をすれば科学)ではない」と軽蔑されていたと言われている。「イエスは悪霊の頭"ベルゼブル(この名前の由来には諸説あるが、ここでは『神の名をかたる神の敵対者』という意味にとるのがふさわしい)"に取り憑かれている」という非難の言葉に動かされてその身柄を取り押さえに来たイエスの肉親たちの姿は、恐らくイエスを救い主として信じるようになった人々の肉親たちの姿でもあったのだろう。当時の常識的な社会人たちが送るべき生活から逸脱してしまった自分たちを心配して、あるいは恥ずかしく思って、その身柄を取り押さえようとした家族が大勢いたのではないか。イエスは「悪霊が悪霊を追い出せはしない」ということを、内輪もめの結果としての滅びというたとえを並べることで論証しようとしているように感じられる。イエスやイエスに従う者たちについて「悪霊に取りつかれている」「気が変になっている」という批判を向けるのは不当であり誤った心配である、と語ろうとしている。
その背景に、イエスに従った人々、そしてあるいはイエス本人も、無理解な家族との衝突に深く悩まされたということがあったのではないか、と考えられるのである。
カルト問題を顧みる時、このような家族の姿を「真理を知らない・知ろうともしない、無知で偏狭な人々」と片づけるわけに行かないことを感じている。わたし自身、統一協会からの脱出を果たすのに、家族による強引な、そして粘り強い働きかけが大きな支えになったものだった。統一協会の信者であった当時のわたしは、そうした家族の姿を「世界の救いに一片の関心も持たない、利己的で傲慢な人々」と看做して必死に抵抗したが、わたしと心中することも辞さないという家族の強い決意の前に、「ひょっとしたら利己的なのは自分自身ではないのか」という反省の視点をようやく持つことができるようになったのだった。カルト団体からの脱出を果たすことができたメンバーは、ほぼ例外なく家族による支えを受けている。カルト問題への取り組みは「わたしの家族がおかしくなってしまった」「わたしの家族が奪われてしまった」という肉親からの訴えによって始まるのであり、殆どの場合、肉親の関りなくして被害者の救済も考えられないのである(ちなみに、統一協会では聖書のこの部分を用いて、家族による説得には応じないように、との強い指導を行なっている。わたしもこの箇所を初めて読んだのは統一協会内においてであり、肉親とは「信仰的に無知であり無理解な存在であるから、新しい家族の交わりには不要なものである」との解説を聞かされたものだった)。
このように、わたし自身にはこの個所を「肉親を捨てるべき」というメッセージには読めない思い入れがある。だが、脱会後もカルト問題に取り組み続ける中で、「親の子に対する愛」とか「家族の絆の深さ」というものは絶対的な価値を持っている、という考え方に揺らぎが生じたのも事実であった。「変な宗教の信者になっているという噂が立つと世間体が悪いから」という理由で相談を持ちかけて来る家族が少なからず存在するのである。また「人様に迷惑をかけていると思うと、いても立ってもいられません」と訴えていたはずの家族が、何の説得にも応じない本人の様子に苛立ち「あれはもう自分の子どもではありません」と投げ出すのを見ることも多くある。本人が、そのような家族の姿を見越して悠然と構え、そのカルト団体の犯罪性に対して目を背けている様子もしばしば目にするところである。
10年近くも前の出来事になるが、当時20代はじめだったある女性が統一協会に入信し、家族が必死に脱会を求めるのを完璧に黙殺する様子を観察する機会があった。家族は「お前にはあれも買ってやったしこれも習わせてあげたし、勉強したいというから短大にだって行かせたじゃないか。統一協会の教祖がお前に何をしたわけでもないじゃないか。なぜ、実の家族の言うことを聞いてくれないんだ」と必死に訴えていた。全く白けた様子でその言葉を聞き流していた本人の様子が印象的だったのだが、数年後に脱会した本人から話を聞いた所によると、実は彼女は4年生大学に行きたい所を短大に決めさせられたのであり、親の喜ぶ顔を見るために物をねだったり習い事をしたりしていたのに過ぎなかったのだという。「その頃のわたしには、自分というものがなかった。親の言う通りにしていればいいのだと自分を押し殺していた。親の要求をことごとく退けるという価値観を初めて統一協会で掴んで、そこに言い知れない解放感を抱いた」と彼女は語った。
子どもに固有の人格を認めず、親の自己実現の手段として位置づけてしまうという親子関係は、これまでにも多かったし、少子化が進むこれからはますます増えるのではないか、と感じている。これまで「血は水よりも濃い」という神話で隠されていたその実態が、カルト問題の拡大によって次々に明るみに出される時が来ているのではないか、という思いを強くしている。
単に血が繋がっていれば家族なのだろうか。生きるための保証を献身的に整えてくれれば、それは即ち「愛すべき家族」なのだろうか。食料を始めとする物資が極端に欠乏している時代においては、家族以外の者を顧みる精神・物質両面の余裕はないだろうし、自分の命綱さえも削って物質的な環境を整備するという行為は、確かな愛情に裏打ちされていなければ不可能であると言えたかもしれない。
しかし今日的な時代においてはどうなのだろうか。物資や社会的なステイタスを整えること自体が、人間を疎外する要因になる機会が増えているのではないか。
このような問題提起は、既に最近のものではなくなってきている。
イエスを探しに来た家族のことを聞いて「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」とクールに言い放つばかりか、「周りに座っている人々」を指して「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と語るイエスの姿を、「血縁関係に対する懐疑的な視線」と分析する人がある。そして、このイエスの姿に小気味良さを覚える若い人々も多い。確かに、心血を注いで育ててくれる親に対して「愛情の押売り」としか感じられないこの時代の我々には、イエスの言葉にリアリティを感じることがある。肉親以外に「本当の家族」が存在するのであり、それが教会である、というメッセージに惹かれることがある。
だが、見落とされてはならないのは、イエスはここで「神の御心を行なう人」こそが「わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と述べている点である。カルトの中には、自分の肉親の姿を超える「愛」を実感するメンバーが多くある。現実の家族による「愛」が本物でないように感じられる背景を背負っているからである。
我々の教会においてもそうではないだろうか。「ここには家族の愛を超えるものがある」と感じられるからこそ、我々はここに集うのではないだろうか。しかしイエスは、「神の御心を行なう人」の中に、肉親との絆を超える何かがある、と語っているのである。
イエスは決して「肉親を捨てて教会という『新しい家族』を選べ」と単純に薦めているのではない。自分にとって居心地の良い交わりがあったとして、それが直ちに「真の家族」だと語っているのではない。もし、肉親との関係を越えているものをある交わりに見出すとするならば、もしその関係を「新しい、真実の家族」と考えるのならば、我々はまず、その交わりが「神の御心を行なう」ものであるのか否かを吟味しなければならないのである。我々は、果たして居心地の良さが「家族」の証明であるかどうかを問わなければならない。もしその交わりが「神の御心を行なう」ものでないならば、居心地が良くても決別しなければならない。そして、もしその交わりが「神の御心を行なう」ものであるならば、たとえ居心地が悪くても「家族」と考えなければならない、とイエスは語っているのではないか。
「神の御心を行なう」とはどういうことなのか。我々は、その事をこそ祈り求めなければならない。マルコ福音書冒頭において描かれる、イエスに聖霊が降る場面では、イエスに対して「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえてきた、と記されている。そのイエスの働き、イエスの祈りを受け継ぐことが、「神の御心を行なう」ことの始めなのである。イエスの働き、イエスの祈りとは何であったか。それは、自分の命を他者のために投げ出すという十字架の姿に集約される歩みである。イエスの癒しの働きは、その十字架への歩みの途上でなされたものであり、イエスの働き・イエスの祈りの一端として現われたものに過ぎない。
我々は、いつでも自分が癒されることを願い、自分が慰められることを求めている。もちろん、イエスはその祈りに応えて下さる。しかしイエスの本意は、その事を通じて、イエスの働きを受け継ぎ、イエスのように他者のために命を投げ出すものとなることに置かれている。そのようなあり方を祈り求める時、イエスは我らを「わたしの兄弟、わたしの姉妹」、つまりイエスの家族と呼んでくださるのである。
本日、佐藤優子さんがこの伝道所のメンバーとなる。もちろんイエスは、佐藤優子さんを癒し、慰め、励まして下さる。そしてその事以上に、佐藤優子さんと我々とが「イエスの家族」として立ち上がることを求めておられるのである。そのような意味での「新しい家族」の形成を目指す我らとなりたい。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)
7月5日の礼拝において、浪岡伝道所の新しいメンバーとなられた佐藤優子さんの自己紹介を掲載いたします。
転会にあたって
佐藤優子いよいよ本格的な夏が来ようとしています。皆さんはいかがおすごしですか?
北海道生れの私にとって、東北の夏は何度経験しても身に応えるものがあります。
今年の暑さはいったいどれくらいなのでしょうか? ところで私この度、竹迫牧師の計らいにより、浪岡伝道所に転会させていただくことになりました。岩手に来て三年余、一戸に住んでまだ日が浅いのですが、これからの教会生活をどうしようか?と考えていた時、足はすでに浪岡伝道所へと向かっていたように思います。
こちらでの礼拝は久し振りでしたが、「礼拝に出席出来て良かった。」という喜びは勿論、帰り際に竹迫牧師の方から「転会して下さいよ。」との思いがけない言葉まで頂いて、何だか涙が出そうなくらい嬉しくなったのを覚えております。
そして遠くに住んでいるのも忘れて、その場で決心させていただきました。受け入れて下さった皆さんには心から感謝申し上げます。
とは言っても、隣の県に住んでいるのでそう頻繁には通えませんが、体に無理の無いところで出席出来たらと考えています。もともと小さな伝道所出身の私ですから、ここの教会には故郷に帰ったような懐かしさと、人を包み込む暖かさと、癒しがあるように思います。そのような場からまた教会生活を始められるのは本当に幸いなことです。そして、集まってくる皆さんの一人一人の存在の大きさや重さに圧倒されながらも、ひたむきな姿勢に心が引かれていきました。その上、欠けの多い私を、一人の「佐藤」として受け入れて下さった竹迫牧師の懐の広さには、改めて感謝致したいと思います。
時々、糸の切れた凧のように、導いていただかなければどうしていいのかわからなくなる私ですが、これからは神様と皆さんに支えていただきながら祈りつつ、ゆっくりと歩みを続けて行けたらと願っています。
この事を近くの教会の知人にお知らせしたところ、「冬期などは遠く感じられるかも知れませんね。そのような折りはどうぞ遠慮なくこちらの礼拝にも出席下さい。」と言って下さったのが、又々嬉しいことでした。しかしそこは雪国生まれの私、いよいよの時はスキーで走って行くかもしれませんよ。仙台の長男の所に孫一人。今は養護学校勤務となった夫の帰りを雄犬一匹とのんびり待つ日々です。こんな私ですが、どうぞよろしくお願い致します。
ちなみに、佐藤優子さんは、わたしの連れ合いである竹佐古真希の実母なのでした。ひょんな事で浪岡伝道所への転会を決意してくださったわけですが、居住地が多少遠いこともあって、現在は「通信信徒第2号」となっていただくべく、早めに通信環境を整える計画を立てています。なにとぞ応援してくださいませ。
当日は、丁度北海道大学YMCAと東北大学YMCAの交流会が浪岡伝道所で行われており、多数の出席者が見守る中、転会式が行われたのでありました。
よき交わりが形成されますように。
(高校の学期末点数報告の締め切りが迫るTAKE)