竹迫牧師の通信説教
『イエスの願い』
マルコによる福音書 第1章40−45 による説教
1998年5月3日
浪岡伝道所礼拝にて

「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せモーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広めはじめた。(44-45)

イエスの宣教活動は、その出発点であるカファルナウムにとどまらず、ガリラヤ全土に及んだ。そしてその活動は、単に言葉で教えを説くにとどまるものではなく、むしろ病気によって社会生活から遠ざけられていた人々への治療活動を伴うものであったことは、これまで見てきたとおりである。イエスは、治療行為を通じて、宣教の主内容であった「神の支配の接近」が、人々を傷つけたり圧迫したりする「この世の諸力」からの解放を意味するものであることを示したのであった。

そうしたイエスの働きのひとコマが、今日の聖書箇所に示されている。「らい病」を患う人がイエスを訪ね、イエスがその人を癒すのである。ここで「らい病」と訳されているのは「重い皮膚病」の事であって、必ずしも今日いうところの「ハンセン氏病」のみを指すものではない。治療の方法が見つからなかった当時、こうした皮膚病は治癒が困難であると考えられ、このような病気が癒されることは死人がよみがえるのと同様に困難であると考えられたという。そこで、少なくとも他者への伝染を避けるために、重度の皮膚病にかかった者は「汚れている」とされてイスラエルの民から隔離され、病気の事を知らずに近づく者があったら、病人の方から「わたしは汚れている!」と警告しなければならない決まりになっていた。その警告に聞かず、触れる者があったとしたら、その人も「汚れた者」としなければならなかったのである。

そうした事情を考えると、この人物とイエスとの出会いは、極めて異例の出来事であると言わなければならない。何しろこの人物は、「わたしは汚れている!」と警告することなしに、自分からイエスに近づいてきたのである。またイエスの方も、触れてはならないはずのこの人に自ら手を伸ばして触れることで、治癒が実現したのである。イエスとこの人物の両方、あるいはどちらか片方でも、律法に忠実であろうとしていたら、決して起こらなかったはずの出来事なのであった。

ここに、人間世界のルールである「常識」を越えて働く神の力が示されている。

我々が日常生活を営むのに欠くことのできない「常識」という道筋を踏み越えた所で、神の支配を指し示す奇跡が起こっているのである。神の力のはかり知れない大きさと自由さを、ここに読み取ることができる。マルコ福音書が書かれた時代のキリスト者たちが、イスラエル独立を願って起こされたユダヤ戦争を契機として、地域住民からは愚かな戦争を引き起こしたユダヤ教の一派として、そしてユダヤ人からは戦争に協力しなかった裏切り者として二重に憎まれていた事情については、何度か説明してきた。ここには、ローマ帝国の支配下にある諸国民としての「常識」、そしてユダヤ人としての「常識」を二重に踏み越えてしまった初期キリスト教徒たちの、信仰に基づく主張が代弁されており、また弁明が語られていると言える。確かに当時のキリスト者たちは、その時代の「常識」をことごとく踏み越えていたのである! 信仰に基づく決断であるとの思いはあったにせよ、周囲の人々にその「非常識」を責められる状況に置かれた彼らにとって、「神の支配はどこに・どんな形で現わされているのか」という問いは切実なものだったのに違いない。マルコ福音書記者は、神の支配が人間世界のあらゆるルールを越えて、大きな力でまったく自由に接近するものであることを示すのである。

しかし、あらゆる「ルール破り」「非常識」が、すなわち神の支配を指し示すものであるだろうか。現代の世界にも絶えず生起する犯罪や不正も、「ルール破り」であり「非常識」である。それら全てが神の支配を指し示す力となり得るのだろうか。

そうした疑問を携えて再びこの箇所を読むならば、人間のルールを越えた神の力が発揮される瞬間の実現は、まず「らい病を患っている人」の神に対する信仰が先行している点に気付かなければならない。この人がイエスのもとを訪れる決心を固めた事情は明らかではない。恐らくは、ガリラヤ全域を巡回するイエスの評判を聞きつけてのことであろう。「汚れた霊」(当時における「精神病」)や熱病という、治療が困難と考えられていた様々な病を治療して歩くイエスの評判が、人々から離れて生活していたはずのこの人物に届くまでに大きくなっていたのであろう。自分を苦しめるこの皮膚病もイエスなら癒せるに違いない、と確信したのである。あるいは、様々な治療を試し、人から騙される体験も相当に積んでいた、という経緯もあったかもしれない。「らい病」患者に課せられた律法的な義務を破棄する思い切りを考慮すれば、「これでだめなら死んでやる」という思い詰め方をしていたと言えるようにも思う。まさしく彼は、それまでこの世のどこにも見出すことのできなかった「神」を凝視しつつ、イエスのもとを訪れたのである。

しかし驚くべきことに、この人物はそれでもなお、神に対する謙遜を見失っていなかったのである。彼は「御心ならば、わたしを清くすることができます」とイエスに願っている。イエスが正しく神の支配を指し示す者であるならば、そして神がそう望んでいるのならば、この身が癒されるはずなのですが、と彼はイエスに訴え出ているのである。この人物が、神の力の絶対であること・完全に自由であることを、まったく疑っていない事が読み取れる。これまで治癒が起こらなかったのは、神の御心に出会ったことがなかったからだ、と理解して信じているのである。イエスは、その信仰に目をとめたのであった。イエスは彼の祈りに応え、神の御心が彼の信じている通りであることを示したのである。イエスの示した深い憐れみは、どのような苦境に立たされても神への信頼を手放さなかったこの人物の深い信仰に向けられたものであった。そして、あたかも「常識」からはみだしたこの人物の行動に応えるかの如く、イエスの方からも律法違反的に手を伸ばして、癒しが行われたのである。

我々が癒しを求める時、この人物のような確信を保っているだろうか。必ず癒される、という希望を手放さずに解決を探し求めるだろうか。この人物の信仰に学ぶべき点ははかり知れないほど大きい。この箇所は、直接にはキリストへの信頼を貫いて苦境に陥っていた初期キリスト者たちにとっての慰めと励ましを込めたエピソードである。「二重の憎悪」にさらされて生きる初期キリスト者たちの「希望の所在」を問いつつ、やがてこの苦しみの時が過ぎ去り、「らい病」を患ったこの人が癒されたのと同じように、我々のこの痛みが過ぎ去り人々に受け入れられる時代が来る、と力強く語るのが記者の意図であったろう。そこに、現代の我々にも変わることなく訴えかける大きなメッセージを読むべきである。我々がもしいま苦境に立っているとして、その時にどのような形で希望を保つべきか、が読まれるべきなのである。昨夜も著名人たちの自殺に関する報道がなされたが、人々が何に希望を置き、どのようにしてその希望に信頼しつづけるべきか、今日にあって福音を宣べ伝える教会の大きな課題である。

さて、当時の律法によれば「汚れ」とされたこの病気が癒された後、イエスはこの人物に「だれにも何も話さないように」と厳しく注意している。ここで「厳しく」と訳されているのは「激しく息巻いて(興奮して)」という意味の言葉である。つまり、我々流に言えば、イエスはほとんど「キレて」、この人物に「誰にも何も言うな!」と激しく命じているのである。後の方を読めば、イエスの禁止命令にも関らず、この人物がイエスによる癒しを多いに言い広めた事が書いてあるので、イエスはそれを予感して厳しく命令したのだろうか。

イエスは、「自分が清められた」ことを人々に証明する事だけに専念せよ、と命じている。皮膚病が治癒したか否かは、神殿の祭司が判断する事であり、祭司によって「清くなった」と判断された者は、所定の献げものを献げることで社会復帰が許された。当時のこの社会においては、社会とは即ちユダヤ教徒として生きる舞台であり、神の前に立つ礼拝行為が回復されることが「社会復帰」の第一条件だったのである。イエスは、この点をこそ問題にしていた。もしこの人物が、自分の病気について警告なしに他人に近づくという「律法違反」のゆえに癒された、という「自分の勇気ある行動」のみを強調して人々に治癒の出来事を語った時、イエスが目をとめたこの人物の「正しい信仰」は忘れ去られ、「常識」の破壊のみが印象づけられる。イエスが深い憐れみを向けたのは、この人物が「正しい信仰を保っているにもかかわらず、神と人との交わりから疎外されていた」という状況に対してなのである。また、律法に違反する形でこの人物を治療したイエスが「律法を越える者」としてたたえられる時も同様である。律法を定めたのは神であるから、それまでの神に代わる新たな神として崇められるのも筋違いなのである。むしろこの癒しの出来事は、正しい信仰を持つ人を神との交わりから排除していた周囲の人々(とりわけ、次の箇所でイエスの論敵として台頭する当時の社会的指導者であった律法学者たち)の不信仰を撃つために用いられるべきであった。イエスは、この人物の信仰が常に正しくあったことのみを証明するべきだと考えたのである。あれほどのひどい状況にありながら、信仰を正しく保っていたこと、それにも関らず律法学者たちはその正しさを認めなかった、ということを示そうとしたのである。

むしろイエスが願っていたのは、この人物の正しさを認められなかった人々の、正しくない信仰のあり方が正しいものへと回復されることだった。記者は、強大な軍事力をもってローマ帝国を打ち倒し、イスラエル王国の独立を果たすことを願った当時のユダヤ人たちの信仰の正しくないことを示し、そしてそれが正しいものへと回復される事を願ったのであった。そのためにこそ、自分たちの苦悩は用いられるべきだ、と考えたのである。ここに、イエスの禁止命令の本意がある。

その意味で、この人物がイエスによる禁止命令にも関わらず「癒し」の出来事を人々に告げ知らせた事が、本当に良くないこととして描かれているのかについては疑問を付しておこう。彼が自分の栄光のためにイエスを語ったのか、自分が癒された喜びだけを語ったのか、ここには説明がないからである。

マルコ福音書成立当時の読者たちには、自分たちの正しさが証明されないことに苛立ち、自分たちの信仰が主流になるという願いや、自分たちの共同体が社会的に認知されるという希望が生まれていた。しかし記者は、キリスト教共同体がメジャーになることをイエスが願ったのではない、と伝えようとしているのである。十字架にかかることで世の救いをなしとげたイエスに続く者は、その正しさを誇るのではなく、その正しさが神に用いられるように願うべきだ、いつかこの正しさが用いられるという希望を保つべきだ、と示しているのである。

数が増えれば、勢力が増せば、という誘惑は、今日の我々にも絶えず襲いかかって来る。究極的に正しい方は神おひとりである、との謙遜を保ちつつ、我らの苦悩の癒される日が来ることの確信を保ちつづけたい。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)

アメリカにおける公民権運動の展開についてまとめた『勝利をみつめて』というドキュメントのビデオを見ました。80年代に製作された6時間に及ぶテレビシリーズのダイジェスト版ですが、人権の「回復」を要求する「黒人」側と、「社会秩序の維持」を理由にそれを拒絶する「白人」側の両方の、80年代におけるインタビューが収められていたのが印象的でした。「人種差別」というものが、50〜60年代に盛り上がった運動によって撤廃されたイメージを、何となくアメリカに対しては抱いておりました。それが州単位で見るならば、80年代においてもまだメジャーな価値観として「人種差別」があり得る、ということに驚かされたのでした。『ロング・ウォーク・ホーム』や『マルコムX』などの映画が、今でも作られ続けていることの意義について改めて考えさせられ、差別に対する抵抗運動への認識がまだまだ牧歌的である自分を反省させられたのでした。

このビデオを見ていてもうひとつ感じたのは、我々が普段の礼拝でも用いている讃美歌のことについてでした。武装した警官隊や軍隊、そして石やレンガを投げつけようと集まって来る群集が待ち受ける所へ歩いて行進していく「黒人」たちが歌った讃美歌、そしてリンチにあったり暗殺されたりした同志の犠牲を悼んで歌われた讃美歌が、浪岡伝道所でも用いている「讃美歌21」にも幾つか収められています。そしてそれ以上に、「黒人」を抑圧した「白人」のキリスト教における讃美歌がたくさんあるのです。「人種差別」と抵抗の歴史を無化した形で並べられているそれらを見た時に、教会が安易に「差別と闘う」などと語ることができない状況の根深さを考えたのでありました。

これは、「讃美歌21」の限界を物語るひとつの側面ですが、だからと言って以前の讃美歌に戻すべきでもありません。皇室用語をちりばめている点では、旧讃美歌は「讃美歌21」以上に、差別と差別に対する抵抗の歴史に無自覚であり、日本における差別の問題に対しても無関心でありすぎることが明白だからです。

「新しい歌を主に向かって歌え」と聖書には書かれています。単純に「神様に新曲を献げよう」という意味に読むことはできません。これまでの歴史を踏まえながら、それを越える新しい歴史をつくれ!というメッセージが込められているのだと思います。今回の「讃美歌21」は、1954年版の旧讃美歌に代わるものとして「40年も定着していたものを、今さら改訂できない」という根強い抵抗をおして刊行されましたが、決して決定打でもありません。「歴史を背負いまたつくっていく我々による、歴史に働かれる神への讃美」である限り、讃美は常に変化し成長するものであるべきだ、と考えます。

アメリカ全土で盛り上がった公民権運動において、その精神的リーダーであるとされたマルチン=ルーサー=キング牧師が、ミシシッピー州における運動で声明を発表したのは、26才の時であったそうです。「若い」ということが「未熟である」ということと決して同義ではないということ、若い者もそうでない者も両者の狭間にいる者も、「若い」という事を理由に臆したり軽んじたりしていてはならないのだ、と感じています。

(年齢を意識することが若さから遠ざかる証拠かもしれないと考えるTAKE)