そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、ご覧になった。(9−10)
我々は前回、マルコ福音書が、イエスの「伝記」ではなく、イエスの示した神の恵みを描き出し共有を呼びかける「物語」であることを確認した。歴史上のある一点に実在したナザレのイエスが、単に彼の生きていた時代においてのみ価値ある存在とされるのでなく、イエス以前の人々から今日の我々に至るまで、全人類にとってかけがえのない存在としてのイエスを伝えるため、マルコ福音書は書かれたのであった。その構想のユニークさのみならず、その構想を生み出すに至るマルコ福音書記者の信仰理解から、我々が学び得ることは限りない。
また我々は、マルコ福音書の中心が「十字架へ向かうイエスの物語」であることを、同時に確認した。イエスが、突発的に起こったアクシデントを受容して十字架に向かったのではなく、最初から十字架へ続く道を真直ぐに駆けて行ったものであったことを見たのであった。マルコ福音書記者は、まさしく十字架において果てるイエスの姿に、そのキリストであることを描き出そうと試みたのである。
いわゆる「偉人伝」の類いは、その人物を特徴づける偉業を強調して書かれるのが常であるが、こともあろうにマルコ福音書では、イエスによる偉大な言葉や働きによってではなく、異民族による極刑という悲惨な姿によって、その「キリスト性」を描き出そうとしたのである。この事は、我々が受ける印象以上の重い意味を持っている。
マルコ福音書が書かれたのは、ユダヤ独立を旗印に民族の一斉蜂起が勃発し、しかしローマの圧倒的軍事力によって敗退して、かえって国家体制の解体を招いたイスラエルの「ユダヤ戦争」後の時代である。ユダヤ教徒の間に、ユダヤ独立を果たし宿敵ローマを打ち破る「政治・軍事的キリスト」の待望と期待がますます盛り上がる中、この「物語」は構想されたのであった。さらに、「ユダヤ戦争」の悲惨さの記憶からユダヤ人排斥の気運が盛り上がるパレスチナ周辺住民のただ中で、そのユダヤ人たちからも「裏切り者」と看做され、つまり人々から二重に憎悪された初期キリスト教徒たちに向けて福音を語るために、マルコ福音書は執筆されたのである。
つまり、そうした時代状況の下に成立したマルコ福音書は、単に「イエスの十字架」の意味を解説するために構築された物語ではないのである。そうではなく、ローマに押さえつけられユダヤからも敵視されるという、まさしく今十字架にかけられているに等しい悲惨の中を歩み、「神はなぜ我らを見捨てたのか」と問わざるを得ないキリスト教徒たちに、この苦悩が意味するところを解き明かそうとする試みが、マルコ福音書なのである。
このように見る時、マルコ福音書は、単なる「十字架へ向かうイエスの物語」ではなくなる。「十字架から読むべきイエスの物語」であり、「十字架から我らの全てを問いなおす物語」なのである。
その事を指し示す言葉が、既にこの1章において語られている。前回に続いて同じ1章1-15を再び注目するのはその確認のためである。即ち、イエスがヨルダン川において洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた状況の描写が、それである。
イエスが洗礼を受けてヨルダン川から上がるとすぐに、「天が裂けて"霊"が鳩のように」降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と語る神の声が聞こえた、と記されている箇所である。
天が「裂けた」と記されているのである。「開かれた」のでなく「裂けた」。
神の世界と人の世界の隔てが「裂けた」のである。イエスの死に際して神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに「裂けた」ことが、同じマルコ福音書で、のちに報告される。その垂れ幕とは、神殿の「至聖所(神が宿る所とされ、大祭司以外には立ち入りが禁じられていた場所)」の境界に位置するものであった。人々の目には垂れ幕によって覆われていた神殿の内側に位置するはずの神が、自らその隔てを引き裂いたのであった。そして、ローマの軍団の隊長が「本当にこの人は神の子だった」と告白するに至るのである。
イエスが神の子キリストであることは、その数々の奇跡行為によって明らかとなったのではなく、(旧約)聖書に示された預言によって明らかとなったのでもなかった。もちろん、イエスの卓越した話術や教説によって明らかとなったのでもなかった。それらは確かに、イエスがキリストであることを指し示す出来事であったが、イエスがキリストであることを決定的に明らかとするものではなかったのである。
そうではなく、十字架におけるイエスの絶命の瞬間こそが、聖書に示される神とは無縁の者と考えられた異邦人の、しかもこの世の力(軍事力)の一端を担う軍人に対してさえ、イエスが神の子であることを決定的に証しする「宣告」だったのである。
イエスの受洗は、そのような神の力を証しするイエスの絶命の瞬間へと続く一本道への出発であった。イエスが十字架へとひた走るそのスタートを切った時、神は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と宣言したのであった。
人々に嘲られ、罵られ、陥れられ裏切られて、十字架に「わが神、なぜわたしを見捨てたのか!」と絶叫したその姿こそが、イエスが紛れもない神の子キリストであることを証ししたのであった。
ここに「イエスによる救いは誰のものか」が明らかとされている。それは「見せしめ」として利用されつくした揚げ句に抹殺され、しかも忘れ去られている人々のものである。人から嘲られ呪われている人々のものである。陥れられ裏切られ「わが神、なぜわたしを見捨てたのか!」と絶叫している人々のものである。
それこそが、神が救おうと見つめておられる人々である。この世の誰からも省みられない孤独のうちに座り込んでいる人々! その呻きが無視されるばかりか、かえって誰かの欲望のために利用されてしまう人々! そこから思い起こす時、確かにイエスがその歩みにおいて癒しと赦しとを宣べ伝えるために近づいて行ったのは、まさしくそのような人々であった。イエスが対決したのは、そのような人々をさらに痛ませる人々であった。
無論、例えばローマ軍の百人隊長のごとき人物にも、キリストの救いは開かれている。しかしそれは、「そのように捨てられ踏みにじられている人々がいるこの世界に、わたしは生きている!」という発見なしには与えられない救いである。
「わたしは、そのような人々の救いになるばかりか、かえってその苦しみを増し加えている!」という理解なしには遠ざけられる救いである。だからこそ、洗礼者ヨハネは「悔い改めのバプテスマ」を訴えたのである。だからこそ、十字架への歩みに踏み出したイエスは、「悔い改めて福音を信じなさい!」と宣べ伝えたのである。
我らの救いは、十字架に示された我らの罪を見ない限り、我らには与えられない。イエスと共に十字架に絶叫する人々との出会いなしには与えられない。何より、我らが味わっている苦しみの全てが、十字架のイエスにおいて全て味わいつくされていることを見ない限り、我らからは遠ざけられているのである。
神は、まさしく我ら全ての痛みを、十字架のキリストにおいて背負って下さっている! 苦しみの中に捨てられている者も、また苦しみの中に「捨てている」者も、十字架のキリストのまなざしに捉えられているのである。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ!」。それは十字架へと続く道のことである。天が「裂け」、キリストを証ししてやがて教会を打ちたてる「霊」が降った。それは十字架のイエスへと降った「霊」である。イエスが共に立って下さる「我らの姿」を我ら自身が目撃するために、我らは招かれているのである。
そして、もし我らがそのような苦悩を味わいつつ歩んでいるのなら、その時こそ確かに、十字架と復活のイエスは我々と共にあるのである! 我らが差別や謀略のただ中に置かれているとしたら、「神よ、なぜ我らをお見捨てになったのか!」と絶叫せざるを得ない悲惨の中を生きているのだとしたら、まさしくそこにこそ神の応えが与えられている。神は苦悩する我らに向かって「あなたはわたしの愛する子! わたしの心に適う者!」と呼びかけているのである。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)
フランスから「返還」された高レベル核廃棄物を六ヶ所村の核燃サイクル施設に搬入するためにやってきた輸送船の接岸を、青森県知事は拒否しました。
いよいよ青森県も沖縄県についで政府に反旗をひるがえす「抵抗の自治体」へとステップアップを始めるのかと思いきや、文字どおりの「三日天下(三日坊主?)」におわりました。知事本人は橋本龍太郎総理との会談が実現したことで「青森県民の民意が届けられた」とコメントしておりますが、核燃反対派のある人物が述べた「今回の接岸拒否は、選挙を控えた知事の政治的パフォーマンスに過ぎないのではないか」という危惧が的中した形となりました。
青森県においては産業廃棄物の処理工場をめぐるやりとりも顕在化しております。
なぜかくも青森県はゴミ捨て場とされるのか。日本古代史に取り組むある歴史学者は「盛岡−男鹿ライン以北の一帯は、歴史的に『外ヶ浜』として差別の対象となってきた」と指摘しておりますが、青森県をはじめとする北東北地方の人々は、その不公平を肌で感じつつも「盛岡以北新幹線の開通」という餌をちらつかされつつ何度も煮え湯を飲まされてきました。いまだに電力会社を筆頭に繰り返される「原子力は必要悪」との宣伝に乗って、「青森県は国益のために核燃サイクル事業を受け入れるべきだ」と強弁する輩が絶えないのですが、原子力が必要だと主張する人たちこそが核廃棄物の処理をも引き受けるべきではないか、というスジ論はまったく顧みられません。「安全なんだから」と言い張るのならば、自分たちこそその技術に信頼すればよいではありませんか。しかし「万一事故が起こった場合、人的被害が最も少ないから」というのが、青森県に核燃サイクル事業を展開する表向きの根拠とされる事実があるかぎり、そこには意識されぬまま差別意識が隠されていることを見ないわけにはいかないのです。
核燃サイクル事業反対者の寺下力三郎氏は、朝鮮半島における「チッソ」(あの水俣病の「チッソ」です)の工場での仕事を通じて労働者に対する非人間的な搾取の罪悪を痛感した体験から、六ヶ所村における核燃サイクル事業を看過することに忍びなく立ち上がった、という話を聞きました。その朝鮮半島の「チッソ」とは、実は統一協会教祖の文鮮明が強制労働に服した場所でもあります。「彼は日本に対する怨念から日本人信者に奴隷労働を強制しているのだ」とは、わが恩師 浅見定雄先生(至らない弟子で申し訳ありません。名前は「いたる」なんですが…)の指摘でありますが、現在に至るまで文鮮明が引き起こしている悲惨な事件の数々を顧みる時、カルトサバイバーとしてのわたしも、核燃事業の犯罪性を見過ごすことはできないと思うのです。同時に、現在の日本社会の形成に通底する諸問題が、見事にこの核廃棄物の問題として結実している現実に、わたしたちはもっと注目するべきであろうと考えます。
今日の日本において「平均的市民」として生活していることそのものが、既に犯罪性に立脚しているという現実があるのです。「悔い改め」は、一部突出した宗教者特有の課題ではあり得ません。
(秋田県に生まれた過去を持つTAKE)