彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。(40)
ヨハネ福音書が書かれた時代、「イエスは本当は十字架で死んだのではなかった」と語る教派が現われ始めていた。その教派は、「十字架でイエスの身代わりに死んだのは、イエスの代わりに十字架を背負って歩いたキレネ人シモンである」とか、「十字架の死はイエスの肉体の滅びであって、イエスの魂は苦しみも傷つきもしなかったのだ」と説いた。ヨハネ福音書は、そうした考え方を退けて「イエスの十字架の死こそが救いの完成であり、神の勝利だった」と訴えようとしている。ヨハネ福音書には、イエスの十字架はイエス自らの自発的な決断によって起こった出来事であり、それは旧約に預言されていた神の計画の成就であった、と繰り返し語られている。そして今日の箇所でもまた、イエスの死が旧約の各所に書かれている事の成就であり、イエスの脇腹から清めの水と贖いの血とが流れたという記事をもって救いの達成を描き出そうとしている。
ヨハネ福音書に限らず、キリスト教信仰の根幹にあるのが、普通は敗北のしるしと考えられている「見せしめの処刑」が実は勝利であった、という逆説である。それを否定したり逆に美化(「イエスのように自己犠牲の死に向かう決意が大切だ」と考えるなど)したりしてこの逆説を否定する考え方は、キリスト教信仰ではないと見なされる。
実際、統一協会などのキリスト教系カルトでは「イエスは救いに失敗して十字架にかけられた」と説く事で、新しいメシア(そのカルト教団の教祖)が必要だ、と訴えている。それは教祖やその周辺の人々の欲望実現を正当化するための言葉にすぎないが、同時に「自分の存在が消えてしまう事への不安」から逃れようと試みる(「死んでも命がありますように」とか)人々の言葉でもあるように思う。
イエスの十字架(の死)をどう受け止めるかが、キリスト教信仰を受け入れるか否かの別れ道である。「イエスは確かに素晴らしい。奇跡などの物語は誇張された表現かもしれないが、そこに示されたイエスの思想には見るべきものがある」と好意的でも、「しかし十字架の死は行き過ぎだ。それを救いとは認められない。まして復活などありえない。それは(義経伝説のような)イエスの弟子たちの自己正当化を目的とする作り話だ」と考える人も多い。
先日、安彦良和というマンガ家が描いた『イエス』では、3日たっても生き返らないイエスに業を煮やした弟子が墓からイエスの遺体を運び出し、それが復活伝説に結び付いた、という解釈がなされていた。クリスチャンホームに育った安彦氏は、キリスト教に対する反発を持ちながら、やはりそこに惹かれざるを得ない彼自身の思いの妥協点としてあのような結末を描いたのではないか、と想像している。好意的ではあるが信仰には至らないという典型的な例であった。
さて、イエスの死をどう受け止めるか。それについての2種類の異なった対応を報告するのが今日の箇所である。イエスの遺体を境にして、全く異なる動機からイエス埋葬に臨む両極の人々の姿が描かれているのである。
その一方は、イエスを十字架につけた人々である。彼らはイエスの遺体を十字架から降ろすようにピラトに願い出た。「きよい」状態で安息日を迎えるため、「汚れた」遺体を残さないように、という考えから出た申請であった。その時点ではイエスが生きているのか死んでいるのか分からなかったので、死期を早めるために足を折る(弱った体は骨折のショックに耐えられない)よう願い出たのである。彼らの関心は、その日常性の回復にのみ向けられていた。イエスという人物は、ほんのひととき世間をかき乱しただけの事で、死なせて墓に葬ってしまえば、あとは自分たちとは何の関係もなくなる。
イエスの足を折るように願い出た人々は、イエスという存在を記憶からも抹消するために、遺体の取りおろしを願うのである。彼らにとって日常性の回復とは、「木にかけて殺した罪人の死体を朝まで残してはならない」という律法(申命記21:22-23)に従う事であり、また死体に触れて自分の身が汚れないようにその取りおろしをローマ人(外国人)に任せる事であった。
もう一方は、生前のイエスによって導かれ弟子となった人々であった。実際の埋葬を直接おこなうのはこの人々であるが、ここに名前が挙げられているアリマタヤのヨセフとニコデモの2人は、イエスが生きていた頃は自分たちが隠れていた人々であった。アリマタヤのヨセフは「イエスの弟子であったが、ユダヤ人たちを恐れてそのことを隠していた」人物であると紹介されている。ニコデモについては、ヨハネ福音書の最初の方で登場していた人物であり、人目を憚って夜の闇に紛れてイエスと面談したという記事が3章に書かれている。このニコデモはユダヤ最高議会のメンバーのひとりであるが、イエスの身柄を拘束しようとする議会の雰囲気の中で、ただひとりイエスを庇う発言をしたのであった。
彼らは安息日を控えていながら自分の身が汚れるのもいとわずに遺体を取りおろし、ユダヤの習慣に従って丁寧に葬ったのだが、それは「自分は反逆者として処刑されたイエスの仲間である」と公表する行為でもあり、『身が汚れる』どころか生命を危険に晒すようなリスクを負うことであった。
イエスを十字架に追いやった人々が、イエスを忘れるために埋葬を急いだのに対し、ヨセフとニコデモはむしろイエスと共にあったことを忘れないため、そして今後の自分の生き方を「イエスと共に生きる」ものへと変更する決断をもって埋葬に臨んでいるのである。彼らはイエスを埋葬する事を通じて、それまで隠していた自分の姿を掘り起こしたのであった。この時の彼らはまだ、イエスの十字架が神の意志に基づく救いの計画の実現であることを知らなかった。従ってこの決断は喜びを伴っているはずもなく、むしろ挫折感や無力感の果ての、一種自暴自棄的な勇気の結果ではある。彼らは自分の決断を、いかにも間抜けで遅すぎるものと感じていたに違いない。ヨセフはともかく、イエスの謀殺を決定した議会のメンバーであるニコデモには、とりわけその思いが強かったのではないか。今更、味方であると公言したところで、イエスは死んでしまった。イエスの死を阻止できる・するべき立場にいたのに、自分は何もしなかった・できなかった。ニコデモの心に生じた決意は、恐らく彼よりも数十歳若かったイエスの命に対する償いの気持ちに基づいている。「イエスを殺したのはわたしだ!」という強い自覚がある。
もしイエスの復活が起こらなかったら、これから後のニコデモの人生はたいへんに辛いものとなったに違いない。しかし「イエスの十字架が本当の勝利だった」と語る時の我々にも、このニコデモのような「イエスを殺したわたし」という痛みを伴った自覚が必要なのではないか。謀略や虐殺が起こっている・しかもそれが心の外に埋葬されて忘れられていくという時代を生きる我々は、「それが勝利だったのだ」「それが救いなのだ」と安易に語ることを許されていないのではないか。
イエスの十字架を引き写したかの様な悲劇が、現在もなお繰り返されている。我々は「イエスの十字架は勝利のための必然だった」と信じなければならない。その勝利への確信がない限り、「『従軍慰安婦』の悲劇を繰り返してはならない」「アウシュビッツの出来事がなかったかのように振る舞うことはできない」という決意もまた、生まれないのではないか。十字架は、徹底的に悲惨な悲劇的な出来事である。その悲惨を「わたしが引き起こした」という自覚がある時に初めて「それが救いだった!」と語ることができるようになる。同時に、このわたしのためにイエスが死んでくださった、ということも理解される。そして十字架の救いが絶対的な1回限りのできごとだった、という信仰を持つ時に、その他の悲惨が「あってはならない・繰り返されてはならない出来事だ」と理解されるのである。
ニコデモと共に、自分の心の中にイエスを埋葬し、復活が起こる時を待ち望みたい。
イエスの誕生を覚える時期だからこそ、イエスの埋葬に自ら参与したいと願うのである。
願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。
(追記)ご受信の皆様。同じ内容の『通信説教』を二重にお届けしてしまったようです。大変失礼いたしました。こちらのチエックミスだったようです。特にFAXで受信されている皆様、感熱紙の無駄遣いごめんなさい。
さて、神学生の頃から使って来たデスクを「あおもり いのちの電話」に寄贈いたしました。パソコンの導入で仕事場の整理をしていて、どうしても不要になってしまったのです。そのデスクは、当時同じ学校にいた神学生(現在は四国で牧師をしています)が小学生時代から使っていたものを譲ってもらったものでした。
今回の引き渡しはとても慌ただしく破損箇所を修繕する時間もなかったのですが、いざ手放してみると後から後からそのデスクで行なった作業のひとつひとつを思い出します。卒業論文提出の当日になってワープロが故障した事だとか、3ヵ月もかけて長編小説を書き上げた事とか、年賀状のイラストを作成したこととか。
以前ワープロを新調した時に木材を買って来て専用デスクをこしらえて以来、物置として使われる事が多くなってしまったそのデスクですが、「あれでいろんなことをやったよなあ」と思うと、何となく懐かしいような物悲しいような、妙に落ち着かない気分になります。
「ワープロやパソコンが事務仕事の主要ツールになったこの時代、欧米のタイプライター文化に立ち返ったデスクの普及が求められる」と書かれた本を読んだ事があります。ペンを使うデスクとタイプを打つデスクとは座った時の姿勢や腕の使い方が異なるので、疲れずに長時間作業することを考えるなら目的別に調整されたデスクを使う事が望ましい、というわけです。また、屋内で靴を履く習慣のない日本では踵のぶんだけデスクを低くするべき事、それに合わせて椅子の高さも低くするべき事、さらに照明のあり方や通風・床材にいたるまで、細かな提言が溢れた本でありました(『ワープロ書斎術』西尾忠久/講談社現代新書)。
「書斎」というにはおこがましい我が仕事部屋も、その提言を受けて細かな調整を続けております。手製のデスクもその提言を受けての設計ではありました。が、元来インテリアだの家具だのに一切の興味を持っていなかったわたしとしては、在宅勤務だからこそ気を使うべき事に余りに無頓着すぎたのだなあと反省させられております(えーと、白状するなら元々机に座ってする勉強は苦手でありました)。
建築家たちは口を揃えて「現代日本の住宅は文化ではなく消費財である」という批判を語っております。インテリアデザイナーたちも説得力のある言葉で同様の指摘をしています。それは、たとえば洋間に暮らすとかアンティークで統一するとかの(見た目の)デザインの問題ではなく、生活上の「思想」に関わる問題であるようです。オイルショックの頃に建てられた浪岡伝道所の会堂にも、材料が安いという原因に帰結できない「貧しさ」が色濃くあり、そしてそこに住まうわたし自身のライフスタイルにも経済的な意味ばかりでない「貧困」が付きまとっているように感じます。
はやく「人間」の生活に辿り着かなくては。
(間取りよりも暖房効率が優先課題のTAKE)