Date: Sun, 25 May 97 19:22:57 +0900 From: 竹迫 之 <CYE06301@niftyserve.or.jp> Reply-To: ymca-s@cup.com Subject: [ymca:0607] tuushin-sekkyou To: ymca-s@cup.com (Cup.Com ymca-s ML) Errors-To: ymca-s-request@cup.com Message-Id: <199705251922.FML25185@hopemoon.lanminds.com> X-ML-Name: ymca-s X-Mail-Count: 0607 Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Posted: Sun, 25 May 1997 19:18:00 +0900 Precedence: list Lines: 82 竹迫牧師の通信説教 『主よ、信じています』 ヨハネによる福音書 第11章17−27による説教 1997年5月4日 浪岡伝道所礼拝にて (ここから) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死 んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。こ のことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはず の神の子、メシアであるとわたしは信じております。」(25〜27) ヨハネ福音書11章の「ラザロのよみがえり」の物語を読んでいる。イエスが、 病気で死んだラザロを墓の中からよみがえらせた。その奇跡行為に、イエス自身の 十字架上の死と復活が予告される。この物語は「死の現実への勝利」の予告である。 ラザロは、あのマルタとマリアの兄弟であり、イエスとは仲のよい友人だった。 ラザロの重い病に際し、マルタかマリアかその両方かがイエスに助けを求めて来た。 イエスの「癒し」の力によって、ラザロの命を助けてもらうことを期待したのであ る。しかしイエスは、その事情は明らかではないが、なおも2日間そこを動かなか った。その間にラザロは死んでしまった。ラザロの死を悟ったイエスは、そこで初 めてラザロの住む所、エルサレム近郊・3キロと離れていないベタニアという村へ と出発した。イエスがベタニアに辿り着いたのは、ラザロが埋葬された4日後であ った、と報告されている。 その時エルサレムにはイエス殺害を目論む人々がおり、またその意図に賛成する 人々も多くあった(事実、ラザロの家族の下に弔問のため訪れていた人々の中に、 イエスがやってきたことを密告する者があった、と後で記されている)。イエスの ベタニア訪問は、そのまま命を落とす危険に身を晒すことでもあった。イエスは、 なぜ命の危険を冒すのか。それも、なぜラザロの死後なのか。 イエスが命の危険を顧みずラザロのもとを訪れたのは、イエスのラザロに対する 友愛の証しであると言えるだろう。自分の命を他者にささげる行為を、我々は「愛」 と呼んでいる。イエスの内側にある友を想う気持ちの強さが、その行動には明確に 現れている。ベタニア訪問は、我々のために命を捨てたあの十字架の出来事に結実 するイエスの愛を証しするのである。 それだけに、ラザロの死後4日も経てのベタニア訪問には、謎が残る。イエスが 友のために命を捨てる友愛の持ち主であるのなら、なぜ彼はラザロが生きているう ちにベタニアを訪れなかったのだろうか。我らはそこに、逆説的なイエスの愛の深 さを知る。イエスは、その命を全人類のためにささげ得る愛の持ち主であるがゆえ に、いかに仲の良い友人であろうとも、ラザロひとりを特別扱いはしなかったので ある。イエスは、特別の友情を持たなければその人を救わない、という方ではない。 十字架においてすべての人々に命をささげるイエスの友愛は、まさしくラザロ以外 の者にも向けられている。それが、ラザロの危機に際しても2日の間イエスが動か なかった事、またラザロの死後4日の後にイエスがベタニアを訪れた事の理由なの である。 さて、ラザロの姉妹マルタは、訪問したイエスを迎えて言った、「主よ、もしこ こにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。これはイ エスを責める言葉だろうか。マルタはすぐに「しかし、あなたが神にお願いになる ことは何でも神はかなえてくださると、私は今でも承知しています」と続けている。 むしろ、不可能と思われていたイエスの訪問が、万難を排して実現した事への喜び が語られているようにさえ思われる。それでもなお、彼女はラザロの死に対する無 念さを抑える事は出来なかったのである。「ここに主が共にあれば…」とは、イエ スを責めるのでなく愛する者を失った者の共通した嘆きではないか。表現は違った ものになるかもしれないが、その嘆きの本質は、イエスにもまた共有されていたの ではないだろうか。「ベタニア」とは、「悩む者の家」の意である。「ここに主が 共にあれば…」との悩み・嘆きは、我々もまた抱えているものでもある。殊に、愛 する者の死を迎えた時、我らもまた「ここに主が共にあれば…」と、恨み言ではな く嘆きの言葉として語らざるを得ない。 しかしイエスは、その悩める現実を訪れて下さった。それはマルタの目には、あ るいは我々の目には、遅すぎる訪問のように見えたかもしれない。しかし我らの嘆 きを聴かれるイエスは、マルタやマリアと同じく「死」の現実に悩む我らの下へも、 必ず訪れて下さるのである。それも、嘆きを喜びに変えて下さるために! その意味で、イエスの訪問は、他の客のように決して弔問を目的とするのではな かった。他の人々は遺されたマルタとマリアを慰めるために訪れていたが、イエス は「ラザロの所」に、「ラザロを起こしに」きたのである。復活であり命であるキ リストを信じる者が、その歩みを死で妨げられる事はないと知らせるために、イエ スは訪問したのである。 死は、我らの中の誰一人として例外を許さない現実である。死を見つめる時、我 らの生は「その時」に至る猶予期間に過ぎない事に誰もが気付く。「どうせ終わる ものだから」と享楽的に生きる誘惑に晒されると共に、「どうせ終わるものならば」 と決意を持って生きる選択も可能なのである。享楽は消費的であると言えるし、決 意は生産的であると言い直す事が可能である。我らは、この2つの道の狭間を行き つ戻りつしながらさ迷っている。 「イエスは復活であり、命である」と信じることが、既に死にさだめられた牢獄 からの脱出を引き起こす奇跡である。しかし、我らが信じようと信じまいと、イエ スはこの世に来られた。復活の救い主として現れた。それを、生きているうちに信 じるチャンスが与えられていることへの感謝を覚えよう。あらゆる希望の源となる 復活のキリストを、我らの救い主として信じ、また語る事ができる喜びを感謝しよ う。 我らもまた、マルタと共に告白したい。「主よ、あなたを信じます!」。そして 我らの嘆きが喜びに変えられる希望を手放すことなく、この死が支配する世界に在 って決意を持って歩みたい。その信仰が、我らを絶望からすくいあげるのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (ここまで)