Date: Wed, 14 May 97 11:01:14 +0900 Subject: [ymca:0574] ダニエル・ピーター講演内容(1) To: ymca-s@cup.com (Cup.Com ymca-s ML) Message-Id: <199705141101.FML11357@hopemoon.lanminds.com> X-ML-Name: ymca-s X-Mail-Count: 0574 Posted: Wed, 14 May 1997 10:59:00 +0900 Date: Wed, 14 May 97 11:01:24 +0900 Subject: [ymca:0575] ダニエル・ピーター講演原稿(2) To: ymca-s@cup.com (Cup.Com ymca-s ML) Message-Id: <199705141101.FML11373@hopemoon.lanminds.com> X-ML-Name: ymca-s X-Mail-Count: 0575 Posted: Wed, 14 May 1997 10:59:00 +0900
学生青年運動エキュメニカル協議会
基調講演
1997.04.27 於:東山荘
今日、大抵の日本の方たちが、バブル経済について意見をかわしているという時に、 素晴らしい富士山の麓にある東山荘で、大学における使命とビジョンについて一緒に話 し合うために、皆様がここにおいでになっておりますことを嬉しく思います。学生青年 運動エキュメニカル協議会のみなさまが、「世界とアジアにおける学生キリスト教運動 の歴史的評価 (回顧) と今日の状況」の意義に注目されていることに、心から感謝して おります。この課題のスコープ拡がりは大きなもので、1895年から今日までにわた り、一世紀となるわけで、南半球、北半球の両者を一緒にするわけですから、責任が重 大です。D.ツツ主教は、次のように言っておられます。「解決しなければならない大 きな危機に遭遇したら、象を食べるということを考えてみてください。」まず、小さく 切って、それから食べるわけです。そういうわけで、私も問題を出来るだけ小さくして みました。ですから、私のこのとるに足らない試みを、みなさまが味わってくださり、 まず、「いただきます」と言って下さるよう期待しております。私どもが西暦2000 年を目前にするという、この大切な時に、WSCF (世界学生キリスト教連盟) やSCM (学生キリスト教運動) の重要な出来事のいくつかにふれてみたいと思います。
世界学生キリスト教連盟 (WSCF) は、ひと握りの献身的な大学生の真摯な探求と 聖なるビジョンから生まれ出た、近代エキュメニカル運動の先駆的なもののひとつであ ります。WSCFは1895年8月17日、第1回総会が開催されたスエーデン・バス テナの古い城に、各国SCMの連盟として成り立ちました。J.R.モット (USA)、カール・フライ (スエーデン) をリーダーとしたヨーロッパ、北米の学生やシニアの 方々がヨーロッパのこの歴史的イベントに出席しました。この連盟の先駆者たちのビジ ョン・使命とは、次の目的をもって、この世代に世界の伝道 (エバンジャライゼイショ ン) をしようというものです。
WSCFとYMCAの創設者たちは、ヨハネ17:21 (「みんなの者が一つとなる ため」) から引用された "Ut omnes unum sint" を標語として、全 世界 の学生をひとつにしようという壮大なビジョンをもっていました。イエスは弟子 たちをこの世に派遣する前に、「この世が信ずるようになる」ためにと、祈っておられ ます。すべての大学のキリスト者のさまざまの力の一致が、キリストのために、世界の 学生をかちとり、キリストのうちに彼らをつくり上げ、キリストのために彼らを世界に 送り出していくという業、これをモットは目標としたわけです。従って、モットは、全 世界のあらゆるところにいるキリスト者学生のグループ (union) ができるように と努めました。 (2)
John R. モットのエキュメニカルな学生・青年運動についてのビジョンは、自律 的 (autonomous) 主体的 (self-determining) なエキュメニカル学生キリスト教運動の 国際的連盟を作り上げていくというかたちとなりました。その後、引き続き出来てきた SCMを創設していく働きの多くは、YMCAやYWCAの支援でできたわけです。そ の結果として、WSCFはキリスト教青年会 (YMCA) やキリスト教女子青年会 (YWCA) と緊密な歴史的関係があることがあることがよく分かることと思います。
このエキュメニカルな学生伝道 (student ministry) は、アジア、中近東、アフリカ に連盟ができていくことを通して、一層、学生運動を強化しました。モットは、SCM をおこすために、1910年代、アジア各地を訪ねました。1911年、WSCFはオ ーソドックス (正教会) の運動にはじめてかかわる先鞭をつけ、これが世界をカバーす る学生の交わり (fellowship) への道を開いたのです。「正教会の学生が、コンスタン チノーブルでの会議の結果、連盟 (WSCF) に加入した。」
このように、より広範 なエキュメニカルな関係にオーソドックス (正教会) のかかわりの道をつくったわけで す。1952年に、WSCFはラテン・アメリカにおける働きの進展に向かって大きな 歩みを始め、サンパウロの近くのシティオ・ダス・フィゲイラスで、第1回ラテン・ア メリカ研究協議会 (Study Conference) を開催しました。このように、エキュメニカル学生伝道 (Student Ministry) は世界のあまたの大陸に拡がっていったわけです。現在、WSCFは、この 私たちの生きている惑星の6大陸のすべてに、90の加盟、準加盟の学生キリスト教運 動を擁しています。
多様で多元的な文化と知識、真理の探求は、いつも、アジアにおける新しい運動の誕 生をうながしてきました。1870年代、アジアのそのように豊かな状況が、学生キリ スト教団体 (Student Christian Associations) の出現につながり、世界大の連盟形成 への準備ともなっていきました。この全体のプロセスのなかで、日本の学生は世界学生 キリスト教連盟 (WSCF) の結成に重要な役割をにないました。「1870年頃、マ サチューセッツ州にある農業学校の校長は、日本で同じような学校をつくろうと、日本 に向けて出発しました。彼の赴任にあたり、彼が聖書を教えることは自由という条件を つけていた。第1年目、32名の生徒が改宗し、「イエスを信ずる者」 (Believers in Jesus) という団体をつくりました。そしてアメリカの仲間の学生たちに宛てた一通の 手紙こそが、キリストに仕えることで東と西の学生をひとつにするという世界連盟のビ ジョンを、ウィッシャードにもたせたのです。これは西欧の宣教への情熱とアジアの潜 在的力が、SCMをアジアにとどまらず、世界大の連盟を生みだす展開へと収斂した時 代であることを示しています。
1889年、ウィッシャードは9ヵ月の訪問で日本に到着、彼の伝道活動中、103 名の学生が洗礼を受けました。学生たちの強い要望で、ウィッシャードは conference (「夏期学校」のこと) を組織し、1889年5月29日に官立10校、ミッション系 11校 (96名の女子学生をふくみ、当時としては素晴らしいことです。) から、500 名の学生、生徒を集めました。彼らは、ノースフィールドに集まっていたアメリカの 仲間たちに "Make Jesus King" (イエスを王とせよ) 学生500名、と署名した 電報を打ちました。 (4)
ウィッシャードは中国、スリランカ (セイロン というより)、 インド、ペルシャ、中東を旅行しました。ウィッシャードが2年半後 にアジアを後にする時には、アジアに42の学生団体 (students associations) が誕 生していたのです。こ のように、ウィッシャードは世界連盟の下地をつくり、後年、 ジョン・R・モットがこれらの組織をWSCFにまとめあげたわけです。
この100年、WSCFアジア・太平洋地域は連盟に強力な指導力を提供しました。 T.Z.クー (1922年、北京で開催されたWSCFの世界大会と常任委員会で、は じめてアジアから連盟のスタッフに任命された)、M.M.トーマス、D.T.ナイルズ (1956年、アジアから最初のWSCFの議長に選ばれた)、K.H.ティン監督、塩月賢太郎、斉藤皓彦、フェリシアノ・カリーノ、クワン・タン、カン・ムンキュウ、アーン・ジェウーング、ヨン・ティンジン、クリスティン・リージャー、クラリッサ・バラン・シシップ、マンディ・ティビー、マーシャル・フェルナンド、パウローズ・マル・パウローズなどです。
連盟では早い時期から、社会問題に目を開いていることが、キリスト者の信仰にとっ て重要な関心であるという考えがありました。当初、フランス、スイス、オランダ、ベ ルギーのSCMは連携をもっていました。オランダSCMの指導者アディリアーニは1902年に、英国SCMを含む他のSCMに、ヨーロッパの社会的状況について問題を 提起し、このような不正の状況に対して無関心をよそおうキリスト教会を人々は非難し ているという激しい手紙を書いています。1909年開催の英国SCM大会の主題は、 「社会問題」("the social problem") でした。その大会は、「私たちこそが社会問題 なのだ」という声明を出して終わっています。連盟は社会的責任と社会的使命に一層の 関心を示すようになりました。二度の世界大戦の間、SCMは戦争被害者の救援活動や 戦火による荒廃の地での復興にむけて重要な役割をはたしました。
ドキュメンタリー「学問共同体におけるキリスト者の存在 (Christian Presence)」 がアルゼンチンで開催された常任委員会に提出され、1964年は、教会の使命・一致 ・革新という、より全般的な問題意識から、大学という社会の特定の制度 (institutio n) に 対する教会の宣教 (ministry) として、それがエキュメニカルな課題 (expressi on) となっているかという、基本的な転換をもたらした年となりました。1970年、 解放の神学や、保守的・ファンダメンタルな集団がキャンパスに出現したということが、大学を特権的な場所だといって放棄する学生たちのなかに不満をうみだし、学生自身 が貧しい人たちや被抑圧者たちと一緒に必死に闘っていくことに身を投じていきました 。 (6)
この当時は学生やインテリであることは軽蔑でり、彼らはより充実した人間性 を求めた闘争に、貧しい人たち、被抑圧者の人たちと一緒になっていったわけです。
1970年代は、多くのアジアの国々は困難に遭遇しました。東南アジアのおおかた の国々、インドネシア、タイ、フィリピン、韓国は軍事政権下にあり、市民の人権侵害 、拷問、弾圧がありました。民主政治は大方の他の国々でも、まだ未発達の段階です。 さらに言えば、アジアの教会の将来は、「教会が本当に民衆の闘争の挑戦にいまだ応え ていないので、きびしい」と言われています。これは、SCMがさまざまの活動や解放 教育、社会分析、指導者養成などのプログラムを展開していく重要な時期であったので す。歴史的にも重大な節目に、WSCF総会が1977年、スリランカで開催され、「 解放のための闘争におけるキリスト者の証し」というテーマが採択されました。この採 択により、連盟は世界中の解放闘争への参画を強調しました。
学生を意識化していくことの他に、WSCFは、1979年、「エキュメニカル連帯 基金」 (an Ecumenical Solidarity Fund) の設置により、援助が必要とされる運動に 資源 を提供するということにも、また注目するわけです。後に、1981年には、総会で、 人権問題とSCMのニードに関する状況にさらなる優先順位を与えて、この基金の再確 認をしました。このように、WSCFは常にローカルにおける社会問題に発言していく 努力をしています。しかしながら連盟は、SCMのきわめて本質にかかわる部分として 常に考えてきた礼拝と聖書研究の意義、重要性に関しては、決して妥協しませんでした 。事実、礼拝と聖書研究は、つねに連盟の生命と使命の中心に位置づけてまいりました 。ですから、1919年、WSCFは、世界学生祈祷日を毎年2月第3聖日に行なうこ とを始めたわけです。WSCFのメンバーは、この世界学生祈祷日が、世界のいたると ころにいるキリスト者に、全世界の学生のために祈ることにおいて一つとなる機会を提 供していると信じてやまないわけです。
連盟は、ローカル・レベルで、そのビジョンを推進するため、1960年代後半から 地域化を始めました。それと同じ時期に、アジアの各国にSCMを新しくつくり、また 拡大していくことが優先課題となり、「アジアの運動は、各国にフルタイムの専従スタ ッフが必要であることを明らかにし、新しい状況に取り組むようにプログラムを拡大し た。さらに、各国のSCMはそれぞれ国内の組織を作り上げ、学生の基盤強化のために 指導者養成と聖書研究プログラムがきわめて重要であると考えた。」(8)
アジアにおけ る地域化の始まりは、1968年、エキュメニカル指導者養成、諸教会との協議会 (Consultatio)、 そして女性プログラムなど、地域レベルの諸活動を広範に組み立てていくことにより、 アジア地域の各国の運動を支援していくために「暫定アジア委員会」 (Provisional Asia Committee) を設置した時でした。
WSCFアジア太平洋地域には、指導者養成プログラム実施の長い歴史があります。 Asia Study Fellowship として1960年代に出発したおのが、1970年代には Asian Leadership Development Center (ALDEC) となります。これが1970年代中葉に、 アジア主事養成 (ASFOR) に変わり、1980年代に Human Resource Development (人的資 源開発、HRD) となり、そして、1990年代には Student Empowerment for Transformation (変革のための学生人材強化、SET) となりました。このような一連の名 称の変更には、プログラムの強調点が移っていることのあらわれですが、指導者養成の 基本目的は常に保たれてまいりました。
指導者養成プログラムの狙いは、SCMの女性、男性の学生と専従スタッフのリーダ ーシップを批判的に養成する (critical formation) ことにありました。このプログラ ムの 主眼は、運動と社会の生活全般に積極的に参加していく学生を育成強化し、個人的成長 、運動形成を創造的スキルを身につけることで達成しようとするものでありました。指 導者養成のモデル (形態) を批判的にみることが含まれ、真に解放につながるスタイル (the truly liberate style) を選択することに意を用いることです。これが、参加者のタレ ントと潜在的力を活かせるようにし、また強化するわけです。さらにまた、プログラム は社会、経済、政治の現実を生態系、聖書、神学にもとづく考察にも焦点をあてていま す。
同じ時期に、アジア・キリスト教協議会 (CCA) とWSCF-AP (アジア太平洋 地域) は、この地域における学生伝道 (student ministry) を推進するための盟約を交 わすことになりました。それ以来、CCA-WSCF協働事業として、数多くの共同の 協議会 (joint consultation) が実施され、学生、神学者、大学教授、牧師の方々に広 い出会いの場を提供してきました。しかしこれは、1982年から始まっています。
1985年4月、バンコックで開催された「社会のなかの大学のビジョンと現実に対 する批判的見直し」をテーマとしたCCA-WSCF協議会では、「大学に位置すると いうことは、そこがSCMの働きの主要な場所を構成しているわけで、SCMは、教会 の革新を願いつつ、常に大学における信仰の共同体としてのSCMの会員とその大学の 他の人々との働きに真剣に念頭におかなければならない」という見解を表明しました。 このようにして、これらの協議会 (consultations) は学生、青年、教会の指導者そし て学生・青年 伝道の教職者たちに、この世において神ご自身が宣教しておられる (mission of God) という現実のなかで、大学の役割を議論する場を提供してきたのです。
女性問題についての関心は、連盟はその出発の時から取り上げていました。1900 年に、連盟への女性の加入に関する意向表明が採択されました。しかし、女性がはじめ て加入を認められたのは、1905年、ツァィストの大会 (2年毎に開催) の時で、同 じ年の常任委員会では、ルース・ロウズ姉が連盟の副総主事に任命されました。その後 、1907年、WSCFはアジアでは初めての大会を日本で開き、女性・男性がはじめ て大会という場で同席することになりました。
女性に関するプログラムを用意しようという考えが初めて出たのは、1982年、香 港で開催された学生伝道 (student ministry) に関する第1回CCA-WSCF共同協 議会 (Joint Consultation) で、協議会に参加していた女性たちが、WSCFのプログ ラムにもっと多くの女性の参加を積極的にうながしていくことに歩み寄ったからです。 爾来、アジア地域では、女性参加者自身が、自分たちで問題に気付くような女性プログ ラム、ワークショップ、大会として計画することの重要性が認識されてきました。この ような諸集会の計画が、1984年5月、地域女性問題委員会 (Regional Women's Committee) の発足につながるわけです。
この10年、アジア地域では女性問題を特に大切なこととして取り上げてきています 。この関心は、さまざまのプログラムや集会に参加しているアジア太平洋地域の女性メ ンバーに表明され、共通に感じとられたニードから出てきています。この10年の働き の後、女性問題は、神の宣教 (God's mission) に平等に参与するように召され、平等 の人間と して自分の潜在能力を実現可能にするためという理解のもとに、今や、女性 ・男性のパートナーシップへと発展しています。こういうわけで、地域 (Region) は、 フルタイムの地域女性問題コーディネーターを選任し、地域女性問題委員会と各国SCMの女性問題コーディネーターとの緊密な連携のもとに、アジア地域の女性のためのプ ログラム開発や、これらの女性プログラムが、各種地域プログラムと一体化するように つとめています。このようにして、1993年に女性問題コーディネーター職が、アジ ア太平洋地域のSCMにかかわる女子学生を強化育成するために、時間とエネルギーを 傾注することが始まったわけです。
人類の歴史にかかわる危機的な状況にあるなかで、1995年8月27日〜9月9日、西アフリカ象牙海岸のヤマウソウクロで、WSCFは結成100周年の記念式典と10 0周年記念総会を開催しました。
西暦2000年を目前にして、アジア太平洋地域の大多数の日々は、経済成長が確実に 生活水準の向上につながるという主張の市場経済に移行しています。ブーミング・エコ ノミー (Booming Economy) は「メガトレンド」 (Mega Trend) のひとつであり、これ は、「経済センター」が大西洋から環太平洋に移行し、この地域における市場拡大にと てつもなく新しい可能性を与えているわけです。しかしメガトレンドを分析してみると 、よりよい生活水準を提供するというよりは、この地域の多数の人びとに「否定的メガ 効果 (悪影響) 」 (Negative Mega Inpact) を助長しているのです。
このような全般的プロセスでわかることは、多国籍企業 (Trans-National と Multi National Corporations) が世界の富を蓄積しているのみならず、強大な世界のパワー を も培っており、国家は国民の社会的安寧を保証するという基本的役割を確実に失い つつ、むしろ、一握りのエリートと金持ちが自分たちの既得権を拡張することの単なる お先棒 (mere agent) になりはてているわけです。このような市場経済の力がきわめて系統的 に大多数の民衆と天然資源をコントロールし、国家機構の操作で、国益のためには人間 の知性、身体、労働のコントロールは必要な犠牲であるとさえ言ってはばからないので す。
このようなプロセスがどのような結果をもたらすかと言えば、大多数の民衆が人間にふ さわしくない (sub-human)、非人間的な状況に取り残されていくわけです。この地域の す べての国々が資本主義市場文化と価値を信奉しています。これは、まさに富めるものと 貧しいものの溝を拡げ、すべて再生不可能な資源を使い果たしているわけで、「追いつ き」 (catching up) 競争に汲々としているのです。この地域市場経済を開放することは 、貧し い人たち、女性、先住民、民族、宗教上のマイノリティーがますます苦境に追 いやられ、政治的弾圧、人権侵害を増長させ、宗教的原理主義が増加し、教育をも含め て社会福祉の私有化が起こることにつながります。
このグローバリゼージョンのプロセスで、教育はその崇高なつとめを失い、本来知識、 知恵の探求が、自己の変革と社会の向上改善のための変革につながらなければならない のに、むしろ、商品化された教育の私有という現象が起こっているわけです。この趨勢 のなかで、大学はもはや問題解決の場というより、すべての危機の中心となってしまっ ています。このように、大学では「専門職、キャリア指向コース」が、ますます強調さ れるわけで、そこには社会問題についての関心や、大きな別の選択肢 (Grand Alternati ve) の余地 などないわけです。
しかしながら、学生、青年はこのようなメガトレンドですべてを失ったのではなく、む しろ、大学における希望のしるしとして存在しています。彼らは、真理探究の強調の維 持に一生懸命です。民主化賛成のデモの中には、人権擁護要求が大学の学生からでてき ているものもあります。この他、女性運動、先住民運動、進歩的NGOや教会が希望の 光として残っています。私たちは、私たちのエキュメニカル・ビジョンを、私たち人間 文明の未曽有の危機に対して、きちんと発言していくものに翻訳するための新しい戦略 を模索する必要があります。
アジア地域のキリスト者学生や青年のなかに、現今の危機は、現実の二元論的理解、す なわち、創造者と被造物、聖なるものと人間的なもの、男性と女性、身体と魂など、こ れこそが市場経済の解放に道をつけたのだと確信している者がいます。これらの学生や 青年たちは、また、この市場経済こそが今日の危機の唯一の原因であり、それは消費主 義を助長し、人間を食いものとすることが始まり、天然資源を使いはたし、その結果、 経済危機と環境悪化を招いているからであると考えています。学生や青年が新しいビジ ョンを定式化しようとするところにエキュメニズムの基本線があります。
エキュメニカル・ビジョンは、全体論的な (wholistic) ビジョンです。これは、現実を ばらばらな、二元論的にではなく、経済学、生態学、世界教会論 (ecumenics) が統合 さ れたひとつのビジョンの傘のもとに、そのひとつひとつが互いに関連性を持ち、相 互依存性があるのです。この三つのものは、ギリシャ語の語源からきている "oikos" Ecology ("オイコス" 生態学) であるばかりか、地球上での生活に関係しているのです。そこ で は、人間が他の生きとし生けるものと分かちあい、特に、有機体 (organism) と環境 の間に相互関係があるわけです。エコノミックは宇宙のマネージメントを意味し、すべ ての被造物とその測り知れない富が、創造という出来事のなかで、互いに均衡と調和の うちに祝福されているという持続の行為です。エキュメニックス (世界教会論) は、し たがって、教会の一致、あるいは、すべての人間の一致であります。私たちの学生や青 年は、このビジョンを生き生きとしたものにしようと一生懸命に頑張っているのです。 今日、アジア全般と特に日本のすべての進歩的勢力 (all Progressive Forces) は、WS CFが100年前に その運動を始めた時よりも、はるかに緊急かつ重要な任務を課せられているのです。
霊峰富士の近くで開かれた、この意味深いエキュメニカル協議会は、生命を十全に支 えるキリスト教的価値観を再び取り戻そうとする、希望のいまひとつのしるしです。私 たち学生、青年は、自分のローカルの場所で、地球を相互共存のうちに共に生きること のできる、よりよきところとするように、持続するコミュニティー (Sustaining Commun ities) を 復興させ、革新していく上で、鍵となる役割を演じる必要があります。「日出ずる」国 といわれるこの国が、全世界の他の国々に生きた希望のしるしとなることが出来ます。 それは、この国がハイテクを、第二次世界大戦の後25年もかからずに、世界のいたる ところで、ごく普通の人たちにも手にすることを可能にしてしまったことに象徴されて います。この協議会で、人間文明の現今の危機から、世界を変えていくことが出来るよ うに、心新たな決意をもって、このエキュメニカル・ビジョンを再生させたいと願いま す。