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Date: Mon, 20 Jan 97 09:05:21 -0800
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『迷い出た1匹のために』

マタイ18:10-14
'97.1.21.
東奥義塾高校礼拝説教

先週の木曜日、知人に誘われて埼玉県の丸木美術館を訪れた。丸木美術館とは、 丸木位里・丸木 俊夫妻が描いた絵を展示しているところだった。私は丸木夫妻の 名前に覚えはなかったのだが、車を運転してほしいとの事だったので、運転手気分 で気軽に出掛けたのだった。しかし展示されていた作品の数々は、その場で腹を壊 して下痢するくらいに衝撃的であった。日本にもこんな画家がいるのか、と驚きで あった。

丸木夫妻という名前に覚えはなくても、きっとその作品を見た人は多いと思う。 私も丸木という名前は忘れていたが、俊さんが製作した『ひろしまのピカ』という 絵本を小学生時代に読んでいたのをすぐに思い出した。水墨画を基調とした独特の タッチで、原爆の事・沖縄戦の事などを題材とした絵画を多数かいている。残念な がら位里さんは一昨年亡くなったが、俊さんは現在も活動を続けている。

もの凄い作品であった。代表作である原爆の図には、体中に火傷を負ってひしめ きあう人々の呻き声が聞こえるようだった。腫れ上がった顔から向けられる目が、 その苦しみを味わっていない私を呪っているかのように感じられた。訳も分からな いうちに地獄に突き落とされた人々の驚きと怒りとが満ちていた。原爆の図は何枚 もあったが、それらは大きな屏風に描かれ、人物像はほとんど実物大の大きさに描 かれていた。

今回美術館を訪れて意外に思ったのは、丸木夫妻の作品には原爆や沖縄だけでな く、南京大虐殺やアウシュヴィッツや水俣病などを題材にしたものがある事だった。 そちらは、原爆の図よりさらに巨大な絵で、全体を見渡すのに離れて見なければな らないほどだった。そこにも、虐殺される人々が実物大に描かれていた。資料を調 べると、他に足尾銅山・天安門事件・チェルノブイリ原発事故などの作品もあるこ とが判った。

原爆の図に関しては、丸木夫妻が実際に被爆直後の広島を訪ね身よりの人々を救 出した体験に基づいているのだが、なぜ遥かポーランドのアウシュヴィッツ収容所 や南京大虐殺・水俣病の絵をかいたのか、しかもなぜあんな巨大な絵でなければな らなかったのか、よく解らなかった。しかしそれらの絵に並んで掲げられていた丸 木夫妻の次の言葉を読んで、それが解ったように思った。

「私達はこれらの絵をかく時に、実際の人間をモデルにしてかいた。随分たくさ んの人々をかいたが、一生かかってもかききれないほどたくさんの人々が、広島で 一瞬のうちに殺されたのです」

丸木夫妻がやろうとしていたのは、単に核兵器の恐ろしさを訴えたり戦争に反対 する事ではなく、失われていった・奪われていった人々の命を再現するということ だったのである! 名前も知らない・見た事も会った事もない人々、しかしある時ま では普通に生きていたのに突然その命を奪われた人々・その1人1人の驚き・悲し み・恨みを再現してこの世に残す事! 過去に起こった出来事で死んでしまった「人 々」という塊としてでなく、その時その時に生きて・殺されてしまったこの世に2 人といない掛け替えのない「1人の人間」に執着すること!

だからこそ丸木夫妻の活動は、原爆や沖縄だけでは終わらなかった。だからこそ 丸木夫妻の絵は、いくら巨大になろうとも1人1人を実物大で描かなければならな かったのだ、と気付いたのである。

来年度から中学校の歴史の教科書に、戦時中の日本軍がアジアの女性たちを強制 的に「従軍慰安婦」にした、という記述が掲載される。しかし、それをやめさせよ うとする運動が全国各地で盛り上がっている。「こんな歴史教育を受けたら、日本 人であることに誇りを持つ子どもが育たないから」というのがその理由である。丸 木夫妻の絵を見て思った、「1人の人間」の誇りを回復する事ができないで、なぜ 「日本人」という「塊」に誇りが持てるだろうか!

「平和を保つために少数の犠牲は仕方がない」という考え方がある。「1人の人 間」の平和を犠牲にして得られる「平和」があるのだろうか!

イエスに弟子たちが「天の国でいちばん偉いのは誰か」と質問した。天の国とは 決して死後の世界の事ではなく「神が支配する国」という意味である。イエスは1 人の子どもを呼び寄せて「自分を低くしてこの子どものようになる人が、天の国で いちばん偉い」と言って、「迷い出た子羊のたとえ」を語った。1匹が失われたら、 それがどんなに小さな1匹であっても、残りの99匹全てが失われたのと同じ事だ! それが天の国の法律だ!とイエスは語っている。

今日出会う1人1人を、掛け替えのない存在として受け止めて行きたい。何より、 神が私達1人1人を、それがどんなに小さな存在であっても、探し求めて下さって いるのだ、と心に刻みたい。天の国の住民として生きられるよう、祈ろう。


竹迫 之 <CYE06301@niftyserve.or.jp>