初めて夏期ゼミに参加してみて  鳥取大学YMCA 清水綾子

 JR時刻表を片手に高崎〜御殿場への旅が8月15日早朝、始まった。
初めて参加する夏期ゼミのテーマは"Are you ready? 〜こわす関係、つくる関係、終えて始まるわたしの関係"だった。私達は他者と接するとき、相手の一部分しか見ていないのではないか? しかも、相手を理解するときは、自分が相手について作り上げた枠を通じて相手を理解していないだろうか?そんなとき、自分のなかに存在する相手の像は、また相手のなかに存在する自分の像は本当の相手や本当の自分を映しているのだろうか? 気付かないうちにどこかで相手を否定していたり、自分を否定したりしないだろうか? そんな普段は私達のどこか片隅でしか考えられないようなテーマについてじっくりと議論を交わした。自分の意見を相手に理解させることがどんなに難しいことなのか、改めて知った。そして、お互いがわかり合えるような一瞬があると、とても気持ちよかった。いろいろな側面から話し合えた、とても貴重な時間が過ごせたことに、皆が拙い私の意見を賢明に理解しようとしてくれた、そのことに感謝している。全国各地にY友ができたことが嬉しかった。これからも各地にY友を作りたいと思った。今回の夏期ゼミに参加して、自分一人ではどうしても壊すことができない自分自身を壊すことができた、とはいかないまでも、殻にヒビを入れてくれる、そんなキッカケを与えてくれた皆さんに感謝しています。本当にどうもありがとうございました。最後に、小出さん、すみません。小出さんが酔って眠っている間にレモン一切れ口に入れて記念撮影(?)をするというイタズラをした…私もそのうちの一人です。ごめんなさい(汗)。

                   (しみず あやこ)

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私が「竹佐古」を名乗るワケ  東北地区共働スタッフ 竹佐古真希

私の戸籍上の姓は「竹迫」である。これは同居人であり、パートナーである夫の姓だ。私が結婚したのは、大学の卒業を間近に控えた2月。その時は「籍を入れる」ことは当然だと思っていたし、「夫婦別姓」も考えなくはなかったが、オルガニストとして演奏活動をするのに、「竹迫の方がインパクトがあるよな」と思って(ちなみに旧姓は佐藤)あっさり「竹迫」にしてしまった。それにやはり、「好きな人と同じ姓」というのに憧れていたのもあったろう。初めの頃は「竹迫さん」と呼ばれたり「奥さん」と言われるのが照れながらも嬉しかった。「私は彼の妻になったのだ」という素直な喜びがあった。

 しかし数年経つうちに、段々居心地が悪くなってきた。「竹迫先生の奥さん」とか「竹迫夫人」と言われるうちに、「私は彼の付属物なのだろうか。『たけさこまき』はどこへ行ったのだろう」と考え始めるようになった。私の場合、いつもウチにいるいわゆる「専業主婦」ではなく、最初からオルガンの学びや仕事をしていたので「たけさこまき個人」として見てもらえないことが、ものすごく不服になっていった。

 そんな折り、結婚生活も3年経ち、4年目の春からパートナーの竹迫に替わって学Yのスタッフをすることになった。学Yで私は 〜それまでずっと関わってきたにも関わらず〜 ものすごく自由で「自分らしく」いられることに気付いた。「真希さん」と名前で呼ばれることの嬉しさ、大切さを身を持って感じた。そして学Yの「ミリアム」との衝撃的な出会い。それまで私はフェミニズムや女性問題にはものすごく偏見があって、「もてない女性のひがみじゃないの」などひどいことを思っていた。「私は結婚してるし、自分でやりたいこともちゃんとやっている」という根拠のない自信を持っていた。結局は「結婚」という体制の中にずっぽりはまって、夫に物心両面で頼っていたにも関わらず・・。

 ミリアムのメンバーは、それまで私が女性問題に関わっている人たちに勝手に抱いていたような「怖い女性」ではなかった。むしろどちらかというと、弱いとさえ言ってもいいぐらいだ。自分の語る言葉すらまだ十分には持っていない人たち。でも彼女らには一人ひとりと対話し、共にゆっくりと歩んでいくしなやかさと力強さがあった。

 現段階では、必ずしも私のフェミニズムやジェンダーに関する課題や興味がミリアムと一緒だとは思っていないが(それは多分、私がローカルで生活をしているからだろうが)、でもミリアムによって与えられた視点・出会いは、本当に私にとってそれまでの価値観や人生を変えるほどの大きなものになっている。

 1996年より「竹佐古」を名乗っている。いわゆる「通称別姓」だ。最初は何となくペンネームとかオルガニスト・ネーム・・ぐらいの気持ちで始めた。ただ私がこだわったのは、「旧姓に戻すのは何となく抵抗があるなあ」ということ。今までの歩みの中で、既に「竹迫」として演奏活動をし、パートナーにも支えられ育てられてきた。それを全く白紙に戻すのは、あまりしたくなかった。だから私なりの妥協案というかこだわりが「竹佐古」。竹迫の「竹」と旧姓の「佐藤が古い」、それをもじった。自分なりに色々学んでいるうちに、戸籍制度自体がものすごく疑問になってしまったというのも大きい。「私の国籍は天にある」と信じている。

 しかし最初は自分でも抵抗があって、「学Yと演奏活動だけ『竹佐古』にしよう」と意外と消極的だった。でも良く考えてみたら、それではあまり意味がないのではないか? 教会では相変わらず「奥さん」とか「牧師夫人」と言われるのを我慢していたら、本当はそれらこそが私にとって重要な課題であったはずなのに・・。

 私にとってのフェミニズムやジェンダーは、「私が私らしく生きたい」というのが原点だ。それは「私が私らしく」=「あなたがあなたらしく」・・つまり色んな人の多様な生き方や価値観・考え方を認め合える社会、ということかもしれない。

 今まで「牧師の娘」とか「牧師の妻」とかそれらがすごく邪魔でしょうがなかった。「○○だからこうあるべき」というのに、子どもの頃から縛られてきたし、同時にそこから解放されたかった。

 イエスはもっと自由で、解放的な人ではなかっただろうか? それなのに何故私たちキリスト者や教会はこんなにも汲々としているのだろうか・・。これらは自分の中で今でも解決されていない課題だが、でも音楽や教会などある種特殊で狭い枠に入ってしまいがちな私に、学Yはいつも「ねーねーこんなのもあるよ!」と新しい視点を提示してくれている。だから感謝でいっぱい。だから「やめられない」のだ。

 春からスタッフとして4年目に入るが、今後ともよろしくお交わり下さい。

                          (たけさこ まき)

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