「終えて始まる私の関係」〜夏期ゼミ後の私〜 堀江有里

総括の出来ないままに4ヶ月以上の月日が流れ、私もほんの少し「夏期ゼミ」を冷静になって振り返ることが出来るようになった。本当に貴重な経験だった。あれから「人に期待しないで自分の言っていることをいかに目の前に理解させるか」ではなくて、お互いの対話の必要性を痛切に感じている。

ことはスタンツ発表の後に起こった。浅見定雄さんは言った―「最近の若者は人を傷付けることを怖がっている」。相手が傷つくことにより、自分も傷つくからだ。正にその通り、とうなずきながら聞いていたが、私も「誤解」によってある学生を傷つけた。そして、傷ついている彼を見て、自分も傷ついてしまったことも事実である。「誤解」の背後にあったのは、私自身の自己否定してきた痛みである。つまり自己受容出来ていない姿がそこで浮かび上がった。聖研直後に「堀江さんは(レズビアンとしての)自分をどうやって受け入れたんですか?」という鋭い質問があったが、彼女の問いに私はまだ答を出していない。

「マイノリティ」が人権を主張する時、「マジョリティ」との力関係が生じる。基本的に「カムアウトする」という行為は、その力関係を生み出す危険性を持っている。自分が貼られて来た(そして自ら貼って来た)ネガティブなレッテル。それを逆に他者に貼り返すことになる危険性。

私たちは不自然な出会い方をした、と思う。きっと、日常的な人間関係の中で話をすることが出来たら、どんなに楽だっただろう。セクシュアリティというごくプライベートな事柄を話すことによって、私は常に自分の身を削っているという感覚に陥る。そんな意味でも、カムアウトは「必要悪」だと思う。しかし今回、カムアウトしたからこそ、出会えた人々がいることも事実である。私にとって、大切だと思える関係が始まっている今、カムアウトして本当に良かったと思う。

今回は仕事のことは京都に置いたまま、出掛けた。「青年運動」のコーディネーターという「連帯」出来る部分ではなくて、多分、多くの学生たちにとって「未知」だった課題を抱えている私を勇気をもって受け入れて下さったスタッフの方々、同盟職員の星野よう子さん、共働スタッフの竹佐古真希さん、黒木智子さん、そして何より、ひなちゃん(朝比奈朋子さん)、のんちゃん(長倉望くん)、ちょっとやり過ぎじゃないの?というくらいの紹介文を書いてくれたのんちゃん(神崎典子さん)、そして参加者の皆さん、ありがとうございました。…ということで、「終えて始まる私の関係」は、まだまだ続く。

最後に、この文章を読んでくれているかも知れない「当事者」たちへ…クローゼットの空間は、安心できるところかも知れない。外に出てみると強風が吹きすさぶところに立たされることもある。でも、案外、外の空気は気持ち良い。きっと楽しいことも待ち受けているのではないかな。一緒に何か始めようよ。

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マタイによる福音書 19章1-12節

イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。

イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。

言っておくが、不法な結婚でもないのに、妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。

イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

(日本聖書協会・新共同訳聖書)

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「クイア」を知るための(簡単な)用語集 by 堀江有里

アウティング/outing
他人のセクシュアリティを勝手にばらしてしまうこと。まだまだ画一的な「性」のあり方しか認められていない社会の中では、「殺人」的行為。

インターセックス/intersex(半陰陽)
生物学的に「女性」、「男性」に振り分けることのできない人々。(が、出生時にどちらかに無理やり振り分けられるのが実状。)性別を判定するには、遺伝子、外性器・内性器の確認などがなされるが、実際には外性器によって判断されることが多い。女性器・男性器を持ちながら、双方が機能しない人々も存在する。思春期以降のアイデンティティ形成が困難なことも多い。

ゲイ/gay
同性愛者。ただし「man」が「人間」を意味する言葉でありながら、「男性」として使われてきたように、「gay」も「男性同性愛者」しか考えられていないことが多い。

トランスセクシュアル/transsexual
生物学的性別と性自認が一致しない人々。中には性転換手術を行う人々もいる。最近、当事者たちは、これを「性同一障害」ととらえ始めている人々もいる。一昨年、埼玉医科大学倫理委員会では、性転換手術を認める答申を出している。ただし、性転換を行っても、現在の日本では、戸籍上の性別を変更することは不可能。また社会的にも認められないことが多く、手術の開始は、社会的状況とかねあわせた上で、考えるという。

ピンクトライアングル/pink triangle
ドイツ・ナチ時代、多くのユダヤ人、「ジプシー」と呼ばれた人々、「政治犯」、ファシズムに反対したキリスト者たちが、捕らえられ、収容所で虐殺された。彼女/彼らと共に、男性同性愛者たちも収容所に送られ、性的虐待・惨殺の対象とされた。「罪状」が一目で分かるように、彼らはピンクの三角形の布を服に縫い付けられていた。
(参考『ピンクトライアングルの男たち』ハインツ・ヘーガー著/1997年・現代書館)
その痛みを思いつつ、60年代からアメリカなどで、人権運動のシンボルとして使われ始めた。

ヘテロセクシュアル/heterosexual(異性愛者)
圧倒的多数者。しかし、あまりにも「当たり前」だと思ってしまっているために、ほとんど多くの人々に、その自覚はない。その中にも様々な「性」が存在していることを、自覚的にと認識し始めている人も増えている(様な気がする)。人間関係の行き詰まりから、同性愛者を「新しい人間関係」と持ち上げてみたりすることもある。

レズビアン/lesbian
簡単にいってしまえば「女性を愛する女性」。同じく別称として使われていた言葉を用い、自らを「ダイク(dyke)」(「おとこおんな」という意味合い)と呼ぶ人々もいる。

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「クイア」を知るための本(ほんの一部) by堀江有里

生活編

「クイア・パラダイス」 伏見憲明(翔泳社/1996年)
…ゲイライターである筆者が、交友関係を駆使した、様々な「クイア」たちとの対談集。様々な「性」を持って生きる人々の横顔が見える。

「Coming OUT!」 笹野みちる(幻冬舎/1995年)
…同性愛者の有名人は数いれども、日本のメジャー界で唯一カミングアウトした人。高校時代のこと、国会議員である母親との対話などが分かりやすく、書かれている。彼女のカミングアウトは、多くのクローゼット・レズビアンたちに勇気を与えた。プロデュースは掛札悠子さん。

「別冊アイデンティティ研究会」 アカー編(アカー/1997年)
…東京「府中青年の家」裁判を起こしたアカー(動くゲイとレズビアンの会)。施設利用中の差別、その後の利用拒否を受け、東京都を相手に闘っている最中。この本は、そのアカーのメンバーが、1996年にアムステルダム、サンフランシスコの視察を行った報告書。

「『レズビアン』である、ということ」掛札悠子(河出書房新社/1992年)
…なぜ、レズビアンは「見えない存在」なのか、という社会の分析。それが著者の生活実感の中から描かれている。日本のレズビアンの活動者としては、「古典」的な本。(個人的には、私はこの本と出会わなかったら、ここでこういう話をしていなかっただろう、というほど重要な存在。)

学問編

「ゲイ・スタディーズ」風間孝・河口和也・キース=ヴィンセント(青土社/1997年)
…「学問」の基礎は「ライフヒストリー」であることを強調しながら、同性愛者の研究を主体的に作り上げることを意図としている。

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