「夏期ゼミで思ったこと、今思うこと」 金津 将庸(京大Y)
夏期ゼミがあったのは8月、僕がこれを書いている今は98年の1月である。なぜ、こんなに時間が空いてしまったのか。多少言い訳を試みようと思う。
書こうとしても言葉が出てこない、というのが本当のところだった。夏期ゼミは僕へ非常に大きなものを投げかけてくれた。その整理には多くの時間を要したのである。そして、それが具体的に何かというとやはり、僕の班のスタンツとそれに対する堀江さんの感想に端を発する一件であろう。
説明すると、スタンツの準備の時、僕の班はみんなが強い印象を受けたと感じた堀江さんの聖研の話を題材に取り入れようということになり、そういう内容を含むスタンツを演じた。で、細部はまあ良いのだが、その中のある台詞が「堀江さんがいるここでは同性愛を茶化したりふざけたりする話はできない」というように受け取れるもので、それに対して劇のあと堀江さんが「とても傷ついた」と感想された。台詞の意図は「堀江さんの話を聞いて、これからは同性愛のことを茶化すような話はできないと思う」というもので、直後にこのことを堀江さんと話して言葉上の誤解は解けた。
だが、問題の本質はそこ(=言葉上の誤解)にはない。
「言葉に気を付けようね」と準備のときに繰り返し確認しあったにも関わらず、あの事件は起きた。堀江さんの言葉を借りれば「わたしたち(同性愛者)は本当に痛いんだよ」にも関わらず、彼らの痛みに無頓着な僕(=多数者)。全ての差別はそこから流れ出すのではないだろうか。
しかしまた、「彼らの痛みが完全にわかる」などとは僕にはとても言えない。僕は自分の性に関して日常的に「痛みを感じ」なくてすむ立場にいる。僕は彼らの痛みを本当にはわからない、そしてそれゆえに僕は彼らを傷つけ続け得るだろう。自分が発する言葉全部に完璧な検閲をかければすむという話ではないのである。まずこの事実を直視し、そして痛みと苦しみが少しでも共有できるよう努力することから出発しなければならない。
聖研のあと、僕は周りの参加者にくらべて落ち着いていたようだ。同性愛に対して言葉だけの知識はある程度あったからというのもあるのだろうが、意識の根底にはやはり「僕は差別していない、ゆえに僕には関係ない」「所詮は他人事だ」という思いがあったようだ。これはたとえば日雇労働者の問題にも通じることなのだが、僕の個人的思いがどうだろうと社会的な差別‐抑圧の構造は存在し続けているし、そこには傍観者という席は存在せず、たとえば僕は多数者であることによってその真っ只中に投げ込まれているのである。それはまさに「僕自身の問題」以外の何者でもない。
「彼ら」と「僕たち」という二分法は味気ないし、多様な性のあり方があって当たり前だという社会こそ目指すべきものであろう。だが、まず自分の立場というものを認識し、しっかり見据えることから僕は始めたい。
夏期ゼミは僕にとって初めての学Yプログラムだった。夏のあと、僕は日韓交流プログラムに参加することを決め、学Yと関係ないところではあるがいわゆる運動にも大学で関わるようになっていった。
まさに、夏期ゼミは僕にとっての転換点だったのである。