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全国プログラム

2002年度第10回学生YMCAインド・スタディーキャンプ
 <インド・スタディー・キャンプ 「団長通信」>
●2003年1月21日 学生YMCAメーリングリストより転載

■団長通信 【1】■
竹迫です。これからしばらく断続的に、インドスタディツアーの準備の一環としてこの【団長通信】を発信していこうと思います。

まずは、第10回キャンプに参加を考えている人々へのお知らせ。

参加申し込みの締め切りは2月5日ですが、「絶対に行くぞ」と思ってる人は今のうちから準備して欲しいことが幾つかあります。それが「パスポート」と「予防注射」です。

パスポートは、申請してから発給されるまで少々時間がかかります。そして、ビザも取得しなければなりませんが、それにも少々時間がかかります。ギリギリにパスポートを取得すると、ビザが取れずにキャンプに参加できなくなる、ということも起こり得ます。パスポートを持ってない人は、ぜひとも今のうちから準備を始められますようお勧めします。

既にパスポートを持っている人も、意外に見落としがちなのが「期限切れ」の問題です。国によっては期限切れが近いパスポートに対してビザを出さない場合があるようです。インドはどうだか未確認ですが。期限切れ半年前だと、ちょっと微妙ですね。ご注意ください。

続いて、予防注射に関して。
推奨される予防注射は、A型肝炎と破傷風に対するものです。わたしもまだ詳細はわからないのですが、「注射一本で終わり」とは限らないので注意が必要です。
数回に分けて接種しなければならない上に短期間の連続注射ができないものがあります。最後の注射を受けてからある程度の期間をおいて有効になるものもあるようです。

わたしが経験したものでは、狂犬病に対する予防注射がそうでした。本当は1年かけて3回に渡って摂取しなければならないものを、「1回だけでも数か月もつ」と教えられて、1回だけ受けてネパールのキャンプに出かけました。しかし、完全ではないとも言われていたので、なるべく現地では犬に近づかないようにしていました。

今回のキャンプは3月10日の開始です(ただし、成田の発進は11日になります)。もう既に2ヶ月を切ったわけです。わたしもこれから知人の医師に相談し、もう少し詳細な情報を得られたら再びご案内いたしますが、どう考えても予防注射に関しては時間がギリギリではないか、と思っています。

常時服用している薬などとの兼ね合いもあるかもしれません。その辺りを踏まえて、お医者さんと相談することが必要でしょう。

それでは、今回はこのへんで。


  

●2003年1月22日 学生YMCAメーリングリストより転載

Yに集うみなさん、そして団長 竹迫さん お久しぶりです。
うっちぃ@岡大でしゃシニ(予防接種受けざるを得なかった者)です。

予防接種の件ですが、詳細はこちらのサイトをご参考ください。

ちなみに、
○A型肝炎ワクチンの予防接種
A型肝炎ワクチンを2〜4週間間隔で、2回接種します。さらに約半年後に1回追加接種すると5年間は効果が得られるようです。(新しいワクチンなので、正確なデータはまだ得られていません。)
現在、日本でA型肝炎予防接種の可能な最低年齢は16歳以上です。諸外国では若年から接種しています。50歳以上の方や黄疸の既往歴のある方は、免疫を既に獲得していることが多いのですが、予防接種を希望する場合、接種前に血液による抗体検査で免疫の有無を調べることをお勧めします。免疫がすでにあれば、接種不要です。

〇狂犬病
4週間間隔で2回、6ヶ月後に1回接種します。(なお、疑わしい哺乳動物に噛まれた際は、24時間以内に1度、その後72時間後・・ まだもう一回、など、何度か段階を追った対応がありますので、注意!・・・あと、かまれたら、その噛んだ動物をできる限り捕獲することです。)となっています。

これに、可能であれば、破傷風もしておくとよいのでは?と思います。

なんにせよ、どういった病気が何を媒介になるのか、が分かっている方が大切です。その対応も含めて。今後の海外旅行に役立ちます!

私が参加したときは、何も考えず、何もせず行きました。(今思うと、若かったな・・・)
正直、病気にかかるほどの期間の滞在ではないので、過剰な心配をする必要は無いと思いますが、必要と思う方はお薦めします。それに、いろんなことに挑戦することと、無謀に何でも食べることも違うと思うので、間違えないように!

と、いうわけで、詳細のリストアップをした方が親切なんです
けど、あたしも正直かなり忘れているので、上記アドレスで一度見てみるといいかな。
既に、知っていたらごめんなさい。ご参考まで!

うっちい@岡大でしゃシニ



 

●2003年1月23日 学生YMCAメーリングリストより転載
■団長通信 【2】■

竹迫です。まず始めに・・・。
うっちいさん。要望注射に関するフォローをありがとうございました。わたしも自分でもう少し詳しいことを調べてアップするつもりでおりましたが、昨日は泊りがけの仕事に出ていたものですから、先を越されました。

でも、こんな風にたくさんの多様な人々が集っているMLですから、断片的ではあっても詳しい方の知識を共有していただく形の方が理想的かもしれない、と考えさせられました。
ということで、続いてのフォローを期待しつつ、第2号を発信いたします。

このキャンプに参加を考えておられる方、また身近にいる仲間を送りたいと考えておられる方、ぜひともこのキャンプを通じて学ぼうとする内容について、事前の準備を重ねていただきたいと考えています。

過去の報告書を幾つか読み返しながら整理してみると、このキャンプを通じた学びの切り口は、ある程度集約できるのではないか、と考えています。思いつくままに列挙してみれば。

1)南北問題
インドに限らず、いわゆる「第三世界」全般について言えることであろうと考えていますが、わたしたちの日常とはまるで違った経済事情があります。それは、それぞれの地域がたまたま貧困だったり裕福だったりするのではなくて、一方が貧しく他方が豊かなのには明確な因果関係がある、ということです。貧しい国が更に貧しくされることによって、豊かな国が更に豊かになる、という構造を「南北問題」と呼びます。「豊かな国」が北半球に集中し、「貧しい国」が南半球に集中している、という大まかな把握から出てきた名称です。

その辺りのレポートは、各団体に既に相当数蓄積されているのではないか、とも考えますが、あるいは「そんなこと初めて聞いた」という人もいるかもしれません。ということで、この問題についての資料を予め読んでおかれることをお勧めしたいと思います。

わたしの手元にある入門的な書籍を挙げますと、『暮らしのなかの第三世界』北沢洋子(聖文社)、『エビと日本人』村井吉敬(岩波新書)などがあります。
現在は、あの9・11テロ事件との関連で、よりたくさんの本が入手しやすくなっていると思います。

2)性差別 および 人権問題
これまた、学生YMCAではずいぶん以前から大きな課題として共有されてきた事柄です。インド固有の問題に限っても、少なくとも10年前には、結婚するにあたって女性の側が多額の持参金(ダウリーと呼ばれます)を用意せねばならず、女性として生まれたこと自体が致命的な結果に結びついてしまう事例が多数あったようです。

わたし自身、学生YMCAと関わる中で、ずいぶんと差別的であり、また差別構造に依存して生きている自分である、ということに気づかされてきました。キャンプ中にその極端な事例に遭遇することになるかどうかは未知数ですが、この問題に関しては現在進行形でわたしたちの日常の中にも潜んでいる、というより、わたしたちの日常を支える構造になっていることでもありますので、インドキャンプとの関わりを持たないままでも有益な学びとなることでしょう。

とりあえず、今回のキャンプに引き寄せて挙げるなら、この本があります。わたしももう少しで読み終えます。
『花嫁を焼かないで』 謝 秀麗(明石書房)

3)児童福祉
キャンプ中の多くの時間を使って滞在する場所が「アンブマナイ ボーイズホーム」というところです。様々な事情で親元では暮らせない子どもたちが集まって共同生活をしています。教育とは何か・「子ども」とはどういう存在か・「家族」とは何か、というところが根源的に問われる領域であろうと思います。

「幼い子どもが親元を離れて暮らしている」という事実に愕然とするだけでなく、なぜそうなってしまうのか、どうなることが良いのか、ということについて、ある程度の予備知識があった方が、子どもたちとの一方的な関わり(具体的には幾つか想定できますが、ここでは詳述しません)を避けられるのではないか、と考えます。

ところが、この領域の問題について参考になる入門的資料を探しているのですが、(その道のプロに聞くからか)非常に専門的な本しか見つけられないでいます。
ここはひとつ、このMLに加わっておいでの方々のお知恵を拝借したい、と期待しております。

4)キリスト教思想
そもそもこのキャンプの目玉として「インドで聖書を読む」ということがあります。だから、わたしのような「牧師」という職業的宗教者が団長に選ばれることにもなったのだと思います。また、YMCAという運動自体がキリスト教と深いかかわりを持っており、各団体においても日常的に聖書を読むことが重視されてもいるだろう、と認識しています(えーと、この認識は外れてないでしょうね?)。
また、マザー=テレサと呼ばれた人もキリスト教徒でしたし、インドの独立に深く関わったマハトマ=ガンディーという人もキリスト教から大きな影響を受けているとされています。

というわけで、予め「聖書を読む」ことに慣れておいて頂きたい、と要望しています。これについては、職業柄(^^;)若干のこだわりがありますので、回を改めて詳述したいと考えております。

++++

この【団長通信】を始めてから思いついたことですが、これまでのインドキャンプでは事前のこうした準備がMLで共有されたことがなかったように感じています。
原因のひとつには、前回の第9回キャンプが終了するまでの2年前と現在とを比較すると、今ほどメールが普及していなかった、ということがあったかもしれません。また、たくさんの活動を並行して行う学生YMCA運動の当事者が団長として選出されてきた、という事情も関係しているかもしれません。

たくさんの元参加者が加わっているMLですから、この通信が呼び水になって、多くの情報や洞察が(断片的であっても)寄せられることを期待しています。もっと役に立つ資料だとか、特にキャンプで印象深く残った思い出だとか、なんでも構いません。参加者に読んでもらう資料づくりをやるつもりで、何よりインドも団長も初心者のわたしを助けてくださるつもりで、お願いしたいことです。

既にずいぶん長くなってしまいました。今回はこのへんで。



●2003年1月23日 学生YMCAメーリングリストより転載
戸田@元Y職員・現大学院生です。

インド、いいですね〜。
破傷風の注射は、一定の年齢の方から、子ども時代に一度は受けています(それは確か、竹迫団長が生まれた年ぐらいからです ^^;)。
バングラデシュのワーク・キャンプに参加するときに初めて知りました。でも、年限があるので、参加する方は調べてくださいね。A型肝炎もばっちり済ませましょう。

さて、私は"別の"南北問題、朝鮮半島問題に焦点を置いています。
もっとも、政治や経済ではなく、人権上の問題として関心を持っていますが。

心理学と韓国語をやった自分にどんな貢献の方法があるだろうかと考え、とりあえず、こんなHPを公開することにしました。
北朝鮮住民研究」よろしかったら、お立ち寄りくださいませ。

3月には、脱北者とお会いするために訪韓する予定です。
"有事"にならなければいいんですけどねぇ。


●2003年1月24日 学生YMCAメーリングリストより転載
■団長通信 【3】■

竹迫です。
この【団長通信】にレスを下さっている皆さま、ありがとうございます。

#4626 本田さん
> このキャンプの団長をと前々から思われていた方です。
> 以前カンボジアSCM復興支援の派遣団に加わって
> 頂いています。

あの時は、日本人参加者はわたし1名でして。いやー、言葉が伝わらないというのは、苦しい体験でした。でも、以前から注目していたカンボジアを訪問するまたとない機会でしたから、積極的にお引き受けいたしました。そして、得がたい体験ができた、と感謝しております。

#4628 竹佐古さん(同居してるのにこうやってメールするのも妙な感じですが)
> それで皆さまにお問い合わせですが、インドの
> 報告のテキストデータがどこかにありませんか?
> 私の手もとにはないようなので、同盟その他にありましたら
> いつの分でも構わないので、個人宛てにDMしてくだされば幸いです。

これは、是非とも今後拡充していただきたい領域ですね。
WEBページというのは、本当にものすごいメディアです。用語で検索してヒットする、という形で、わたしが自分のHPに公開しているカンボジア報告を、一面識もない人が読んで下さったりしているのですから。これまでのキャンパーたちの「思い」を公開しないのはもったいないと考えています。

#4631 戸田さん
> でも、年限があるので、参加する方は調べてくださいね。
> A型肝炎もばっちり済ませましょう。

年限は知りませんでした。知人のお医者さんに聞こう聞こうと思いつつ、お互いの予定が合わずにそのままになっています。ある人からは「マラリアは大丈夫か」と聞かれました。どうなんでしょうね・・・。

> 心理学と韓国語をやった自分にどんな貢献の方法があるだろうかと考え、
> とりあえず、こんなHPを公開することにしました。
> 「北朝鮮住民研究」 よろしかったら、お立ち寄りくださいませ。
ちょっと覗いてみました。北朝鮮問題に対する心理学的なアプローチというのはかなり新鮮な感じがしました。わたしは以前、カルトと呼ばれる団体にいましたから、この方面にはとても関心があります。でも、結構気をつけて探していたつもりだったのに、既にこんなにも研究が蓄積されているとは思いませんでした。少しずつですが、読んでみたいと思います。

それでは、今日はこの辺で。



●2003年1月25日 学生YMCAメーリングリストより転載

みなさん、こんにちは。
うっちぃ@岡大Yでしゃシニ(インド第4回目参加者)です。

竹迫団長、お疲れさま。
さて、マラリアについてですが、国によって対応が多少異なるようですね。
ちなみに、インド(しかもアンブマナイ)にちかいスリ・ランカ滞在時には、現地でクロロキンなどの予防薬を週1回のペースで飲むように言われました。ただし、同じ国内でも汚染地域と非汚染地域があるので、必要無い人もいましたけど。

私の場合は必要でしたけど、副作用かな、痒みと多少のだるさがあったので、(勝手に)やめました。でも、大丈夫でした。個人差があるとは思いますが。
あと、基本的に薬を飲むと、アルコールも禁止だから、それも辞めた原因かな...(^−^)。

基本事項は...就寝時には(できるだけ)蚊取り線香等を使う(現地のものでいいですヨ...ま、確かに日本製の効果はそれ以上ですが)。
夕方以降、出歩くときは白系の長袖シャツが良い(なかなか真面目に守れませんけど)。
何はともあれ、基礎体力(きちんと食べてしっかり寝る)を維持する。

これで大丈夫だと思います。特に、基礎体力!

現地で、まれにマラリアやデング熱がフィーバーすることがありますが、そのようなことは、現地で聞けば分かります。特に流行ってなければ、大きな心配はいらないと思います。
予防薬など、どうしても欲しい場合は、現地購入で大丈夫!(マラリアなんてほとんど無い日本で買う方が危うい。)

と、いうわけで、参考になるかな。
結論・・・ 基礎体力の維持に気をつければ、大丈夫!です。

うっちい(岡山大学Y でしゃばりシニア)



●2003年1月31日 学生YMCAメーリングリストより転載
■団長通信 【4】■

竹迫です。
うっちいさん、マラリヤ予防接種に関する追加情報をありがとうございました。

> 基本事項は...就寝時には(できるだけ)蚊取り線香等を使
> う(現地のものでいいですヨ...ま、確かに日本製の効果はそれ以上ですが)。
> 夕方以降、出歩くときは白系の長袖シャツが良い(なかなか真
> 面目に守れませんけど)。
> 何はともあれ、基礎体力(きちんと食べてしっかり寝る)を維持する。
>
> これで大丈夫だと思います。特に、基礎体力!

肝に銘じたいと思います。特に、外出時の長袖白シャツ。きっと我慢大会ですね。
マラリヤの予防注射で薬害にあった方のお話を伺ったことがありました。もうちょっとよく調べてみようと思います。

さて、長らく書けずにいた【団長通信】ですが、今日は聖研についてのお話。
聖研、すなわち聖書研究は、これまでのキャンプではほぼ毎日行われていたようですね。今回のキャンプでも、「肝のプログラム」という位置付けがされています。ある特定の非日常的状況に身を置きつつ聖書を読む、というのは、そうそうできる体験ではありません。キリスト教徒になる・ならないを問わず、「人類の英知の結晶」とまで言われる文献に触れる、というか「浸る」体験をしておくのは、他に得がたい精神的財産になることでしょう。

恐らくこのインドキャンプでは、(いくら団長が牧師でも(^^ゞ )「この聖書個所はこうやって読むんじゃぁ!」というような聖研のあり方は求められていないだろうと思います。それは多分、各学Y諸団体における聖研でもそうだろうと思います。そして、わたしもそういうタイプの聖研は望みません。

しかし、明確なリーダーシップのもとに読むのでなければ、印象も議論も拡散しがちなのが聖書であったりもします。ある程度の聖書に関する知識の蓄積がなければ、非本質的なところに囚われてしまうことも起こりがちで、ここに専門職としての「牧師」という、日中は何をやってるのか分かりにくい「精神的ヒマ人」を養う余地が生じるわけです。
(・・・と、やや自虐的に書きましたが、まぁ牧師というのも、実態はなかなかに忙しい職業ではあります。牧師を見かけても、「ヒマ人」と石を投げたりしないでください。えーと、でもなるべく「エサ」は与えてください(^^;))

今回のキャンプで、どのような方法での聖書研究を行うかはまだ決めておりません。キャンパーが確定してから一度は行われるであろう顔合わせの際の様子を見て考えようと思っています。

ですが、同様に「こういう聖研なら参加してもいい」あるいは「参加したくない」の判断材料が必要か、とも考えまして、今回はわたしの聖書に対するスタンスを記しておこうと思っています。予めお断りしておきますと、ここに書くのは「わたし(竹迫)はこういう立場を採る」ということに過ぎず、「他の読み方がダメだ」ということではありません。キャンプ中に、他の立場を採る参加者がいたとしても、それを否定するものではありません。

まず、わたしは「聖書は神の言葉である」という見解を採りません。
これには少々解説が必要かもしれませんが、わたしは飽くまでも「聖書は人間が書いたものである」という見解を採ります。

問題になるのは「どういう人間が書いたか」という点ですが、わたしはおおむね「神の言葉を受け取った人間」と考えています。ですから、聖書というのは「神の言葉」それ自体ではなく、「神を信じる人の信仰告白」であると受け取ります。

もう少し噛み砕いて言えば、「聖書は『神』に関するジャーナリズムである」ということです。目に見えない「神」に関するジャーナリズムが成立するのか、という問題が生じますが、その辺の詳細は機会がありましたら、ということで。

「『神の言葉』を指し示すのだから、間接的な『神の言葉』であり得る」という見解もあるにはありますが、最近わたしはその考え方に同意できなくなりつつあります。ジャーナリズムによってもたらされる情報が、「事実を指し示しているから間接的な事実であり得る」とは言い切れないのと同じです。そういうこと以前に、「神の言葉である」という点にこだわる言い方は、多くの場合「だから疑ってはならない。批判も反論もしてはならない」という意見の枕詞として語られるからです。

しかし、だからと言って「人間の書いたものである以上、虚構の文学作品だ」という考え方もしません。文学それ自体を虚構とは言い切れず、虚構として書いたものが「真実」を言い当てる場合だって良くあります。そして、虚構それ自体が文学になるとも限りません。

そうした「文学論」の詳細以前に、「聖書は文学である」という言い方が、聖書に込められた「宗教性」を無視するための口実として用いられることが多くあります。わたしは、その「宗教性」を無視したくないと考えているだけでなく、その「宗教性」を抜きには聖書を読んだことにならない、と考えています。

それならばその「宗教性」とは何か、という問いが派生しますが、これまた詳細は機会がありましたら、ということで。

わたしはまだまだ牧師としては未完成で、あるいはこのキャンプを通じて変化が起こるかもしれません。それが「成長」になるか「退行」になるか、あるいは全く変化しないかもよくわかりません。聖書に関する知識は他の参加者より多いとは思いますが、それ以外はほとんど違わないだろうと考えています。

というわけで、わたし自身も参加者の皆さんの意見を聞く立場として聖研に臨むつもりでいます。ある程度の議論のお膳立てや知識の提供はすると思いますが、特定の見解に引っ張っていくことだけはしないつもりです。

ひょっとしたら、やってしまうかもしれませんが、それではわたしの願いとするところとも違ってしまいます。参加を考えておられる方は、ぜひともその点を心にお留め頂ければ、と願います。

では、今回はこの辺で。



●2003年2月4日 学生YMCAメーリングリストより転載
■団長通信 【5】■

竹迫です。もうすぐ、参加申し込みの締め切りですね。
実は、この【団長通信】が参加希望者の決意を鈍らせているのではないか、と密かに戦々恐々としています。わたしは、見た目は恐ろしげなんだそうですが、中身は実に軟弱でありまして、実態は「恐るるに足らず」なのです。

「なんかヤバそーなヤツ」と思ってる方。その直感は8割くらい当たってると思いますが、害をなすようなヤバさではないと思いますので、ご安心を。

さて、今回は参加費用の調達についてのお話。

今回のキャンプは、参加費が20万円に設定されています。これをどうやって調達するか? 全部自分で稼ぐ人もいれば、所属団体からの補助をもらう人もいるかもしれません。

このインド=スタディツアーのモデルになったのは、かつてNCCという団体が学生向けに行っていた「ネパール・ワークキャンプ」です。わたしも、第10回隊に参加しました。これは激しいキャンプでした。わたしが参加したときの費用は35万円。後述する国内活動費を合わせて40万円。これを、各参加者が「支援団体」を自ら組織して募金で集めるという趣旨でした。

当時のわたしは、それまで在籍していた大学を中退したばかりでして、まぁその中退にもいろいろ経緯があったのですが、かなり「ヤケのやんぱち」みたいな精神状態だったと思います。当時のわたしはすでにキリスト教徒だったので、同じ教会の青年会のメンバーに会計役をやってもらい、ひたすらあちこちの教会にでかけて頭を下げまくりました。割合すぐにお金が集まったのは、キャンプの内容が賛同を得やすいものだったからだと考えています。

このキャンプは、水道設備のない村に水道を建設するという赤十字のプログラムに乗っかって行われたもので、日本で集めたお金を持って行って、赤十字の現地スタッフと共に水道建設をする、というものでした。わたしが行った村では、村の中に水汲み場があるところでしたから、水汲みの女性たちにそれほど負担を強いるところではありませんでしたが、しかし環境が不衛生でした。そこで、山奥の高いところの水源から2キロほどのパイプラインを設置して、水道を建設しました。

この水道が完成したとき、村で出されるお茶の味が劇的に変化したのです。建設中は、予期せぬトラブルが頻出し、食中毒にもなり、蛇口の設置場所を巡る住民の対立に介入したり、としんどいことの連続でしたが、しかし劇的においしくなったお茶を飲んだとき、その苦労が全部吹っ飛ぶのを感じたものでした。

さて、帰国してからしばらくの間、募金に協力してくれた人々への報告会が続きました。なにしろ、いろいろな人々・団体からお金を集めましたので、報告会は何度も繰り返して行いました。参加に必要な分より以上にお金を集めたのは、こうやって国内で報告活動をするための資金だったのです。

この報告活動で学んだことが色々ありました。自分の「報告」のあり方(プレゼンテーションってヤツですね)についても、主観的に大事だと思っていることが必ずしもそのまま相手に伝わるとは限らない、むしろこちらにとっては大切なことほど伝えるのが難しい、ということを学んだように思います。

必ずしもきちんとした報告をやり遂げたとは思っていないのですが、しかし今になって思えば、そうした数多くの報告の機会がなければ、現地で体験したこと・感じたこと・考えたことなどが、あっという間に「個人的な体験」として埋もれてしまったであろうことを感じています。単に報告書にまとめるだけでは、やはり「個人的な体験」の延長で終わったようにも思っています。「個人的な体験」を「個人として好きなようにまとめる」のが報告書であったりもするわけですから。生の報告を聞いた人々によるリアルタイムのツッコミや批判に晒されて、ようやくわたしの「個人的な体験」は、他の人々と共有することが可能なものになっていったように思うのです。

わたしの場合、そうした「報告の機会」は、募金によって参加費を集めたところから生じたものでした。募金していただいたお金がどのように使われたのか、説明する責任を負って出かけたわけですから。

この「ネパール・ワークキャンプ」をモデルに始まったインド=ツアーは、当初は上に書いたような側面を重視して、各参加者が独自の支援団体を組織し、募金によって参加費を捻出する、という方法が採られました。後に、様々な事情から募金を前面に押し出すことはしなくなりましたが、わたし自身の体験からは、「ぜひ他人のお金を使って参加していただきたい」とお勧めしようと思います。それは、お金を出してくれる人々から「派遣される」という責任意識をもっていただきたい、と思うからです。それが、このツアーを通じて得られる「財産」を個人化・内面化させないための有力な方法だと考えるからです。

もちろん、お断りしておかなければなりませんが、これはわたしの個人的な思いです。参加のための必要条件ではありません。完全に自費でまかなったとしても、必ずしもそれが「個人化・内面化」して終わるとも限りませんから。

どんな形にせよ、このツアーで得るものを「個人の稀有な体験」という形では終わらせて欲しくない、と願っています。

上に書いたことと関連して、次回は帰国後の「報告書のあり方」について書こうと思っています。
それでは、今回はこの辺で。



●2003年2月19日 学生YMCAメーリングリストより転載
■団長通信 【6】■

竹迫です。
しばらく間が空きましたが、【団長通信06】をお送りいたします。既に参加募集は締め切りまして、本人の意思や事情の変化・現地との調整上の必要などによる大幅な変更が生じない限り、参加者も確定しました。参加者に関する詳しいことは、わたしからではなく同盟の側からの発表を待つべきかとも思いますので、ここでは報告しません。今週中にキャンパーとの顔合わせをしまして、具体的な準備を開始する段取りになっております。

ひょっとすると、キャンプ実施前の【団長通信】はこれが最後になるかもしれません。参加者および同盟職員限定の「インドキャンプML」を開始しましたので、そちらに集中したいとも考えております。でも、準備の進み具合については、やはり報告があった方がいいでしょうね。今後はどういうあり方が望ましいか、こちらも検討いたします。

では、今回は「報告書について」。

このキャンプの大きな目的に鑑みて極論すれば、これは「報告書を書きに行くためのキャンプ」です。「インドにおける様々な体験を経て見聞を広げ、参加者本人の成長に資するもの」というのがキャンプの趣旨ではありますが、それと同様に、あるいはそれ以上に「その体験を、参加していない人々とも共有すること」が大切にされています。

その理由は、消極的な面から言えば「実施のために様々な人々からの経済的支援を受けているから」ということが、まず挙げられるでしょう。参加者各人が独自に集める募金のことだけでなく、キャンプの企画・実施の時点で既に「スポンサー」のサポートなしには始められないことなのです。お金を出してくれた人々に対し、「そのお金がどのように使われたか」を説明する責任が、キャンプ参加者には生じています(キャンプ実施前に既に!)。3月は、およそどの団体でも「年度末」に該当し、本来は全ての財政運用が年度内に報告・評価を経ている必要があります。しかし、3月の終わり頃まで実施されるこのキャンプに関しては、それは事実上不可能であると言えます。

でも、本当は「やってやれないこともない」ことなのだ、ということは知っておいた方がいいでしょう。大抵はどの団体も年度内に報告を済ませようと死ぬ気で努力します。企業などでは、冗談ではなくクビがかかったりもするので必死です。
しかし、大所帯の団体になればなるほど、年度決算は新年度が始まってから1ヶ月ないし2ヶ月以内に行われる「年度報告」においてなされる傾向があり、「それまでに整えればいい」という合意が事前にあったりするものです。このキャンプも、そうした「隙間」に位置付けられているので、キャンプ自体が終了してから報告書がまとめられるまで、ある程度のタイムラグが黙認されているに過ぎません。しかしそこに甘えるのでは、説明責任を放棄するのと一緒です。まずは、このことをしっかりと自覚したいものです。

そして、積極的な面から言うならば「学Y活動のエッセンスが凝縮されたプログラムだから」という点が挙げられるでしょう。大前提としてある「キリスト教精神」に関して、また「南北問題」「国際交流」「ジェンダー=スタディ」「ボランタリズム」「学生運動」「福祉」「精神衛生」などなど、非常に多岐にわたる領域の課題に直面することを通じて、諸問題に取り組む人材の「リーダーシップ=トレーニング」ということが、このキャンプの「成果」として期待されています。

しかし、実際にその「成果」が得られるかどうか・得られたかどうかの評価は、キャンプそれ自体の「報告」を受けてから初めて開始されるものです。公式な「報告」が公開されない限り、評価もなにもあったものではありません。こうした側面から言えば、キャンプの「終了」は「出発点」であると極論することも可能でしょう。

こういうわけで、団長個人としては、各トピックごとの報告担当者を予め決めておいてキャンプに臨むことを考えています。現時点で提案されている各見学コースや、目玉プログラムである「聖研」および「ボーイズホーム滞在」なども、初めから「報告書を書く」というつもりで参加していただきたいと願っています。
報告書というものは、参加しない人々との「体験の共有」を実現するのに役立つ手がかりになるものですが、これは突き詰めて言えば「体験を言語化する」ということです。人間の認識や記憶のメカニズム自体に「言語化」が大きく関わっていますし、大学教育の主眼である「科学」も、大きく言えば「現象の言語化」を体系づける方法です。言わば、我々が日常的かつ時には無意識にアタマの中で繰り返している作業を、意識的・自覚的に行なって定着させるのが「報告書作り」だということです。

「予め『報告書を書く』ということを前提に参加すると、体験に対する認識を歪めることにならないか」との危惧が表明されることがあります。そういう危険(「高い評価を受ける報告書を書こう」などの「雑念」が混入する場合など)があることは認めますが、言語化をしない・もしくは後回しにすることで「体験」や「認識」が消え去ってしまう危険の方が高いしかえって致命的だ、とわたしは考えています。現地の様子については、特に「ボーイズホーム」などのアウトラインに関する情報は、これまでのキャンプを通じて相当の蓄積があります。見学・体験する現地の全てのことについて同様であるわけではない、というところが若干厳しい点ですが、わたしはむしろ参加者ひとりひとりの「主観的な見解」に集中する報告活動の方が、キャンプの趣旨としては適切であろうとも思っています。そして、「主観」を共有するには、むしろ徹底的な言語化が不可欠です。

かつて講師をしていたふたつの高校で、受験対策としての小論文指導を行っていたことがありますが、この「言語化の能力」が年々低下するのを実感してきました。手取り足取りの文章指導を通じて考えさせられたことは、言語化の技術以前に「思考は言語によってなされるもの」という理解が加速度的に希薄化している現実でした。そもそも「考えたことは言葉にできる」という信頼を持たない人々が増えており、「言葉にしたものは共有できる」という体験も少なくなっているのだろう、とも感じています。若い人々を中心に携帯電話が爆発的に普及し、「歩きながらでもメールを打っている」姿が驚きと共に問題視されていたりしますが、わたし自身は「言語化への信頼と共有の実感」の回復に対する若い人々の渇望を見るように思って、むしろ歓迎するべきことと考えていたりします。

ずいぶん話が脱線しましたが、報告書というものが「インドへ行ったばかりに要求されるお仕事」としてではなく、「自分と世界を繋げるためのツールを手に入れること」として作られるよう期待しています。

またも長くなりましたが、今回はこの辺で。

この素材はからいただきました。

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