訃報を聞いたときは本当に唖然としたというのが実情 でした。こんなに早く・・・逝ってしまうとは!!。2 000年6月にはニューヨークの国連総会特別会期女性 2000年会中、国連ビルのロビーでお目にかかったの が最後でした。
手術後回復しているというお話を、たしかにやせられ ていたけれども、お元気に話してくれました。そして国 連ビルを動き回っていました。いつもながら、すごい!! タフだ!!と感銘をうけ ました。
そして年末に入院されたときき、急なことだったので、 この病気とは別の交通事故か何かかしらと思ったくらい です。
でもそれからわずかのあいだ彼女は「生きることしか 考えていなかった」ままに逝ってしまったのですね。小柄ながら強烈な個性の持ち主で、研究、教育運動の すべてをパワフルに展開している姿をみて、エネルギー をもらっていました。
「闘う女+母・フェミニスト」葬儀のときの息子さん の挨拶のことばから、あらためて彼女の生き様がこんな 風にみえてきました。和子さんはたくさんの仕事を中途のまま、逝かれたよ うですが、その後を皆でさらに活動を広げるという役割 を背負っていく宿題を与えられたと感じています。
大きく空いた空洞を埋められるかが問題です。
fem-net上にも渡辺和子さんの追悼ページができてい ます。日本全国からお世話になったというメッセージが きています。葬儀の写真も許可を得て掲載しています。
こころからご冥福を祈ります。