VOW特集 「渡辺和子さんを偲んで」


No.219 (2001.3.6) から

渡辺和子さん


国信潤子

 

 訃報を聞いたときは本当に唖然としたというのが実情 でした。こんなに早く・・・逝ってしまうとは!!。2 000年6月にはニューヨークの国連総会特別会期女性 2000年会中、国連ビルのロビーでお目にかかったの が最後でした。
 手術後回復しているというお話を、たしかにやせられ ていたけれども、お元気に話してくれました。そして国 連ビルを動き回っていました。

 いつもながら、すごい!! タフだ!!と感銘をうけ ました。
 そして年末に入院されたときき、急なことだったので、 この病気とは別の交通事故か何かかしらと思ったくらい です。
 でもそれからわずかのあいだ彼女は「生きることしか 考えていなかった」ままに逝ってしまったのですね。

 小柄ながら強烈な個性の持ち主で、研究、教育運動の すべてをパワフルに展開している姿をみて、エネルギー をもらっていました。
 「闘う女+母・フェミニスト」葬儀のときの息子さん の挨拶のことばから、あらためて彼女の生き様がこんな 風にみえてきました。

 和子さんはたくさんの仕事を中途のまま、逝かれたよ うですが、その後を皆でさらに活動を広げるという役割 を背負っていく宿題を与えられたと感じています。

 大きく空いた空洞を埋められるかが問題です。
  fem-net上にも渡辺和子さんの追悼ページができてい ます。日本全国からお世話になったというメッセージが きています。葬儀の写真も許可を得て掲載しています。
 こころからご冥福を祈ります。