VOW特集 「渡辺和子さんを偲んで」


No.219 (2001.3.6) から

最後の電話


山口美知代

 

 昨年11月25日の夕方、渡辺さんが電話をかけてき てくれて、一時間くらい話したのが、渡辺さんとの 最後の電話となってしまいました。それから一週間 たたないうちに緊急入院されたことを、後から知り ました。

 電話をいただいたのは、その前の日に私が、「泣 き言ファックス」を送っていたからです。私は昨年 『女性学年報』21号の編集長をしていたのですが、 力不足で、編集の過程で出てきたさまざまな問題を うまく処理していくことができませんでした。そん ななかで、おりにふれて渡辺さんに愚痴とも相談と もつかない電話をして、モラルサポートをしてもら っていました。というのも、私は15号で渡辺さんが 編集長をしていたときに初めて『年報』に参加した ので、心のなかに「編集長といえば渡辺さん」とい うような刷り込みがあったからです。

 「ファックス見たわよ。でも、よかったじゃない、 年報がちゃんと出て。」というかんじで始まって、 小一時間。渡辺さんは私がまったく自己中心的に、 自己憐憫にまみれて話すのに、ちゃんと相手をして くれて、でも、そのなかでやんわりと、そして同時 にはっきりと、問題の本質を指摘してくれて、私は 電話が終わる頃には、自分の狭量さ、脆弱さが恥ず かしい、という気持ちになっていました。

 でも、今思い返してみると、そんなことよりもも っと恥ずかしいのは、渡辺さんとの最後の電話を、 そんなふうに自分の悩みごとだけで終えてしまった ことです。私は渡辺さんから、元気をもらってしま った。一ヶ月後に逝ってしまった渡辺さんとの時間 を、自分を励ましてもらうためだけに使ってしまい ました。

 『年報』 21号に私が書いた千葉敦子に関する文 章について、「読んだわよ、私も病気になってから 友達に勧められて千葉さんの本をいろいろ読んだけ ど、ずいぶん励まされたわ、最後まで書き続けたっ ていうのがすごいと思う」という渡辺さんのことば の重さを、そのときにきちんと受けとめられなかっ たことも、恥ずかしいです。