VOW特集 「渡辺和子さんを偲んで」


No.218 (2001.2.5) から

渡辺和子さんを悼む


森屋 裕子

 

12月26日、午後11時。渡辺和子さ んのお通夜から帰ってきて、これを 書いています。享年57歳。祭壇の遺 影は、今年6月のニューヨーク国連 女性2000年会議の時のものでした。

 今でも、日本時間の明け方前に、 ニューヨークからかかってきた「渡 辺で〜す」という電話の声が耳に残 っています。「こっちの都合も考え てよね‥・」といいながら、寝ぼけ声 でお話したあの活動が、二人で一緒 にした最後の活動だったんですね。

 ニューヨーク市立大学との共催シ ンポという大プロジェクトに着手し ながら、先方との意思疎通がうまく いかずにいらいらを募らせていた時、 バイリンガル並みの語学力と豊富な 人脈を使って、‘最後の詰め’を助 けてくれたのが渡辺さんでした。 

手術後1ヶ月もしない体で、国連をニ ューヨーク市立大学をコロンビア大 学をと大活躍で……NYシンポの時の ゲルブ教授とのワ一クショップも感 動モノだったと、これは、後で聞い た話。 

こんなことになるんだったら ‥‥・・って、いつだって残された側は、 そう思うんだから……もっと、気 をつけて生きてくれるべきだったん だよ!!

 和子さんと初めてあ会いしたのは、 今からもう20年以上前の日本女性学 研究会の例会でだったと思います。 和子さんが非常勤講師になったばか りの頃で、あの頃は、みんな、駆け 出しでした。

 和子さん、「まいっちんぐマチコ 先生に抗議する会」のことを覚えて いますか? 担任のクラスの男の子 にスカートめくりをされて「まいっ ちんぐ…」って嬉しそうに身をくね らせる‘マチコ先生’が主人公のア ニメ番組に抗議した会のことです。

 「20年前から、性暴力に‘抗議’し続けてるんだよね」とため息まじ りに笑い合ったのは、「ノック知事 のセクハラ訴訟回避に怒る女たちの 会」を立ち上げてすぐの集会に来て くれた時のことでした。あの時手を つないで一緒にデモ行進してくれた 娘は、今年、もう、25歳。

 渡辺さんには、だれもが、必ずと いっていいほど、メイワクをかけら れています。時間におかまいなく長 電話をしてくるし、連絡なしで約束 をすっぽかすし‥・私も、2回ほど、 何がなんだかわからないまま電話で 怒鳴られています。

 でも、私の経験からすると、電話で怒鳴られるのに は二種類あって(二種類しかなくて) ひとつは、絶対自分は悪くないと思 うのに卜ツゼン怒鳴られて、でも、 にくめない電話、あとひとつは、少 しまずかったかなと思っている時に 怒鳴られて、でも、反省するどころ かかえって反発を感じて‘the end’ になる電話。

渡辺さんの‘怒鳴り電 話’は、確実に前者の方でした。一 緒にいることで、本当に、本当に、 楽しかったし、いろいろなことを学 ばせてもらいました。

 渡辺さんと−緒に歩んできた道を、 私は、私たちは、これからも歩んで いきます。

     *「ネッ関ニュース」より転載