渡辺和子さんが亡くなってから約1カ月が過ぎたが、この間ず っと胸の奥がシンとするような思いがしている。私は渡辺さんとそれほど親しかったわけではない。数年前に渡 辺さんが「女性学年報」の編集委員を退かれてからは、年に数回 何かの会で顔を合わせ、あとは年に1、2度電話で話をする程度 のおつき合いだった。
電話はかける時ももらう時もいつもせっぱ詰まった感じで、い きなり「ねえ、どうしましょう」「ちょっと助けて」というとこ ろから始まった。私としては、渡辺さんはとても忙しい人なので 、久しぶりの挨拶などで時間をつぶしては申し訳ない気さえして いたのだが、結局は、気がつくとぐずぐずと雑談をしてしまって いた。というより、渡辺さんと話していると、いつの間にか話の ポイントがぐるぐる渦を巻きながら外へ外へと広がっていくよう で、それが何やら心地よいのだった。
訃報に接した夜、そうしたいくつかの電話のことを思い出して いた。何年か前までは研究上の相談だったりもした用件が、最近 は出口のないような気の重いものばかりになってしまっていた。 渡辺さんがここ数年で以前にもまして多忙になられ、同時に公私 ともに多くの心労を抱えられたことにあらためて思い至った。そ れでも渡辺さんの話しぶりは最後まで少しも忙しそうにはならな かったし、私は話し終えると少し楽しくなることができた。
渡辺さんは、良い意味でとりとめのない、強さと大きさを持っ た人だった。ご冥福をお祈りします、としか言えないことが、残 念でならない。