1998.11 報告

1998.11 例会
「わたしからフェミニズム」発刊記念シンポジウム&バースパーティー
ノラの方舟 〜フェミニズムの未来戦略〜


報告 part4

山はまた動く、女たちの挑戦

森屋裕子さん



 20年前にこの研究会ができて、半年ぐらいしてから私は入会しました。その時には理事長さんがいて、ピラミッド型のすごい組織だったんです。私はそのころ結婚して子供ができたばかりでした。

 一時は活動を主体にしてたんですけど、もう1回勉強し直したいなぁということで学校に行き直して、法律関係の勉強をしました。今は、なかなかもうからないのですけれども政策関係の仕事をしています。

 日本女性学研究会というのはこの20年間私のルーツなのですが、「世界女性会議ネットワーク関西」というのと「女性と政治情報センター関西」という2つの会で今は忙しく活動しています。「世界女性会議ネットワーク関西」というのは、「政策提言NGO」と私たちは呼んでいますが、北京女性会議の後にできた行動綱領を日本の政策に生かしていくための活動をしているグループです。

 今日のタイトルは「山また動く−女たちの挑戦」ということなので、「女性と政治情報センター関西」の活動の方を主として、女性と政治とか意思決定の場への参画ということを中心に話をしたいと思います。この会は、3年前から「女性を議会へ」というバックアップスクールを開催しています。議会に女性が少ないということで、女性の議員のための学校ということで始めました。

 「山はまた動く」という言葉がどこから来たかお分かりだと思いますが、一度土井たか子さんが「山また動く」と言いました。1989年の参議院選挙の時で、その時は中曽根政権が大型間接税ということでゴタゴタしていて、それが結局消費税導入ということになって、すごく支持率が下がって、結局自民党が大敗して、参議院の与野党が逆転しました。その時が山が動いたときなんですね。土井さんは30年近く続いた自民党政権が逆転して「あっ、山は動いたんだ」と、そういう表現を使われたんだと思います。

 「あのとき山は動いたか」と私はレジュメに書いていますが、これどうなんでしょうね。フェミニズム、女性の側から見て、「あの時山は本当に動いたのか」ということをやっぱり考えなくてはいけないなと思っています。その参議院議員選挙の時、女性議員は8.7%から13.1%になっているんです。ちょうどマドンナブームで当時の社会党の戦略としても女性議員を出していこうということで、それが消費税反対と一体となって山は動いたんですね。確かに女性議員は参議院で増えて、その時初めて、投票行動として、消費税をめぐってジェンダーにギャップがあったと政治学者は分析しました。

 じゃあ、増えたけれど、それ以降はどうだったのか。日本の場合は勝ち取ったような形で女性に投票権が与えられたのですけれども、その時の衆議院選挙の投票率は男性78.7%、女性67.5%で、男性の方が高かった。女性は投票に行くように啓蒙されていなかったんです。その時の女性政策は女性の社会参加で、「女性は外に出ましょう」だったんです。女性の教育程度が上がって、今の投票率は女性の方が大体1、2%高いですよね。投票率が逆転したのが昭和44年とありますから、だいたい20年近くかかっています。それからは1、2回の例外を除いては、ずっと女性の投票率の方が高くなっています。

 女性の投票行動はジェンダーキャップを持ったものだったのか、自分たちの家庭の中の夫とか会社の人とか、そういう男性とは別の価値観で投票ができていたのかというと、実はそうではなくてジェンダーキャップができたのが、1989年の山が動いたときだったんですね。そういう面では、女性の側から見れば山は若干は動いたのかもしれません。確かに女性が出て来てマドンナということで少しは元気がついたじゃないですか。私も10年前に少しはよかったなと思いました。ただそれから後のこと。例えば衆議院の山はその時は動きませんでした。衆議院議員の比率は1.5%だったんですよ。それがその次に、2.3%になり2.4%になり、本当に1-3%の低いところを1人2人増えているみたいな形で低迷していました。

 もっと重要なことは、女性の投票行動はそういう意味では女性自身が生み出していなかった。つまり30年続いた男女不平等政策に異議を申し立てるだけの意識が現れていなかった。それは投票率だけの問題ではなくて、意識の問題であると私は考えています。質の問題はともかく数が少ないですよね。

 今、地方自治体は約3,300あるんですけれども、国会外の市町村都道府県の議会の中での女性議員比率は今だに4.8%です。100人いたら95人近くが男、5人が女です。しかもひどいことに地方自治体3,300の内の55%が女性がゼロなんです。農村部に行けば行くほど女性ゼロのところが増えます。都道府県レベルでも5つの自治体が女性ゼロなんです。日本にまだそういうところがあるんですよね。

 民法改正の夫婦別姓について各地の自治体で反対運動が起こったんですが、1番最初に反対決議をあげた映えある自治体というのが、徳島県議会なんです。ここは見事に女性がゼロなんですね。一緒に活動している友達が徳島にいるので電話して「あんたら何してんねん」と言ったんですね。その友達は決議されそうだということで議会に傍聴に行ってみたら議席は男ばっかり、県の側も男ばっかり。ということは男が質問して男が答える。夫婦別姓のことで、98%女の姓が変わるという時に話しているのは男ばっかりなんですよ。「女はどこにいるの」と聞いたら、「傍聴席にいたわよ」という返事でした。その友達はあんまりひどいから、傍聴席から、「反対!」と叫んだらすぐにつまみ出されてしまったんですって。すごく象徴的でしょう。男と男が決めることを女性は傍観していて、そしてちょっと生意気に言ったら、つまみだされちゃうというこの構図。今の日本もまだ半分以上の自治体、54%がこういう状態だということです。

 衆議院議員の比率が4.8%、参議院になるとようやく17.1%になっていますけれども、4.8%という数字は全世界で124位です。でもみなさん新聞の報道に絶対惑わされないでください。3年半前地方統一選挙の時に新聞で「女性躍進」と出ていたんですが、それは3.3%から4.3%に上ったということなんです。1%上がったことを指して「女性躍進」なんです。その時は私は4.3%に上がったのかとおとなしく見ていて、やっぱり50%になるにはあと46年かかるのかなと思ったんです。だけどそうじゃない。だって統一地方選って4年に1回なんです。4年に1回、1%ずつ上がっていたら、46%×4で200年以上かかる。300年近く生きないと50%になるのを私は見ることができないという単純なことが新聞を見ながら分かったんです。それで怒り心頭に達しまして、この女性議会バックアップスクールというのを始めることにしたんです。自然に任せておいたらろくなことはない。200年以上待たないと50%にはならないんです。そういう状態なのに「躍進、躍進」、「女性は強くなったよね」なんてことを言われてたんじゃとてもじゃないけどやっていられない。

 それに政党や労働組合などに任せていたら、地方議会の女性の比率はあがりません。上がらないというかジェンダーの視点をもった女性議員は増えていきません。数は確かに1%ずつ増えていくかもしれませんけれど、そこに視点の問題が入っていかないと、たぶん、中西豊子さんやみなさんのおっしゃるような社会は実現していかないと思うんですね。だからスクールで自分たちでやってしまおうと思いました。

 なんでこんなに女性が少ないかというと、やっぱり女性はトレーニングされていない。選挙のことだって知らない。私もまだまだ知らないんですけれども、選挙で勝つときにどうしたらいいのか。地盤・看板・カバンと言われていますけれども、それがないときにどうしたらいいのか。そういう選挙のあり方そのものを知らないですよね。

 女性が選挙に出ようとしたときに1番大変なのは家族の説得だというんですね。「どこそこの嫁が出る」とか、「お前、よく許したな」とか夫がいわれるらしいですよ。家族のことをクリアして、自分自身がトレーニングをして出ていかなければならない。そういう中ではネットワークを組んで自分たちがやるしか仕方がないということです。

 これまで3年間やってきて、5人市議会議員が当選しました。6人立候補して5人当選したということで、ネットワーク型の選挙のノウハウが実はわかりつつあるんですよ。だいたい100万円あって、6カ月間あって、コアメンバーがいてとか…。まだ残念ながら私たちの力が通用するのはベッドタウンだけです。政令指定都市とか国政とか、そこらへんはだめなんですよ。ベッドタウンというのはサラリーマン層で私たちにはその意識がわかりやすいので、ネットワーク型の選挙ができる。そこらへんのノウハウは大体つかみかけているんですね。

 で、来年の4月の統一地方選挙です。この時には今の地方議会の4.8%を10%にしたいと思っています。10%といったら10人に1人だからそんなに大した率じゃないんだけれど、それぐらいの率にはしないと、私が生きている間に50%にはなりませんから。これから4年ごとに倍々ゲームで行こうと、わかりませんけれども自分ではそんな風に思ってるんです。

 「今回山は動くのか」。山の想定の仕方によるんだけれども、私は「動く」と思います。実はこういう活動をしていると、ひしひしと感じるんですけれども、女性たちが意思決定の場に、この場合は議会ですけれども、入っていこう、入れていこうという動きが毎日のように伝わってくるんですよ。

 例えば3年前にできたバックアップスクールなんですけれども、すごくマスコミに取り上げられました。そのおかげということもあって今全国で40ぐらい、規模とかやり方とかはさまざまなんですけれども、同じようなバックアップスクールができています。政党の方も女性をなんとかしないと伸びないということがわかりかけていて、社民党とか民社党とかを中心にして、まだ綱領で決まっているところはないですけれども政党としてクォータ制を取り入れるようになっています。実はこの間、ある政党の方がうちの事務所へやってきて、「すみませんけれどもバックアップスクールの修了生でうちの政党から出てくれる人はないですか」と聞くんですね。あまり偉そうにいったら怒られるかもしれないけれども、政党も女性の意思とかをつかみかねて困っているんです。

 例えばエミリーズリストといって、女性にお金を与え、支援するところもあります。やっぱりお金の問題は大切ですし、全国各地でそういう動きが出てくるんじゃないかなと私は思っています。目に見えない形だと「女性躍進」だとか書かれるだけですから、一般の人にもわかるような目に見える形にしていきたいです。来年の統一地方選挙では大体20人から30人が立候補する予定で、もうすでに地域に散って、地元での活動を始めています。だから私たちはこれから「女性と政治情報センター関西」として個別の活動をバックアップしていきたい。全体として女性をという形で底上げをしていきたいなあと思っています。今日お配りしたチラシにはそういう呼びかけをしています。ここでは男女平等とだけ言って党派は問いません。そういう形でキャンペーンをして、マスコミにも見える形で動いていって、4年間に1%という歩みを加速度的にしていって、私の老後を明るくしたいと思っているんです。

 今考えているのは、バックアップスクールの事務局で、旗を持って、みんなで揃いのユニホームを着て、手振って、応援演説をして回る選挙キャラバン隊ですね、来年早々にも始めて、各地でやってるぞという風に見せたいと思います。

 先程中西さんが紅一点現象と言いましたが、都市部ならまだ10人とかいるんですけれども、地方に行けば1人とか2人とか。候補者だってそうですよ。1人とか2人とか、政党のバックがついていないとネットワークがあっても大変だと思います。だからそういった意味でマスコミの人とも協力しながら運動していこうと思っています。

 女性学と意思決定の場への参画ということでお話ししたかったのは、「女やったら誰でもいいの?」と比較的偉い学者さんとかがよくおっしゃるんですが、それは全くそうなんです。今まで見ててわかるでしょう。35年間女性は自民党の1党支配を支え続けたわけですよね。そういうふうな人が、つまりオヤジ社会を維持してきた人が、議会に入って、比率が上がっても変わるわけはない。それはその通りなんです。ただ本当に、あまりにも数が少なすぎますよね。それを考えてキャンペーンとして女性を議会にということでやっていますが、心はフェミニズムがわかる女性、私たちの側の女性をということです。でもできるだけハードルを低く、低くした方がいいんじゃないかなと思っているんです。というのは議会の中で、あるいは議員の人、フェミニズムという言葉を使っていいかどうかわからないですけれども、ジェンダーとかフェミニズムとか頭の中では分かっていても、心からのフェミニストというのは、今ここに大阪中のフェミニストが集まっていると言ってもいいくらい、それぐらいの数しかいないじゃないですか。議員の人でも、市民派のフェミニストとは絶対違うのですね。だから女だったら誰でもよくないというのはすごくわかるんですけれども、そういう理論的なことにこだわっていたら議会の中に入っていけない。「自分はこういう人のためにバックアップスクールしてるんじゃないよ」という人も実はいるんですけれども、それはおいといてもうやってしまおうと。それでやっていってダメな人は淘汰されてしまうし。私はこのキャンペーンのスポークスパーソンになっているので、悪口とかも言われるのではないかと思うんですが、こんな人が入ってるんじゃないんかと言われたら私はスポークスパーソンとして受けて立ちます。

 メキシコの女性会議から女性の意思決定の場への参画ということは最重要項目として言われてきたでしょう。その時に女性が何をしたのかということです。泥をかぶらなくてはダメだと思うんです。女性はなんとかしましょうと言っているだけでは、今までと同じです。選挙というのはすごく大変で、きれいごとでは全然いかない。汚いことまで出てくるような、本当に力と力のぶつかり合いで、女性も議会の中で男の人とぶつかってやっていく。そういう男の社会の中でやっているわけなんですね。こういうことをいっては何ですが、今まで女性学とかフェミニズムとかは、泥をかぶってこなかった。理論的なこととかはすごくリードしてきたと思うんですけれども、じゃあ実際に選挙とか審議会とかの現場に入って、本当につらい思いをしてやってきたのか。そうではないと私は思います。ということであえて、数ということではないんですけれども、やっていこうと思ってます。

 最後になりましたが、今やろうとしていることは、ここに書いた「男女平等基本法」、「基本条例」です。これは「世界女性会議ネットワーク関西」の方の活動です。今「男女平等基本法」が審議されていますね。そしてそれに従って「基本条例」ができつつあります。これはとても大切な基本法で、政策決定の過程から女性が入っていかないととんでもない法律になります。

 西暦2000年6月にニューヨークで世界会議が開催されることがすでに決まっています。日本の女性政策は世界の流れに非常に忠実になってきています。これから「山は動く」、自分たちも動かせたいと思っています。基本的には意思決定の場にいないと骨組みは変わらないと思うので、この方向をとらえて、ぜひみなさんよろしくお願いします。