2000.5月 例会

渡辺和子さんの思い出を語る会

 渡辺和子さんのテレビ出演ビデオなどを見ながら、みん なで和子さんの思い出を語り合いたいと思います。


◎ 日 時/5月 27 日 (日) 午後1時〜4時      
◎ 会 場/大阪市立婦人会館
〒543−0042 大阪市天王寺区烏ヶ辻2−5−18
TEL.06-6772-0061
 
    

渡辺和子さんの思い出を語る会 〜2001年5月例会報告〜

2001年5月27日 (日)大阪市立婦人会館
久 美

 渡辺和子さんが亡くなって、もう5ヵ月がたちました。今年の初めくらいから、和子さんに ついての例会を開こうという声があったのですが、3月に和子さんがかかわってこられたネッ トワーク中心の「渡辺和子さんを偲ぶ会」が開かれ、7月には別の会主催の追悼集会があると いうことで、日本女性学研究会では5月例会として「渡辺和子さんの思い出を語る会」を行い ました。

特にプログラムも企画していなかったのですが、たまたま私が、和子さんが発言されている 北京女性会議のビデオをもっていたので、みんなでそれを見ようということになりました。日 程の調整がよくなかったのか、当日の参加者は私も含めて5名。それもいつもよく顔を合わせ ているメンバーで、まるで運営会のようでした。

 とりあえず予定どおりビデオを見ました。北京女性会議のワークショップを中心に取材した ビデオなのですが、みんなのなじみの顔が一瞬うつり、「あっ、○○さんや」と言ってはテー プを巻き戻すということも何度かありました。たくさんの人が参加してはったんやなあと変な ところで感心しました。

 和子さんの登場シーンは、従軍慰安婦についてのワークショップでした。上野千鶴子さんが 最初に発言され、日本の状況についての他の国の方からの質問に、和子さんが答える形で発言 されていました。ほんの短い時間なのですが、ビデオの中の和子さんは、顔色もつややかで、 私の記憶の中にある元気な和子さんそのままで、和子さんはもういないんだということが信じ られないようでした。

 とてもおもしろいビデオだったので、最後までみてしまい、話し合いの時間は少ししか持て ませんでした。従軍慰安婦のこと、アジアの女性たちのことなど、ビデオの感想から、一昨年 に渡辺さんがお話をされた離婚例会のことが話題になりました。私は残念ながら、その例会に は参加していなかったのですが、渡辺さんはお母さんのお葬式を終えた直後に駆けつけてくだ さり、ご自身のDV体験なども語られたそうです。渡辺さんが夫から暴力を受け、離婚された ということは知っていましたが、ご自身の口から、そのことをきいたことはありませんでした。 自分の辛い体験を語るのは、とてもしんどいことだっただろうなと、その場で、和子さんとの 時間を共有できなかったことをとても残念に思いました。

 これは私の個人的な考えですが、いつか和子さんに、そういうテーマで女性学年報に書いて もらいたいと思っていました。そういうお話をしたいなあと思いつつ、その機会のないまま、 実現することはありませんでした。これもものすごく個人的な思いですが、病気になられてか ら、一度はお目にかかりたいと思いながら、現実に直面するのが怖くて、お見舞いの言葉もか けずにいました。年報にも執筆されているし、アメリカで最先端の治療を受けられたのだから、 元気に回復されたんだと信じこもうとしていました。思えば、女性学年報20号のシンポジウ ムでお会いしたのが最後になりました。亡くなられたということをちやんと受け止められなく て、お通夜にも、お葬式にも参列することができませんでした。

 今、女性学年報との協力体制で、追悼集発行に向けての準備が進みつつあります。業績とい うにはあまりにも多方面にわたる、和子さんのこれまでのお仕事や活動を、きちんと記録して、 たくさんの人に伝えることができればいいなと思っています。